著者:浅倉卓弥
本作はタイムスリップというSFアイテムを使った「歴史小説」であるが、このタイトルからは全くその内容を想像出来ないよね。また著者は10年間に亘って本作の構想を暖めていたという。そして本作を書きたいがために小説家になったらしい。だからこの作品を読んでいると、その確固たる情熱がヒシヒシと伝わってくる。
著者の『平家物語』 に対する造詣の深さには、ただただ感心するばかりだが、ことに「木曽義仲」に対するラブコールは強烈である。まるで著者こそが「巴御前」の化身であるかの如く義仲にのめり込んでいた。
この物語の舞台は、平家の衰退と源氏の台頭する時代にある。そしてその時代を確立させるために、なくてはならなかった三人の人物を、未来から呼び寄せるのだ。
タイムスリップさせるパワーの源は、『神』としか考えようがないが、この小説の中ではそれを『時』と呼ぶ。タイムスリップしてくるのは、白石友恵こと「巴御前」のほか、原口武蔵の「武蔵坊弁慶」、北村志郎の「北条義時」である。
この三人はもとの世界では、仲の良い友人だったりと縁の深い関係なのだが、過去の世界では敵対する関係に転換してしまう皮肉な定めなのだ。そしてそれぞれが、異邦人でなければ成し得ない歴史上の役割を担うのである。
巴御前は木曽義仲の妻として、彼に剣道の指導をしながら命がけで彼を守る。そして義仲ともども、平家を京都から追い払う。武蔵坊弁慶はやはり源義経に剣道の技術を授け、平家を壇の浦にて滅ぼす役割だ。
つまりこの二人の活躍により平家が滅亡し、源頼朝が天下をとることが可能になるわけである。さらには朝廷に対する恐れを全く持たない北条義時こそが、「鎌倉幕府」という盤石の組織を作り上げてゆく。
これは定められた歴史の一幕であり、何人もこの事実を揺るがすことは出来ない。だからこそ過去を知る友恵や武蔵ですら、結局はその大きな流れに逆らうことは不可能だったのである。
それにしても流石に、満を持して書き込んだお話だけに、もの凄い迫力であった。ところどころに脚色が見えるものの、結局は全てが見事に歴史にリンクしてゆく。
また著者自身が白状している通り、手塚治虫の『火の鳥』での死生感も併せて描き切っている。それはこのお話の狂言まわし「覚明法師」の容貌や、その不幸な生い立ちが猿田彦にそっくりなこと。平清盛の狂態や後白河法皇の悪役ぶりが、まさに火の鳥での描き方と同一であることでも判る。
この長い小説を読み終って、なにかホットするような、心が解き放たれるような、不思議な充足感が得られた。SF好きな人にも、歴史好きな人にも、映画好きの人にも自信を持ってお薦め出来る。会心の一遍であることは間違いないだろう。
評:蔵研人