
タイム・トラベル


★★★☆

原作:奥泉光 画:望月玲子

著者:辻真先


著者:高瀬美恵

製作:2019年 カナダ 上映時間:92分 監督:トニー・ディーン・スミス

★★★☆

★★★

★★★☆
著者:浦川佳弥


★★★☆


編者:大森望
翻訳家・書評家でとくにSFに造詣の深い大森望氏が選んだ「タイムトラベルロマンス」の短編小説6編が収録されている。その中身を並べると次のようになる。
「美亜へ贈る真珠」著者:梶尾真治
タイムトラベルロマンスの達人である"カジシン"さんの処女作にしてかつ名作と言って良い作品。航時機という名のタイムマシン、その装置の中と外では時間の流れが異なっている。航時機に乘り込んだ男性を、外から見守るしかない女性のいじらしさと切なさを描いたポエムのような小品だ。
「エアハート嬢の到着」著者:恩田陸
長編小説『ライオンハート』の中の一節である。時代を超えて何度も出会う恋人同士の話で、ロバート・ネイサンの名作『ジェニーの肖像』の本家取りである。
「Calling You」著者:乙一
一時間時間のずれた「こころの電話」で知り合う男女の悲しく切ないラブストーリー。『きみにしか聞こえない』といういうタイトルで映画化されている。
「眠り姫」著者:貴子潤一郎
授業中に居眠りばかりしていた少女が、どんどん睡眠時間が長くなり目覚めるのに数年間もかかるようになるという話。手塚治虫の短編『ガラスの脳』も同じような話だが、本作のほうが後に書かれているので、手塚作品を参考にしたのかもしれない。
「浦島さん」著者:太宰治
太宰の小説なのでSFというよりは、昔話を皮肉とイヤミでくるんだ作品なのだろうか。竜宮との時間差、そして乙姫へのあこがれということで、実験的に本書に掲載したのかもしれない。
「机の中のラブレター」著者:ジャク・フィニイ
『ゲイルズバーグの春を愛す』の中に納められていた『愛の手紙』福島正実訳を、大森望の新訳にしてタイトルを変更したものである。古い机の引き出しを介して文通をする話で、韓国映画『イルマーレ』が影響を受けているようだ。さていつもながらだが、ジャク・フィニイの作品は、古き良き時代の風景描写が巧みだよね。
評:蔵研人
著者:梶尾真治
タイトルのクロノス・ジョウンターとは、正式名称を『物質過去射出機』という。人や物を過去の目的の時と場所へ放り込む装置、要するにタイムマシンである。ただその性能には幾つかの大きな問題があった。最大の問題は、人も物も過去では数分間しか滞在できないということである。後に過去での滞在時間を引き延ばす装置が発明されるのだが、それでもせいぜい数十時間しかもたない。
しかも現在に引き戻されるのではなく、現代と過去の長さが長いほど、遠い未来へ跳ばされてしまうのである。いわば時間流に逆らった罰金のようなものであるが、跳ばされた人間は浦島太郎状態になってしまうのだ。さらに過去のものを未来に携帯できないという制約もあるらしい。
本書はこんな開発途上のクロノス・ジョウンターを巡るタイムトラベルラブストーリー集であり、次の中編4話で構成されている。
第1話 吹原和彦の軌跡
愛する女性を大惨事から救うために、まだ実験途中のクロノス・ジョウンターで、無理矢理過去へ跳んだ吹原和彦の話。この頃はクロノス・ジョウンターが開発されて間もない頃なので、過去では数分間しか滞在できず、彼は何度も搭乗を繰り返すことになる。
第2話 布川輝良の軌跡
布川輝良がクロノス・ジョウンターに搭乗した頃は、当初より過去での滞在時間を引き延ばす装置が発明されたのだが、それでもせいぜい数十時間しかもたないという。彼の場合は吹原和彦と違って正式な実験に応募し、会社から未来へ戻った場合の保証も与えられている。また彼が過去へ跳ぶことを希望した理由は、過去にしか存在しない建物を見るためであった。さらに過去で偶然理想の女性と遭遇するのである。
外伝 朋恵の夢想時間
本作だけはクロノス・ジョウンターではなく、クロノス・ジョウンターと並行して開発されていたクロノス・コンディショナーと呼ばれるタイムマシンに搭乗し、自分の忌まわしい過去を改変しようとした角田朋恵のお話。なおクロノス・コンディショナーは、物質を過去に運ぶのではなく、精神だけを過去の自分に送り込むという装置なので、クロノス・ジョウンターのように数時間後に反動で未来に跳ばされるようなことはない。
第3話 鈴谷樹里の軌跡
子供の頃に病院で知り合ったヒー兄ちゃんは、難病「チャナ症候群」に罹って27年の生涯に終止符を打ってしまう。そして19年後、鈴谷樹里が女医となった頃に、「チャナ症候群」を治す薬品が開発されていた。彼女はその薬を携え、クロノス・コンディショナーに搭乗し、ヒー兄ちゃんを救いに19年前に跳ぶのであった。
評:蔵研人
★★☆
著者:入間人間
本作には続編があるのだが、続編のタイトル名が『明日も彼女は恋をする』なので、間違ってそちらから読んでしまう人もいるらしい。確かに私自身も危うく間違うところであり、また連作と分かってもどちらが上巻なのか迷ってしまった。
これを区分するには目次を開いて第1章から始まるのが上巻で、第6章から始まるのが下巻と見分けるしかない。だがそれだと書店で手に取って買わねば分からないではないか。最近の傾向では、ネットで本を買う人が増えているのだから不親切としか言い様がない。読者側に立てば余り気取ったタイトルに拘らないで、素直に同じタイトルにして上巻・下巻と表記して欲しいものである。
いずれにせよ、本作は著者が明かしている通り、あの名作映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のパロディー小説であり、ドクに該当するのが松平博士で、タイムマシン・デロリアンに相当するのが、オンボロ軽トラという笑える構成になっている。
ニアのことが大嫌いなマチだが、9年前のあの出来事によってマチが障害者になるまでは大の仲良しだったはず・・・。そしてその9年前に2人でタイムトラベルし、その原因を取り除こうとするお話である。
上巻ではその原因が一体何だったのか、そしてそれはなぜ起きたかの説明は一切ない。だが何となく取り除いた雰囲気だけを残して、また現代に戻るのだが、大変な事態を巻き起こしているではないか。それでいやでも応でも下巻を買うハメになるのだ。
それにしても一人称がニアとマチにコロコロ変わり過ぎるので読みづらいことこのうえない。さらにテンポが悪くてクドいので、なかなか先に進まない。もっとテンポが良ければ上下巻に分割する必要もなく、一冊にまとめられたはずである。
そして下巻になっても、最後までマチが障害者になった原因が分からないのだ。まあ裏袋が代わりに障害者になった経緯が、たぶんマチが障害を負った原因なのだろうと想像するしかない。どうしてそんなにもったいぶるのか理解出来ない。
さらに下巻ではストーリーが現実離れしてきて、かなり意味不明な展開になってしまう。またそれにとどまらず、ストーリー自体が全く面白くないのだ。かなり期待して本書を手にしただけに、非常に残念な気持ちで一杯である。
評:蔵研人
製作:2019年 日本 上映時間:87分 監督:蜂須賀健太郎
タイムトラベル小説の御大である梶尾真治の作品が原作となっている。
住島重工の開発部門に勤務している吹原和彦は、毎日通勤時に通りかかる花屋で働いている蕗来美子に淡い恋心を抱いていた。ところが来美子の働く花屋の前で、タンクローリーが衝突して大惨事を引き起こす。そして悲しいかな、彼女もその事故に巻き込まれて死亡してしまうのだった。
その頃、吹原が勤務する開発部門では、時間軸圧縮理論を採用して物質や生物を過去に送ることが可能なタイムマシン「クロノス・ジョウンター」の実験を行っていた。この実験はほぼ成功したものの、過去に送ったはずの物体などが現在に戻るのに、数分間のタイムロスが発生してしまうところが問題であった。
そのタイムロスが起こる理由や法則は全く不明であったが、吹原は来美子を救うため過去に跳ぶ。だが実験で解明されていなかったタイムロスによって、一定の時間しか過去には存在できず、その反動でずっと先の未来に跳ばされてしまうのだった…。
ネットの評価はそこそこ高いのだが、原作を読んでいる私には今一つ感情移入ができなかった。その最大の原因は、あまりにも低製作費であることだろう。そのため肝心のクロノス・ジョウンターがちゃちいこと、吹原が跳んだそれぞれの未来の時代考証がほとんど描かれていないこと、友人の風貌が全く変わっていないこと等であろう。
さらにラストのハッピーエンドは、原作と乖離しているだけでなく、かなり科学的に無理があった。ともかく、SF映画はガンガン金を使い、いかに嘘を本物らしく見せるかが勝負なのである。またそれなりに納得できそうな理論体系を構築しておかないと、バカバカしくなってしまうものである。このあたりが邦画にSFものが少ないない原因なのであろうか。
評:蔵研人
著者:山田太一
奇妙なタイトルだが、「空を飛ぶ夢」というのは、青春真っ最中と言うことで、男女二人で飛ぶ場合は恋愛かつセックスの比喩だというらしい。ということで、本書の中身もエロチックで奇妙な展開が続くのだろう。
田浦が初めて病院で逢ったときの睦子は67歳の老女だったのだが、なんと退院後は逢うたびに若返ってゆく。2度目に逢ったときは40代の女盛り、3度目は20代半ばの美女、4度目は悪戯っぽい18歳位の少女、そして最後は5歳の幼女として田浦の前に現れるのである。
まさに女性版『ベンジャミンバトン』なのだが、本作の方が先に発表されているのでパクリではない。ただ『ベンジャミンバトン』の下敷きになったのが、1922年に書かれたF・スコット・フィッツジェラルドによる短編小説なので、そちらを参考にしたかどうかは著者に聞かないと分からない。
36年前の作品なのだが、全く色褪せていない。本作の主人公田浦修司は、建設会社の営業部次長で妻子のある働き盛りの男性である。ただどうした弾みで精神を病んだのかは説明されていないが、寿司屋の二階から飛び降りて骨折して入院する。そしてそこで自殺未遂で骨折した睦子という謎の女と遭遇するのであるが、エロチックでかつ謎めいた序段はなかなか秀逸であった。
本作は時間を逆行して生きる女性がヒロインなので、ある種のタイムトラベルファンタジーとも考えられるのだが、かなりきわどい性描写が多いのでエロ小説の趣も備えている。またある意味で、異常世界と精神異常と狂気の漂う純文学と言えなくもないし、当時50歳だった著者の「初老人の恋愛願望」かもしれない。
いずれにせよ、最初から最後まで目の離せない興味深い小説であることは間違いないだろう。ただ拳銃を携えて映画館で強盗事件を起こす下りは、全く必然性もなく馴染めなかった。またラストも予想の範囲内で、特に目を見張る展開がなかったのも味気なかったね。
さて余談であるが、本作は1990年に細川俊之、石田えり主演で映画化されているようなので、機会があればそちらも鑑賞してみたいものである。
評:蔵研人
著者:小松左京
私が読んだのはポプラ文庫の『小松左京セレクション2』に収録されたもので、タイトルの作品以外に四次元トイレ、辺境の寝床、米金闘争、なまぬるい国へやって来たスパイ、売主婦禁止法、愛の空間の6作も併録されていた。
『時間エージェント』は時間管理局の取締り話を面白おかしく描いた連作で、全8話構成で約220頁を占めている。また本収録7作品の中では、唯一のタイムトラベル小説だった。
本作が書かれたのは1965年だし、発表誌が平凡パンチということを考えると仕方がないのだが、読みやすいのは良いのだが、バカバカしくて単調で底が浅い小説だったのは期待外れであった。小説より漫画のような作品なのだが、なんと1979年にあのルパン三世のモンキー・パンチによって漫画化されているではないか。この漫画は未読だが、表紙を見る限りエロっぽさも含めてピッタシカンカンかもしれないね。
さて本書に収録されている『時間エージェント』以外の6作の短編についても、すべてが軽くてエロっぽいドタバタ作品で占められており、アイデアとしては面白いのだが、私が期待しているものではなかったのが残念であった。
評:蔵研人
著者:清原なつの
タイトルの『アレックス・タイムトラベル』シリーズは、長編の少ない著者が初めて挑んだ連作長編マンガであり、『真珠とり』と並ぶ著者の代表的なSFマンガ である。本書には次の5篇が収録されている。
「未来より愛をこめて」、「秘密の園から」、「ロゼ」、「ローズガーデンの午後」、「思い出のトロピカル・パラダイス」。これらの主なテーマは管理社会からの脱出、青いバラの秘密、時間を超えた逃避行、避けられない核戦争、タイムパラドックスなどで、正統派SFマンガと言ってもよいだろう。
そのほか短編として以下の4編も収められている。
「流水子さんに花束を」 驚異の記憶力を身につけてしまったら
「聖バレンタインの幽霊」 亡くなった彼氏と瓜二つの男が現れたら
「カメを待ちながら」 戦死した恋人を待ち続けていたら
「飛行少年モッ君の場合」 目覚めると背中に天使の翼が生えていたら
どの作品も愛がテーマの少女漫画タッチなので、SFマンガとしては今一つ物足りない。まあ「SF初心者の女性向き」といった趣きであろうか・・・。
評:蔵研人
製作:2019年 米国 上映時間:129分 監督:ティム・ミラー
ターミネーター映画は、度重なる権利の移動が続き、連続性を欠きながらも、人気シリーズのため何とか延命してきた推移がある。ただし生みの親であるジェームズ・キャメロンは、これを良しとせず第1作から2作へと引き継がれてきた世界観を引き戻すため、本作をキャメロン版第3作として位置付けて製作に携わったという。
そして舞台は米国からメキシコへと移り、未来から来たターミネーター「REV-9」が、メキシコシティの自動車工場で働いている21歳の女性ダニーに襲い掛かる。このダニーは未来において活躍する大切な女性の一人だったのである。
危機一髪の状況で彼女を救うのが、やはり未来から送られてきた強化型兵士のグレースであった。だが一度は危機を脱出したものの、絶対に破壊されない「REV-9」が、執拗に二人を探し当てて追いかけてくる。
とにかくすごい迫力だ。もしかするとシリーズで一番のド迫力かもしれない。だが第2作・T2とほぼ同じようなストーリー展開なので、大好評だったT2のような驚きは全くなかった。
またシュワちゃんのターミネーターが年を取ったのは、それなりに理屈があるようなのでそれは良いとしても、家族をもって人間のように暮らしている姿はアンバランスな感がある。それから年取ったリンダ・ハミルトンが、再びサラ・コナー役を演じる必然性も全く感じない。大した活躍も出来ないわけだし、彼女は単なる客寄せパンダだったのだろうか。
何となくT2をバージョンアップしたような作品で、その製作意図がいまひとつ理解できない。もしマッケンジー・デイヴィス演じるグレースが登場しなければ、★はひとつ減らしただろうな…。
評:蔵研人
★★☆
著:ローレン・ビュークス
訳:木村浩美
時間を超越できる古い家。そこをねぐらにして、様々な時代で猟奇的な殺人を続ける精神異常の殺人鬼。そんな触れ込みのタイムトラベル・サイコサスペンスである。
アイデアとしてはなかなか斬新なのだが、10頁以内の短いスペースで、前後して時間が入れ替わり、次々に若い女性たちが無残に殺されてゆく。またその殺害の様子が酷過ぎる。ナイフで腹を裂かれて腸を引っ張り出されて、死体をグルグル巻きにするといった具合なのだ。そして殺害の動機もはっきりしない。まさにサイコ野郎そのものなのだ。
そして足が悪いのにも関わらず、この殺人鬼の強いこと強いこと、拳銃で撃っても1~2発では死なないし、もの凄い腕力と異常な精神力に支えられている。これではまるでジェイソンやターミネーターではないか。
まあそれはそれで許すとしても、余りにも内容が薄いため読みにくく、何度も投げ出しそうになった。少なくとも500頁近くある長編なのだから、もう少し登場人物の心理状態などを詳細に描いて欲しかったね。とにかく残酷描写とアクションの連続ばかりなので、小説より映画向きなのかもしれない。
とは言っても、ラストを除いてハラハラドキドキ感も余り湧かなかったし、肝心のタイムトラベルがらみの面白さも皆無だったのは非常に期待外れだったね。かなり無駄に時間を消費してしまったような気がする。あー疲れた。
評:蔵研人
★★☆
著者:桜庭一樹
本作は第1部から第3部までの3つの時代の話に分割されている。第1部の舞台が1627年のドイツ・ケルン、第2部が2022年のシンガポール・セントーサ島そして第3部が2007年の日本・鹿児島市である。
またタイトルの意味するところは何だろうと考えていたのだが、実はこの場所も時代も異なる3つのストーリー全てに登場する少女の名前だった。彼女の名前は「青井ソラ」まるで駄洒落のようなタイトルだったのである。
魔女狩りを扱った第1部はそれなりに面白かった。だが第2部と3部は全く面白くないし、何のためにリンクさせたのだろうか。確かにある少女のタイムトラベルを繋げるためには必要だったのかもしれないが、それぞれの話には全く関連性がないし必然性もない。ただ一番退屈だったのだが、著者の主眼としては、現代を描いた第3部にあるような気がしてならない。
アイデア的には決して悪くはないのだが、その世界観はほとんど理解不能だ。正直こんなものを読まされて、不愉快だけが残ってしまった。それにしても一部のネットでは、かなり好意的な評価が目白押しだったのには驚いたのだが、ついてゆけない自分が情けないのだろうか…。
評:蔵研人
★★★☆
製作:2017年 スウェーデン、デンマーク・フィンランド 上映時間:88分 監督:マックス・ケストナー
珍しい北欧発のタイムトラベル系SF映画である。未来社会は薄暗いし全般的に地味で難解な映画なので、ハリウッド系のSF映画を期待すると失望するかもしれない。だが海に浮かぶタイムマシンや、未来に残る者と過去に跳ぶ者に分身するという発想は、いまだかつてなかったので新鮮に感じた。
2095年。海面上昇で大陸は海に飲み込まれている。動植物は塩病にかかり絶滅していた。真水はぜいたく品である。今や時空移動が可能な時代。ただし実行できるのは量子網分離官(QEDA)だけである。彼らは2人に分裂でき現在と移動先とで繋がり合うのだ。
という前置きでこの物語は始まる。主人公のファン・ルン大尉は、国防省の科学防衛の責任者である。時空移動を廃止するのが彼の任務だったが、秘密裏に量子網分離官(QEDA)となりふたりに分裂し、その一方が2017年へ時空移動を行った。その目的は海水を淡水化する研究データを持ち帰り世界を救うことであった。
2017年で海水を淡水化する研究をしていたのは、モナという女性だった。ところが、なんと彼女は「ファン・ルンの妻の曾祖母」であった。そして彼女は飛行機事故に巻き込まれ、研究データも消えてしまうことになっていた。それでその前に、研究データの在り処を見つけて、それを未来に送るためにファン・ルンの分身がやって来たのだ。
分身はそれなりに成果を上げるのだが、約束の時間を過ぎても未来に戻ってこないし、連絡も取れなくなってしまう。それに焦れたファン・ルンは、上司の反対を無視して、自らが2017年に時空移動をするのである。そこで彼が知ったことは・・・。
なかなか見応えのある瑞々しい作品なのだが、一つだけはっきりしない部分がある。2017年に住む女性研究者モナのことである。本ブログでは、あえて彼女を「ファン・ルンの妻の曾祖母」と記したのだが、ネット評論の大半はなぜか「ファン・ルンの祖母」と説明しているのである。78年前だから、主人公とモナが同年代とし、約80歳の年の差があると考えれば、曾祖母と考えたほうがノーマルであろう。
また映画の中では主人公がモナを見て、「お前のひいひいばあさん」とつぶやいているのだが、これも辻褄が逢わない。そしてお前のの、「お前」とは「妻よりも自分自身」を指しているように取れるので、モナのことを「ファン・ルンの祖母」と勘違いした人が多いのだろうか。
ただそれだとモナとその娘が亡くなった瞬間にパラドックスが生じて、ファン・ルン自身も消失してしまうはずである。ところがファン・ルン自身はそのまま生き残り、自分の娘が描いたタトゥーだけが消えたのである。
ということは、モナは「ファン・ルンの妻の曾祖母」でなければおかしいということになる。またラストシーンで、主人公が帰る場所がないと嘆いている。つまり帰りを待つ妻も娘も存在しないからである。
さらにもしモナが自分自身の祖先なら、性的関係を結ぶはずもない。もしかすると「お前のひいひいばあさん」という字幕は、翻訳ミスだったのかもしれないね・・・。
評:蔵研人
★★★☆
著者:テリー・ヘリントン 訳者:進藤あつ子
現代女性が過去にタイムトラベルをして、そこで逢った男性と恋に落ちるというお話である。ストーリー構成としてはよくある展開でハーレクイン・ライブラリーなどには似たような小説が目白押しだ。
私が読んだものでは『時の扉とシンデレラ』、『恋はタイムマシンに乗って』、『時のかなたの恋人』、『ハイランドの霧に抱かれて』、『時の旅人クレア』などなど書き出したらきりがない。また逆バージョンで、現代男性のほうがタイムトラベルして過去の女性と恋に落ちる話としても『ある日どこかで』、『ふりだしに戻る』、『七年後の恋人』などがある。
と言うことでストーリー構成には、目新しさが認められない。ただ本作が他の作品と異なるのは、ヒロインがタイムトラベルするたびに体力を消耗し、もしかすると命を落としてしまうことになるかもしれない、ということなのである。この設定によって、読めば読むほどドキドキ・イライラが募り、早く先を読みたいという欲望に駆られて、あっという間に読破してしまうのだ。
ヒロインのセアラは、目の前で事故死した老人マーカスの遺品を調べるうちに、セピア色に染まった過去の写真の中に、若き日のマーカスと自分自身を見つけるのである。もしかすると、セアラとマーカスは過去の世界で恋人同士だったのかもしれない・・・。
そしてセアラは、屋根裏部屋で古い写真機を見つけ、そのシャッターを押すたびに過去にタイムトラベルをするのだが、双子の妹カレンに呼ばれると、また現代に戻ってしまうのである。だがまたマーカスに逢いたくなり、古い写真機のシャッターを押すのだった。
その都度セアラはかなり体力を消耗し、昏睡と入院を繰り返すのである。つまりセアラが命を懸けなければ、マーカスに逢うことが出来ないのだ。果たして時空を超えて出逢った二人の、切ない恋は成就するのだろうか・・・。
それにしても命をかけたセアラの激しい恋心は、一体どこから湧き出てくるのだろうか。何となく幽霊に魅入られた『怪談・牡丹燈篭』の世界を想像してしまった。この辺りの女心は「恋を忘れたおじさん」にはちょっと理解できない。だがきっと恋する若者たちの気持ちは、小説に近いのかもしれない。まあそれはそれとして、切ない中にも心温まるラストシーンは実に見事であった。
評:蔵研人
著者:きむらゆういち
ジュニア向けの小説で、事件ハンター・マリモシリーズのうちの一冊である。読者対象は小学生の中・高学年というこで、挿絵が多く文字が大きいので読み易い。さらに総ページ数も約160頁なので、わずか30分程度であっという間に読了してしまった。
ストーリーの内容は、主人公のマリモちゃんが友だちのケイタと二人で、発明家のパパが創ったタイムマシンで、過去にタイムトラベルするお話である。半分はアクションシーンで占められており、タイムトラベルものとしては単純だが、意外と飽きることなく楽しく読ませてもらった。胸がキュンとなるシーンも含まれており、小学生に読ませるには良い小説かもしれない。
評:蔵研人
★★★☆
著者:宮地昌幸
ある日のことである。未来からやって来た中年女の”アリアドネ邦子”に、「このままだと最愛の妻に見捨てられて不幸のどん底に落ち込みますよ」と忠告される。また「それを阻止するためには、15年後の未来に跳んで、同じ8月23日を72回繰り返して、未来を変える方法を見つけるしかありません」とも断言される主人公の服部政志33歳であった。
著者はあの『千と千尋の神隠し』の助手を皮切りに、数々のアニメを手掛けている宮地昌幸である。そして本作の主人公・服部政志もアニメーターという設定であり業界人も登場するので、もしかすると半分は自分自身の心境を描いた疑似私小説なのかもしれないね。
前半は政志が四苦八苦して、同じ日を72回繰り返してなんとかハッピーエンドを迎える。そして邦子が2050年の未来に戻り、時空興信所長に「業務報告書」を提出する。かなり長い報告書なのだが、少し分かり難かったストーリー全体をまとめてくれたので助かった。ところがここまでで、まだこの小説の半分を消化しただけなのである。
この後一体何があるのかと思っていたら、また過去に戻ってきた邦子が、政志の前でとめどなく泣き崩れてしまうのである。おいおい一体どうしちゃったの?と首をひねっていたら、今度は邦子の不幸な物語の幕開けであった。そしてその不幸を少しでも緩和するために、二人はタイムマシンで過去(邦子にとっては過去だが、政志には未来)へ跳んでゆくのであった。
結局のところ本作は、政志と邦子の二人の不幸を阻止するためのタイムトラベル小説だったのだ。ただ前半の政志のタイムループ話は少し退屈であり、後半の邦子の過去改変のストーリーのほうが面白かった。ただ改変した過去とのタイムパラドックスについては、やんわりとパスしているのでかなり物足りないのが残念であった。
評:蔵研人
★★★☆
製作:2017年 日本 上映時間:120分 監督:鈴木雅之
京都の路地裏にひっそりと佇む『本能寺ホテル』のエレベーターは、戦国時代の『本能寺』へのタイムトラベルの入口だった。そんな荒唐無稽なお話で、綾瀬はるかのOLと堤真一演じる織田信長の出逢いをコミカルに描いた楽しい作品である。
さて『本能寺ホテル』のエレベーターで戦国時代に跳んでゆくには、織田信長が使っていた言う古い時計を起動する必要があり、逆に現代に戻ってくるためには、ホテルのロビーカウンターにある呼び鈴を鳴らさなければならない。従って自分の意志では現代に戻ることは出来ず、偶然呼び鈴が鳴らされるのを待つしかないのが難点なのであった。
綾瀬はるか演じるOLはボーッとしていて、流れに逆らわずに生きている目的のない女性なのだが、この物語全体の雰囲気もなんとなくぼんやりしていて灰色めいている感があった。そんな訳でこの話を通して何を主張したいのかが伝わってこないのが少し残念である。
またこうしたお話には、必ずラストのどんでん返しが用意されるはずなのに、それもほとんどなくただただ素直に終わってしまったところに脚本力の弱さを感じてしまった。
評:蔵研人
製作:2003年 米国 上映時間:116分 監督:リチャード・ドナー
原作は『ジェラシック・パーク』のマイケル・クライトンのベストセラー小説である。クライトンの小説では、量子物理学上のタイムトラベル理論や中世フランス史についての正確な描写が書き綴られているらしい。だが時間的な制約と万人受けに縛られる映画においては、そのあたりを詳しく再現することは難しい。
とは言いながらも、アクションシーンだけに集約してしまったのも、なんだか物足りない気がするのだ。それにいかにも悪人というレッテルを貼った人物が、二人も登場するのも子供騙しのようで気に入らない。
またオープニングの石像の謎と種明かしは、タイムトラベルもののお約束的なループなのだが、ラストシーンを待たずとも中盤ですぐに気が付いてしまったのも残念だ。
実はこの映画は、16年前に映画館で観て次に記したような評価をくだしている。2時間にまとめたところに無理があると感じたのは今回と同じなのだが、今回戦闘シーンやラストシーンに余り感動しなかったのは、16年前とはいえ一度観ていたからかもしれない。
(16年前のメモ)
マイケル・クライトンの原作は何度かブックオフで買おうと思ったのですが、なかなか上下巻が揃わないまま買いそびれていました。その後映画化になると聞いて、ずっと楽しみに待っていたのですが、映画の評判は余り良くないですね。
確かに肝心のタイムトラべル理論については、かなり省略されていたようですし、登場人物の描き方も今一物足りない気がしました。
だいたいこのような大作を、2時間程度の粋の中で描くこと自体に無理があります。TVシリーズとして、10回位の連続ドラマにしたほうが正解だったのかもしれません。また壮大なストーリーにしては、余り製作費をかけなかったのも、中途半端な作品にしてしまった要因だと思います。
苦言ばかり並べましたが、もちろん良い面もあります。囚われたヒロインが、わらの屋根を移動するシーンにはドキドキしましたし、火の玉投石と火矢を使った迫力ある戦闘シーンにも好感を持ちました。そして現代と過去を結ぶ感動的なラストシーンでは、思わず予期せぬ涙を落としてしまいました。
こんなところかな・・・。(-_-;)
評:蔵研人
★★★☆
製作:2003年 ドイツ 上映時間:110分 監督:セバスチャン・ニーマン
原作はアンドレアス・エシュバッハの大作『イエスのビデオ』で、早川書房から上下2巻にわたって出版されている。
ストーリーは、イスラエルの遺跡発掘場所で、2000年前の人骨と一緒に、何とSONY製のビデオカメラの取扱説明書が発見されるところからはじまるのだ。そして一緒に残された文書から、イエス・キリストが撮影されたカメラが存在することを知るのだが、その肝心のカメラの行方が分からない。
そのあとは、主人公たちが延々とビデオカメラを探す行動が続くのだが、カメラはなかなか見つからないどころか、謎の組織に追いかけられつかまって、殺されそうになる展開がしつこく続く。そして終盤まで散々引っ掻き回された敵が壊滅し、ビデオの映像が解明されるのはラスト直前の数秒間という、長過ぎるひっぱり具合に呆れたと、言うより腹が立ってしまった。
ところが10年前にこの原作を読んだ時に、このブログに掲載した記事を再読しまたまた驚いたところである。なんと既にこの映画もGyaOで鑑賞済みだったのである。しかも原作を超える良い出来だと高評価しているではないか。これはどうしたわけであろう。
つまりこの映画だけを観ると、書き切れないほど突っ込みどころ満載で、SFというよりも、ドタバタアクションに終始し、キリスト動画だけをネタにひっぱり過ぎるというがっかり映画なのだが、実は原作はもっともっと酷かったんだね。
という訳でこの映画に不満を漏らす人は、是非原作を読んで映画の出来の良さを再評価してみよう。ととと、これは皮肉なのだろうか・・・。
評:蔵研人
★★★☆
著者:松尾 由美
志織は入居したばかりのマンションで、不思議な現象に遭遇する。なんと隣室に住んでいるが、ほとんど話したことのない平野という男性の声が、エアコンの穴から聞こえてきたのだった。それも一年後の未来から話していると言うのである。
はじめは信じられない志織だったが、翌日から先一週間分の新聞見出しを言い当てられ、未来からの声だということを信じざるを得なかった。それで未来の平野から、現在の平野を尾行するという奇妙な依頼を受けてしまうのである。
登場人物が不動産屋、大家とマンションの住人4人しか登場しない。階下に住んでいる倉さんや祖父江さんとは、少し話をするのだが、それだけでほとんどいてもいなくてもよい存在だ。面白いのだがどちらかと言えば、ストーリーよりもアイデア優先の小説と言い切って良いかもしれない。
タイムトラベルロマンスにややミステリアスな展開も含んでいて、梶尾真治の作品と似たような味がするのだが、過去改変の影響について、いま一歩深みにはまり切っていないところが物足りない。また序盤はやや読み辛いものの、中盤からは一気に読み抜けるところは好感が持てるものの、シラノの正体はすぐ分かってしまったし、その種明かしも単調過ぎるような気がする。
まあワインにフレンチやイタリアンではなく、良い香りのコーヒーを飲みながら、とりあえず美味しいパンケーキを食べたいと言う方には、ぴったりの作品かもしれない。映画化されたので、そちらのほうもいずれ紹介したいと思っている。
評:蔵研人
★★★☆
著者:伊坂幸太郎
PKとは通常はサッカーのペナルティーキックのことだが、超能力の「念動力」(サイコキネシス)「psychokinesis」を略してPKと呼称される事もある。また本書ではその双方を描いており、中編を三部に分けて、最後にそれらが全て繋がるような展開に仕上げている。
その中編とは主に次のような構成になっている。
「PK」サッカーのワールドカップ予選で、やや不調気味のスター選手が、試合終了間際に劇的なPKを決める話。
「超人」未来に起こる犯罪を予知する能力を持つ超人の荒唐無稽でちょっと怖い話。
「密使」ゴキブリの密使が過去にタイムトラベルし、地球を救うと言うもっともっと荒唐無稽な話と、これら三作の中編を過去・現在・未来で総括する話。
タイムパラドックスの関係を回避しつつ、過去を変化させてもパラレルワールドの派生を防止して未来を明るい方向へ変革してゆくと言う論理展開は、さすが伊坂幸太郎!と唸ってしまった。だが正直いまだ良く理解できない部分もあり、読了後もやや消化不良の感が否めず、とくに感動することもなかったのが心残りである。まあ実験的な小説でもあり、一種のパズルだと考えれば納得出来るのかもしれない。だが少なくとも、私が期待したところのタイムトラベル小説ではなく、爽快感も得られずかなり読み疲れてしまった。
評:蔵研人
製作:1999年 日本 上映時間:85分 監督:前島健一
製作当時は画期的なフル3DCGで創られたデジタルアニメとして絶賛された作品である。またタイムトラベル系のストーリー展開ということもあり、だいぶ以前から必死にレンタルDVDを探していたのだが、絶版になっているのか、なかなか見つからなかった。
それで半分諦めながら駄目もとで、ネット中古書店に予約登録しておいたのだが・・・。登録して2年以上経過し予約していたこと自体を忘れていたとき、突然ネット書店から入荷案内のメールが送られてきたのである。と言うことで、嬉しくなって即購入してDVDプレイヤーに挿入することになったのである。
ストーリーのほうは、西暦2000年に宇宙局の招待で月面旅行に向かった女子高生の林亜利寿が、スペースシャトルの爆発事故によって西暦2030年にタイムワープしてしまい、突然何者かに襲われているところからはじまる。その未来社会は、独裁者ネロとコンピューターが支配する荒廃した世界であった。だがなんとその独裁者ネロこそ、将来結婚した亜利寿が産んだ息子だったというのである。
ここまで書けば、誰でもなんだあの『ターミネーター』の逆バージョンではないかと気が付くはずである。また基本的に膨大なスケールのバックボーン構成でなければいけないのに、登場人物の会話が貧弱だし、その数も圧倒的に少な過ぎるではないか。そのうえタイムパラドックスなどもほとんど無視しているので、タイムトラベルものとして見どころも少なかった。
さらに一番期待していた映像さえも、プレイステーション2に毛が生えた程度なのだ。もちろん製作当時に観ていれば、あっと驚くほどの映像美だったのかもしれないが、残念ながら時代の進化には勝てるわけがないか。それにしても、う~ん・・・である。ただロボットのマリアだけは、キュートで可愛いよね。
評:蔵研人
★★★☆
著者:眉村卓
タイムトラベルも絡んでくる学園SFミステリーである。氏名、生年月日、血液型、住所、職業、性別などを総合し、人間を260のタイプに分類し、それぞれのタイプごとにその年の全ての日についての出来事が記載されているという画期的な占い本が発売された。
その本に記載された運命は、まるで未来予告のようにぴたりと当たるものだから、次第にマスコミも取り上げることになり、どんどん販売部数が増加してゆくのだった。
ところがその本を手にした主人公の運命は、11月から先が空白となっていたのである。つまり彼は10月末に死亡するということなのだろうか。そんなことを悩んでいるうちに、主人公の親友と彼女が何者かに拉致され、行方不明になってしまうのである。
占い本を発行しているのは誰だ、そして親友たちを拉致したのは誰か、さらにはそれらの真の目的は何なのか?。古い作品でかつジュニア向きなので、少し陳腐感が漂うのは否めないかもしれない。ただ低年齢層向けのジュブナイル小説としては、良くも悪くも無難な内容ではないだろうか。
評:蔵研人
製作:2013年米国 上映時間:93分 監督:ホアキン・ロドリゲス
『アイアンマン2』のスタッフがVFXを手掛けたSFバトルアクション。というキャッチコピーにつられてレンタルしてしまったのだが、これまた酷いB級映画で、SFバトルアクションのシーンは、最初と最後に同じシーンがちょこっと出てくるだけだった。
先日観た『パラレル・プラネット』同様、どうしてこの手の映画は箸にも棒にもかからない作品が多いのだろうか。事前に評価の低い映画だと分かっていても、ついついタイトルに惹かれて観てしまうところが、タイムトラベルマニアの悲しい性である。
架空のゲーム世界が現実と重なり、それによって自分も父親同様『時空戦士』になるという壮大なストーリーなのだが、いかんせん低予算のため、『時空戦士』シーンはほとんどなし。どちらかと言えば、継母と継父を持つ少年同士の不満の吐け口ゴッコというイメージか・・・。
だからと言って少年たちの葛藤を描くでもなし、現代米国社会を風刺しているという感性も見えない。また主人公が『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のマーティーよろしく、スケボーに乗って高校へ通うシーンには笑っちゃうよな。
いずれにせよ、レンタル料よりも時間の無駄なので、もうこういったB級映画は観ないことにしたい!と宣言したいのだが、いずれ時が経てばまた「タイムトラベルもの」という謳い文句に騙されて観てしまうのだろうな…。
評:蔵研人
著者:リンダ・ハワード
1985年、米国南部の穏やかな田舎町での出来事。郡庁舎の広場にタイムカプセルが埋められ、開封予定は百年後となっていた。ところが、わずか二十年後に、カプセルは何者かに掘り返され、同じ夜に弁護士が槍で突き殺されたのである。郡・捜査官ノックスは、殺害現場でFBIを名乗るニキータと出会うのだが、間髪をおかず何者かに狙撃されるのだった。
実はニキータは、200年後の世界からタイムトラベルしてきた未来のFBI捜査官だったのである。はじめはその身分を隠していたのだが、殺人現場にいた不審者としてノックスに逮捕されたため、その身分を明かさざるを得なかった。幸いその場にはノックスしか居なかったため、未来人であることは二人の秘密にし、当面ニキータはノックスの家に泊まることになる。
一つ屋根の下に男女が暮らし始めれば、何も起こらないはずがない。ましてやニキータは美女だしノックスはイケメンなのだから…。ある事情から最初はノックスのアタックを拒んでいたニキータだったが、緊張感の張りつめたある夜に、とうとう結ばれてしまうのだった。
ここにいたるまでの展開はかなりダラダラしていてちょっと飽きていたのだが、二人が結ばれる晩あたりからは、急に話のテンポがよくなり、また殺人鬼の追撃がしつこくなりドキドキ感がヒートアップしてくる。それで一時も本を手放したくなくなり、一気に読み進めたくなってしまうのである。
タイトルそのまま、基本的にはSFロマンス小説といってよいだろう。ノックスとニキータの二人が結ばれるまでの過程をなぞるのも楽しいが、私には未来社会での慣習や小物類の描き方もなかなか興味深かった。ただ未来と過去を行ったり来たりする訳ではないので、タイムパラドックスについては、ほとんど言及しないところが、タイムトラベルファンとしては、やや物足りないかもしれない。
ただエピローグで、過去から200年後の未来に手紙が届くところは、なかなか洒落たエンディングだと思った。映画化にはおあつらえ向きの作品なので、いずれは映画化されるかもしれないね。今からそれが楽しみである。
評:蔵研人
製作:2012年米国 上映時間:118分 監督:ライアン・ジョンソン
30年後の未来では、システムの発展により死体を隠すことが出来なくなるという。そこで未来の悪党たちは、殺害したい人物をタイムマシンで過去に送り、そこで待っている殺し屋によって殺害させて死体処理をする方法を考えた。
その殺し屋たちは、「ルーパー」と呼ばれ、殺しと死体処理の報酬として銀の延べ棒を受け取っていた。だがその殺し屋自体も未来になって不要になると、標的に選ばれて過去に送られる。そしてそれを殺害するのは、過去におけるその殺し屋自身となるのだ。
そして無事未来の自分自身を殺害処理すると、今度は報酬として金の延べ棒が、過去の自分に送られてくる。そして彼等はルーパーから引退して行くのだが、30年後には不要になった標的となり過去に送られて殺害されるという恐ろしい循環システムだったのである。
タイムトラベルものとしては、なかなか画期的なアイデアであり、過去と未来の自分同士の戦いというのも、なかなか興味深い設定なのだ。また過去の自分を傷付けると未来の自分も同様に傷付いてゆくというのも、なんとなく納得出来そうな理論である。
ただ本作の場合は、パラレルワールドの別の未来からやって来た自分なので、必ずしも過去の自分とリンクするという理論が成立するとは限らないと言える。だが結局は、あの壮絶なラストシーンを演出するための前提理論だったのだろう。
タイムトラベル作品は複雑にループしてストーリーを捻りこむため、じっくり何度も繰り返して観ないと、理解不能になってしまう傾向がある。本作でも殺されたはずの未来の自分(ブルース・ウィリス)が、なぜか次の瞬間には生存していて再度タイムトラベルをするという、矛盾の循環のようなシーンがあって頭がこんがらかってしまった。結局映画を観終わってからネットで調べて、殺されたのはブルース・ウィリスが若かった当時に、未来から送られてきた自分なのだとやっと理解した次第である。
この映画にはタイムトラベラー以外にも、TKと呼ばれる超能力者が登場するのだが、どうも途中からSFなのかオカルトなのか方向性と世界観がはっきりしなくなってしまう。そしてスージーとかキッド・ブルーとか、ほとんど意味のない登場人物がしゃしゃり出てくるのもいかがなものであろうか。それよりも未来の自分が、中国で知り合った東洋女性との愛の回顧録を充実させることのほうが、ストーリー展開上もどれほど重要だったことか・・・。
また過去の自分はちょっと弱々しいのに、未来の自分の強いこと強いこと、まるでダイハードとかターミネーターの世界じゃないの。あんなに強ければ最初から逃げ回ることもなかったのでは、とストーリーの流れ自体にも疑問符が付いてしまうのだ。
とまあいろいろ突っ込みどころの多い映画なのである。ただ壮絶なラストシーンはなかなか感動的でもあったし、タイムトラベルものとしては新趣向な作品でもあり、もう少し脚本を練り込んでいたら、もっと素晴らしい作品になったはずだ。そう考えると非常にもったいない、悔いの残る映画だったのではないだろうか・・・。
評:蔵研人
製作:2005年 カナダ 上映時間:89分 監督:デヴィッド・レイ
2005年に製作されたカナダ映画であるが、日本の劇場での上映記録はないようだ。ドラッグ過剰摂取のため昏睡状態になってしまった恋人コーディを助けようと、タイムマシンに乗って何度も過去へ飛ぶアート。
こう書くと、バック・トゥ・ザ・フューチャーを期待してしまうのだが、超・低予算かつ地味な展開にがっかりしてしまうだろう。そしてタイムマシンといっても、汚い肘掛け椅子に豆電球が付いているだけの代物。だからといって、決してコメディではないし、そこそこ真面目な映画なのだ。余りの酷さに、途中でなんども早送りしてしまった。
ところが何度もタイムトラベルを繰り返す度に、コーディがクスリ漬けになってしまった原因が分かってくる。そしてアートの優しさと愛情が痛いほど伝わってくるのである。バカバカしくて退屈だったが、途中で投げないで良かった。実はこの作品の監督は、タイムトラベルを利用して、この町に住む貧しい人々たちの、淋しく悲しいお話を描きたかったのかもしれないな・・・。考えてみると、チンケではあるが、実に奇妙で風変わりな映画とも言える。
評:蔵研人
製作:2011年 スペイン・米国 上映時間:94分 監督:ウディ・アレン
小説家志望で、社交性のない主人公ギルをオーウェン・ウィルソンが熱演し、その婚約者イネズをレイチェル・マクアダムスが演じているのだが、なぜかネットでのキャスト紹介では、キャシー・ベイツ、エイドリアン・ブロディ、カーラ・ブルーニなどの名が先行している。だから、最初は彼等が主人公なのかと思ったら、三人ともチョイ役で登場しているだけだった。確かに知名度では、圧倒的にこの三人のほうが有名なのだが、余りにも詐欺まがいのキャスト発表ではないだろうか。この映画を観ながらそんなことばかり考えていた。
ストーリーは至極単純で、主人公ギルが金持ちの父親を持つ婚約者イネズと一緒に、彼女の両親の出張に便乗してパリを訪れる。だが派手な婚約者に対して、地味で社交性がないギルは、1920年代の黄金期のパリに郷愁ばかり抱いている。なんとなく波長の合わない二人。
そしてギルは、イネズが友人たちと二次会のダンス行こうと誘っても、それを断って一人で深夜のパリを散歩するのだった。そして時計が12時を知らせた時、オールドカーに乗った見知らぬ人々に誘われて、仕方なく一緒にとあるバーに行くギル。
驚いたことに、そこは1920年代のパリで、あこがれの作家ヘミングウェイや画家のピカソ、ダリなどと巡りあうことにになってしまうのである。それから彼は毎晩遅くなると、あのオールドカーが来た街角に立って、1920年代のパリにタイムトラベルし続け、イネズとの関係もだんだんギクシャクしてくるのだった。
タイムトラベルものだと聞いてこの映画を観た訳であるが、単に昔のパリに跳んで行くということだけであり、どうしてそうなったのかは不明のままだし、タイムパラドックスなども全く描かれていない。従ってタイムトラベルものを期待すると惨めになってしまうので、そこのところは余り期待しないこと。だが間違いなく、現在と過去の美しいパリの街並みを味わえることだけは確かである。
そして第84回アカデミー賞で脚本賞に輝いた作品ではあるが、もう少しストーリーにメリハリがあってもいいし、過去の有名な芸術家たちが、何人も簡単に登場し過ぎるのも安直過ぎる感があった。ただ人はいつも現在を否定して、過去に憧れるのだ・・・という論理には共感してしまったね。まあ結構ロマンチックな気分を抱けるので、フランス旅行に行こうと考えている人には、かなりお奨めの出来る映画かもしれないな。
評:蔵研人
製作:1986年 米国 上映時間:119分 監督:レナード・ニモイ
スタートレックシリーズは、スターウォーズに比べるとかなり地味で、提督役の俳優も余り好きではないので、二作位しか観ていない。ただ本作では、タイムトラベルを扱っているということなので、タイムトラベルマニアとしては、放っておけずDVDをレンタルすることになった訳である。
思った通り序盤は退屈でどうも肌に合わない。それで途中何度か、もう観るのを辞めようかと思ったが、やはりタイムトラベルが始まると、少し面白くなってきた。だが派手な事件も起こさず、タイムパラドックスも設定されていない。ただ23世紀から20世紀にタイムトラベルしただけという展開にやや失望した。
それに彼等がタイムトラベルした理由が、ちょっとこじつけ気味だ。つまり謎の飛行体によって地球の存亡が危ぶまれ、その飛行体が発する言葉がクジラ語だというわけである。だが23世紀では、すでにクジラは絶滅してしまったため、20世紀にタイムワープして、クジラを捕獲してくるという筋書きなのだ。なんだが、クジラ愛護団体の宣伝映画のようで、ちょっと納得し難い展開なのである。まあそこそこ楽しめたが、やはり私にとってこのシリーズは、いまいちの感が拭い切れない。
評:蔵研人
著者:内田 庶
一也と未来は、児童館の「昭和」をふりかえる写真展で、年月の異なる何枚かの写真に、同じ青年の姿が写っているのを発見して不思議な気分になる。そしてなんと会場に、その青年が現れたのだった。はじめは合成写真ではないかと疑っていた二人だが、青年が行った「ある実証実験」を見て、彼がタイムトラベルをしていることを信じないわけにはいかなかった。
青年の名前は西沢昭平といい、見知らぬ少女から貰った「時空大明神」のお守りによって、特攻機が墜落する寸前に、昭和天皇崩御の日にタイムスリップしたという。そしてその後にいろいろな時代にタイムトラベルをして、写真展の写真に写ったと言うのだ。
そしてこれから、太平洋戦争の原因となった満州事変をくい止めるため、過去に戻って歴史を変えるつもりだという。それを聞いた一也と未来は、危険だからダメだという昭平を説得し、一緒に昭和6年6月26日の満州へ跳んで行くのだった。
児童向けの小説なので、文字は大きいしページ数も少なく、分かり易い表現で記述されているため、凄く読み易くて嬉しかった。それで電車の行き帰りの一時間くらいで、あっという間に読破してしまった。
太平洋戦争の原因について簡単に触れていることや、当時の天皇についての記述などは少年少女向けに優しく解説されていてなかなか良かった。ただどうして昭平が、はじめから空襲の東京へタイムスリップして母や弟を助けなかったのか疑問が残る。これはもしかすると、家族の安否という個人的な事情より、日本人全体に拘わる戦争そのものを重要視したからかもしれない。
さて、それと未来の正体については、はじめからなんとなく判っていたが、彼女の役割が余りにもドライというか、マンガチックだったのはちょいと残念だった。もう少しパラドックスがらみで、ノスタルジックな展開を望んでいたのだが・・・。その辺りは児童書ということで割り引くしかないだろう。
評:蔵研人
著者:筒井康隆
もうかなり前の作品だが、筒井康隆の書いた、『家族八景』、『七瀬ふたたび』、『エディプスの恋人』という小説群がある。この3作は、全作が火田七瀬という、テレパシー能力を持つ美女が主役のSFで、『七瀬3部作』とも言われている。
『家族八景』は、七瀬が八軒の家のお手伝いさんをしていた頃のお話で、SF版『家政婦は見た』のようなオムニバス短編集である。彼女はテレパシー能力に勘づかれないよう、お手伝いさんとして8つの家庭を転々とする。超能力者ゆえに、それぞれの家庭に散在する欲望や狂気を読み取ってしまい、怒りと失望感を味わい葛藤してゆく。本書が三部作の中でも一番評価が高いようである。
『七瀬ふたたび』は、その続編であり、七瀬がいろいろな超能力者と出合ってゆく話。ここでタイム・トラベルが可能な超能力者と出会う。これもある程度連続性のあるオムニバス作品である。また『七瀬ふたたび』については、2010年に芦名星主演で映画化されているが、残念ながら余り評価は高くなかった。
そして最終巻の『エディプスの恋人』だけが、長(中)編で、作風もそれまでとは異なり、急にシリアスになってしまった。
そしてラストは宇宙だの神だのと、スケールも大きくなってくるのだ。だから、従来の展開を期待した筒井ファンには、余り評判が良くないようである。但し私の評価は決して低くはない。いろいろな展開があっても良いし、長(中)編で、じっくりと謎を解いてゆくのも楽しいと思ったからである。
評:蔵研人
著者:蘇部健一
イケメンパパの小早川は、美しい妻と可愛い娘に恵まれ、平和で幸福な日々を送っていた。ところがある日、娘が何者かに誘拐され、そのまま生死も確認出来ないまま行方不明となる。さらにそれを苦にした妻が自殺をし、彼はさらに苦境に追い込まれるのだった。
その後にひょんなことから、彼は再婚することになるのだが、生まれてきた二人目の娘は、不治の病に侵されてしまう。度重なる悲劇に、彼は絶望の淵にたたされる。
だが娘を難病から救う方法がひとつだけあるという。それは、何と秘密のタイムマシンに乗って未来へ行き、そこですでに完成している難病の薬を手に入れるという荒唐無稽な話だった。
タイムトラべルにからむパラドックスが盛り沢山なのだが、広瀬正やハインラインなどの臭いが強烈にする。また人間として絶対にやってはいけないことを平然と描いているのも気になった。
だから何となくキワモノの感があるのだが、タイムトラべルファンなら夢中になってあっという間に読破してしまうことだろう。
評:蔵研人
著者:フィリップ・K・ディック
医師のパーソンズは、ある日突然25世紀の未来へタイムスリップしてしまう。そこでは人種の混交が進んでいて、白人社会ではなく黄色人種が支配する世界に変貌していた。
また平均寿命は15歳で、廷命するための医療行為が重大な罪とされていたのである。だがこの変態的社会に異を唱える種族もいて、パーソンズは彼等によってタイムスリップさせられたのであった。
ディックの作品としては、余りにも遅過ぎる翻訳本であるが、読んでいて何となくその理由が理解出来た。つまりありていに言えば、ディック自身がほとんど評価していないほど、彼の駄作の一つだからである。
確かにストーリー全体の構成がちぐはぐだし、人物描写にも深味がない。だが後半になって、冷凍保存されているコリスをどうしても救えない謎に惹かれた。また過去へのタイムトラべルにおけるパラドックスとのしがらみも巧く描かれているではないか。
まるでこの後半のために無理やり創ったお話という気がしないでもない。そんなタッチのSF小説であるが、タイムトラべルファンなら、一度読んでおいたほうが良いだろう。
評:蔵研人
著者:川口雅幸
上下巻を合併しても約500頁程度の小説だが、なぜ上・下二冊に分冊したのだろうか。出版社側の経営判断なのだと思うが、文庫本を二冊合計して1000円を超える価格はちょっと読者側には厳しいね。だがそれにしても、どの書店にも平積されているところをみれば、かなり売れているのだろう。
著者の川口雅幸氏は、1971年生まれの中年男性であるが、ホームページ上で本作を連載していたという。それをアルファポリス社に見い出されて、2007年に単行本として上梓され、出版界にデビューしたという。最近こうした作家が増えてきたことは、同様の志を持つブロガーとしては実に喜ばしい限りである。
さてストーリーのほうだが、夏休みのある日、小学6年生のユウタは、亡父との思い出の残る山奥のダムを一人訪れる。そこでユウタは突然雷雨に襲われ、足を滑らせて気を失ってしまう。気がつくとそこは1970年代の村の中であり、まだダムも作られてはいなかった。
そこにはカブト虫やクワガタ虫がうじゃうじゃ生息し、蛍もたくさん飛び交っている。まさに失われた日本の原風景が目前に展開されていたのだ。そしてその世界では、同年令のケンゾーとの冒険、そして妹のような謎の少女・さえ子との出会いがある。
いずれは元の世界に戻らねばならない運命のユウタは、夏休みを思い切りこの不思議な村で遊びほうけることに決める。そしてやがてやってくる友たちとの別れの日…。
ラストはいきなり10年後の世界だ。そこで感動のクライマックスを迎えることになる。本作は、誰の心の中にも存在するノスタルジーを、甘く切ないオブラートで包んだファンタジー作品と言えよう。
やや子供向けの作品であるが、大人が読んでも十分楽しめるだろう。ただ少し残念なのは、過去にも未来にも亡父が現われないことである。そのあたりも含めて、余りにもべタ過ぎる展開が物足りない。無印良品ではあるが、ファンタジーとしては、もうひと捻りが不足していたのではないだろうか。
評:蔵研人
製作:2010年 米国 上映時間:117分 監督:マイク・ニューウェル 主演:ジェイク・ギレンホール
舞台は古代ペルシャ。時間を遡って過去へ行ける「時間の砂」をめぐっての、アクションアドべンチャー映画である。めまぐるしいアクションはもちらんのこと、古代ペルシャの街や城の映像もすごい。
また親子愛・兄弟愛・お姫さまとの冒険に、ちょっとしたタイムトラべル。神秘的で壮大なストーリー、そして懲悪勧善で安心して観られるラストシーン。さすがディズニーと手を叩きたくなるほどの出来映えであった。
主演はジェィク・ギンレイホールで、なかなかスピード感があり、セクシーでかっこよいね。またお姫さま役の女優もなかなか可愛いじゃないの。
僕はだいたいインディージョーンズとかハムナプトラといったアドべンチャー系が苦手なのだけれど、本作に限っては十分楽しく鑑賞出来た。やはりタイムトラべルがからむからであろうか。
評:蔵研人