タイムトラベル 本と映画とマンガ

 本ブログは、タイムトラベルファンのために、タイムトラベルを扱った小説や論文、そして映画やマンガなどを紹介しています。ぜひ気楽に立ち寄って、ご一読ください。

 タイムマシン、タイムトラベル、タイムスリップ、時間ループ、パラレルワールド、時間に関係する作品を収集しています。まだまだ積読だけで読んでいない作品がたくさんあるのですが、順次読破したら本ブログにて感想を発表してゆきますね。

僕を殺した女 4

著者:北川歩実

 それにしても随分と思い切ったタイトルをつけたものだ。それに「ある朝目覚めると主人公篠井有一は、ヒロヤマトモコという美女になっていた」という設定をどこかで聞いた事があるだろう。
 そう・・誰でもが知っている、「ある朝目覚めると僕は、巨大な毒虫になっていた」という、フランツ・カフカ『変身』の冒頭を思い出すはずである。この小説では、主人公の篠井有一が、女性に変身してしまっただけでなく、5年間の記憶も全くなくなってしまった、という設定になっている。

 最初は5年前の世界から、見知らぬ女性の体の中に篠井有一の心がタイムスリップしたのだと思った。ところがこの小説は、そうした時間テーマSFではなかったのだ。どちらかというと、サスペンスとかミステリーというジャンルなんだね。
 テーマは、主人公篠井有一の正体解明に終始することなのだが、本人の自問自答が中心であり、心象風景もコロコロと変貌してゆくんだね。
 そして話が進むに従い、SFよりももっと荒唐無稽な現実が、読者の前に剥き出しにされる。そして二転三転しながら複雑に絡みあったパズルを解いてゆくのだ。

 もしかすると、安部公房のような一風変わった純文学とも言えるし、夢野久作のようなサイコ小説といってもおかしくないだろう。
 それにしても、この北川歩実という作家は、男なのか女なのかさっぱり判らない。聞くところによると、年齢も含めて一切が不詳の覆面作家だというのだ。
 あの北村薫も当初は覆面作家だったというが、なんらかの賞をとれば、身元はバラさずにはいられない。
 ではなぜ覆面をするのだろうか。サラリーマンで、二足のワラジを会社に知られたくないのだろうか。それとも売れなくなった超有名作家の小遣い稼ぎなのだろうか。
 いずれにせよ売れっ子になれば、やがて正体が明かされる日も来るだろうが、こやつはただものではない気がする。

評:蔵研人

天然理科少年4

著者:長野まゆみ

 表紙の写頁は、吉田美和子さん製作の「美少年人形」である。とても清楚で幻想的で、この小説のイメージにピッタリだと思う。なお各章の扉には、ノスタルジックな詩と、コメント付きの美しい写真も飾られている。

 さてわずか147頁の薄っぺらな文庫本なのだが、なかなか丁寧に創ってあり、とても気分が良いのだ。
 放浪癖のある父親と二人で生活し、短期間に転校を重ねる少年が、ある田舎町で遭遇した不思議なお話を描いたファンタジー小説である。その淡々として瑞々しい人物描写と、センチメンタルな郷愁に、なんとなく昔読んだ『つげ義春』のマンガを思い出してしまった。

 また小柄な賢彦少年との巡りあいが、「バナナ檸檬水」というのも、古めかしさの中にお洒落な香りが漂っている。さらに父の名が「梓」で、少年の名が「岬」とは、二人ともなんと優しくロマンチックな名前ではないか。
 そしてこの名前の由来と父の心が、時空を越えて見事に繋がり、そっと宝石箱を開くように、煌びやかに過去が解き明かされてゆく。それはなんとも、心地良い締め括りであろうか・・・。

評:蔵研人

20世紀少年 全22巻+別巻2冊3

著者:浦沢直樹

 本作をタイムトラベル系の作品として紹介するのは、やや躊躇いがあったのだが、妄想的に過去と現代を行ったり来たりしているので、一種のタイムリープと考えてここで紹介することにした。

 それにしても浦沢直樹氏は、一体ポケットをいくつ持っているのだろうか。『YAWARA!』、『MASTERキートン』、『MONSTER』、『PULUTO』、そして本作『20世紀少年』と、全く毛色の違ったヒット作を、次々と書き続けている。天才というのか、感性豊富というベきか、あるいは努力家なのだろうか。
 ほぼ共通しているのは、登場人物が多く謎を小出しにし、しつこくそれを追いかけるというパターンであろう。あとローマ字のタイトルが好きだということかな・・・。それから長編物に限れば、話をどんどん広げてしまい、最終回になって急にボルテージが下ってしまう悪いクセもある。

 本作にもその傾向が現れていて、主人公と思れる人物が何人も登場する。つまり群像劇なのだ。最初はケンヂ、次がオッチョで、カンナへと繋いでゆく。そして時々「ともだち」が顔を出す。そんな具合で、最後は誰が主人公なのか判らなくなってしまった。
 そしてストーリーは、少年時代と現在をいったり来たり・・・。このような手法は、白土三平の『カムイ伝』そのものであり、浦沢氏も多分その影響を受けているのだろう。

 また『鉄人28号』もどきのロボットが登場するところから、ここで描かれている少年時代とは、昭和30年頃と推測される。浦沢直樹氏の年令からすると、まだ彼が生まれて間もない頃である。後に描かれる『PLUTO』も、『鉄腕アトム』のオマージュだから、同じく昭和30年頃のマンガの影響を受けているのだ。団塊の世代であれば分かるのだが、なぜもっと若い彼が、この時代に興味を持つのか聞いてみたいものである。
 この時代の東京は、車も少なかったし、土地も安かった。それであちこちに空地が沢山あり、三角べースの野球をしたり、キャッチボール等をしたものである。
 このマンガの主人公達も、そんな原っぱの空地で、隠れ家ゴッコをしていた。そしてそこで生まれた荒唐無稽な空想が、大人になって次々と実現されてゆくという展開なのだ。

 まず先に述べた『鉄人28号』もどきのロボット、細菌による世界壊滅、東京での万博開催などなどが、次々と現実のものとなる。これらの事件の主犯と思われるのは、「ともだち」と呼ばれる新興宗教の教祖で、ケンジたちの少年時代の友人なのである。だから少年時代に謎を解く鍵があり、それを現在起こっている事件と結びつけてゆく。
 少年時代の描写は、まるで『スタンド・バイ・ミー』の世界であり、自分の少年時代とも重なって、懐かしさが竜巻のように蘇ってくる。ちょうど同じ頃『三丁目のタ日』などのレトロブームが起こり、団塊の世代たちが小躍りしたマンガであろう。

 このマンガは、全22巻でやっと終了した。ところがその終わり方が、夜逃げをしたようで、すこぶる評判が悪いのだ。どうみても、無理やり店じまいをしたとしか思えない。
 新作『PLUTO』に早く乗り換えたくなったとも噂されている。これだけ引っ張ったのだから、ラストにはもっと感動的な「再会シーン」を用意して欲しかったよね。

 殊にこのマンガの大きな謎である「ともだち」の正体が、不明のまゝ終了した事には、強い疑念と不快感を表明したい。売れっ子マンガ家の悲哀というのか宿命というのか、浦沢氏に限らず強引に引き伸ばしたと思ったら、急に打ち止めという長編マンガが多いよね。
 せっかく楽しく読ませてもらっても、これでは水の泡である。大体10巻位で終了するような構成が一番艮い。そういう意味では、岩明均の『寄生獣』を見習って欲しい。このマンガは引き延ばそうとすれば出来たものを、きちっと無理なく10巻で完結させているではないか。

 また出版社側も営業第一だけではなく、もう少し読者と作品を大切にする心を育んでもらいたいものである。そういった不満が多かったせいか、その後別巻の上巻が発行された。これを読む限り、なるべく読者の不満を解消しようとする気配を感じた。
 ああ良かったと思ったのだが、そのあとに発行された下巻を読んだところ、まだ奥歯にものの挟まった状態に逆戻りなのだ。どうして浦沢直樹という人は、もったいぶるのが好きなのだろうか。彼は何のための上下巻追加発行だったのかを、全く理解していないようだね。それともこれが彼の限界なのだろうか。

評:蔵研人

異邦人 fusion4

著者:西澤保彦

 いゃ~驚いたな、それにしてもなんと面白い小説なのだろうか・・・。だから朝の出勤時に読み始めて、帰りの電車では一気に読了してしまった。西澤保彦の本は、『七回死んだ男』以来だったのだが、どうやら「SFミステリー」というジャンルを確立しそうな勢いを感じてしまったな。
 さてストーリーをかいつまんで紹介しようか。
 主人公の永広影二は、東京の大学で助教授をしていて、郷里に帰るため羽田から飛行機に乗る。搭乗前に空港から実家にいる姉の美保に電話を入れると、『月鎮季里子』の小説を買って欲しいと頼まれる。月鎮季里子とは姉の昔の恋人であり、現在は東京で小説家になっているというのだ。
 そう、姉の美保はレズビアンだったのである。そして季里子とかけ落ちする予定が、父の急死によって中止になり、意に反して家業の食堂を継ぐ羽目になってしまったのだ。

 「父の死」、それは23年前に郷里の砂浜で起きた殺人事件であり、今だに犯人が捕まっていない謎の事件である。もしこの父の死がなければ、美保も無理に養子をとって家業を継ぐ必要もなく、東京で季里子と幸福に暮らしていたはずだ。だが弟の影二を大学に入れるため、自己犠牲を選択してしまったのである。
 そうしたやり切れない過去が、たえず影二を悩ましていた。さてこの日は珍しく、昔美保が編んだセーターと、やはり美保にもらった腕時計を身につけていた。
 そして郷里の空港へ着陸した途端に、影二は23年前の世界へタイムスリップしてしまうのである。そこで偶然、まだ14才だった天才少女・月鎮季里子に出会い、3日後に起こるであろう、父の死を阻止することを決心するのだった。

 ・・・とまあざっとこんな感じで話が展開してゆくのだが、タイムトラべルやそのために引き起こされる「タイムパラドックス」についても、これでもかとばかり丁寧に解説されているのが嬉しい。
 ところで、新貨幣やクレジットカードなどは、過去に持って行けない。また手帳やボールペンは持って行けるものの、他人に渡すと消えてしまう。などなど、余り理論的ではない設定が気になったが、アイデアとしてはとても面白いではないか。もちろん作者も、このあたりは熟知していて、クドクドと言い訳がましい文章を繰り返していた。

 ではなぜそうした設定に拘ったのだろうか。例えば未来の品物を持ち込むことによって、歴史を歪めないためだとしたら、なぜ影二自身がタイムスリップ出来たのだろうか?
 その疑問については、作者が先回りして言い訳をしているのだが、なにかすっきりしなかったことは否めない。まあそれはそれとして、前半のノスタルジックな描写と、終盤の犯人探しに加えて父親が助かるのかどうか、の展開はハラハラドキドキで、ミステリー作家の面目躍如といったところだろうか。
 ただハッピーな終わり方は良いとしても、余りにもご都合主義過ぎる結未は、この作品の価値を少し下げてしまったような気がしてならない。もし終わり方さえもっと上手にまとめていたら、広瀬正の『マイナス・ゼロ』に並ぶ大名作に仕上がったのではないだろうか。そう考えるとつくづく残念あり、もったいない気分が充満してしまうのである。

評:蔵研人

柳生十兵衛死す 全五巻3

作者:石川賢

 柳生十兵衛が、パラレルワールドから攻めてくる魔人達を、バッタバッタと斬り捨ててゆく荒唐無稽な時代劇である。しかも敵の総大将は、徳川家康なのである。原作はあの山田風太郎であるが、なんと95%以上を石川賢流に大胆アレンジしてしまった。こうしたアレンジでは、夢枕獏の小説を自分流のマンガに変えてしまった、板垣恵介の『餓狼伝』があるがそれ以上の超改編アレンジなのだ。

 未来と江戸時代が同居し、そこに超人・魔人が入り乱れて、戦争さながらの大活劇が始まる。それを石川賢が、例のグログロでド派手なタッチで描くのだから堪らない。時は忍者たちが支配する世界で、徳川家康はもちろんのこと、秀忠や家光さらには本多忠勝や佐々木小次郎まで忍者なのだ。
 それにしても柳生十兵衛が、メチャメチャ強い。強いとなると、限りなく強くしてしまうのが石川流である。心理描写なんてどこにもない。ただひたすら強いだけなのである。それが永井豪を超えられない理由の一つかもしれないね。

 ストーリーはだんだんエスカレートしてゆき、いよいよ御大・家康の出番かと思わせておいて、いきなり途中で終了してしまった。最近納得いかないまま終了してしまうマンガが多いのだが、このマンガは本当に話の途中で終ってしまったのである。
 なにしろこれだけ大風呂敷を広げるだけ広げておいて、「あとは知らないよ」はないだろう。出版社の都合なのか、作者の都合なのか知らないが、全く失礼このうえない。読者をバカにするのもいい加減にしろと言いたい。
 ところがこの作品、ネット上では熱烈な支持を受けている「魔化不思議な幻の作品」なのである。ただ現在絶版になっているため、どうしても読みたければ、中古本を購入するしかないだろう。

評:蔵研人

タイムコップ 3

製作:1994年 米国 上映時間:99分 監督:ピーター・ハイアムズ

 主演がジャン=クロード・ヴァン・ダムなので、なんとなくひっかかるものがあったが、やはり予感が的中してしまった。
 タイムトラベルものということで、わざわざこの古い作品を借りてきたのだが、SF映画というよりはバリバリの「アクション映画」だったのだ。

 それはそれで良いとしても、タイムトラべル部分の設定がハチャメチャ過ぎるのだ。「エンタメなのだから、そうめくじらを立てずに楽しみなさいよ!」と言われそうだが、それにしても子供でも納得出来ないシーンが多過ぎるのである。
 まずあのデロリアンをレールに乗せたような安っぽいタイムマシンが許せない。そしてマシンが過去に到着したとたんに、消えてしまうのは更にチープである。そのうえ現在に戻るのは、リモコンもどきのコントローラーでOKとは・・・それなら最初からコントローラーだけで、過去に行けばいいじゃないか。

 またあれだけ頻繁に過去と現在を行ったり来たり出来るのなら、何度でもやり直しが出来てキリがなくない?。
 過去を変えると、現在が変わるのはパラレルワールドが発生しているからなのだが、それならそこにはもう1人の自分が存在するはずである。しかしそれを言ってしまうと、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を始めとする、全てのタイムトラべルものを否定することになるので、見て観ぬ振りをしようか。まあ細かいことにこだわらず、アクション映画として鑑賞することをお勧めするしかないだろうね。

評:蔵研人

イエスタデイ・ワンス・モア4

著者:小林信彦

 なぜこんな長ったらしく、気取ったタイトルをつけたのだろうか?。その疑問はラストのどんでん返しで解けるので、絶対に最後まで読んでみよう。
 著者の小林信彦氏は昭和7年生まれだ。そしてこの小説が書かれたのは、平成に入ってからなので、当時著者は50代後半である。それにしてはなかなか『粋なおじさん』だったんだと妙に感心してしまった。

 さてストーリーのほうは、主人公の高校生が、平成初期から昭和34年にタイムスリップし、そこで見様見真似の『危うい生活』を送る話が中心となっている。そして未来のTVで観たお笑いギャグを利用して、一躍売れっ子のTV作家になってしてしまうのだ。なかなかひょうきんでユニークな発想じゃないか。

 また古き良き昭和30年代の描写が、なかなか凝りまくっている。当時の著者は花の20代。たぶんかなり思い入れの強かった時代なのだろう。まるで彼の思い出話を、とくとくと聞いているようでとても微笑ましい。
 懐かしい東京風景はもちろんだが、主人公の育ての親である、多佳子伯母との再会のくだりが一番印象的だ。ことに若い伯母に迫られるシーンは、複雑な心境になってしまうだろう。自分だったら冷静でいられたかどうか余り自信がないね。

 途中までは、浅田次郎の『地下鉄(メトロ)に乗って』を髣髴させる展開であったが、甘く切ない浅田節とは異なって、明かるくバタくさいノスタルジーを感じた。
 ラスト近くになってタイムパトロールが登場するのだが、これが僕には気に入らない。それまで、せっかくノスタルジーの小部屋で甘い気分に浸っていたのに、土足で踏みにじられた感じがした。

 ところがこの展開は、Part2『ミート・ザ・ビートルズ』への複線だったんだね。
 『ミート・ザ・ビートルズ』では、ビートルズとホテルの一室で、念願の直接会話を果たすのである。そしてそれが、父と母のめぐり逢いの還流となるのだ。
 このPart2は、第一作には及ばないとしても、ことにビートルズファンには、味わい深いストーリー仕掛けとなっているはず。絶版になっているようだが、もし古本屋で見つけたら、是非「2本立て」で続けて読んでみようではないか。

評:蔵研人

サマー/タイム/トラべラー 1・23

著者:新城カズマ

 スラッシュが2つも入るタイトルなんて、そうザラにあるものじゃない。おかげでファィル名には使えないじゃないの(笑)。それにしてもこの作品は本当に小説なの?少なくとも前半はどちらかというと、小説仕立ての『時間テーマSF論』という感がしないでもない。

 主な登場人物は、タイムトラべルが出来る悠有を除けば、老成したような高校生ばかりであり、しきりに蘊蓄をひけらかす。ことにSF作家の名前や作品名がポンポン飛び出すので、SFオタクには嬉し懐かしだが、そうでない人には耐えられないかもしれない。
 それにストーリー展開が、えらくまどろっこしいと言うか、回りくどいのだ。まるでヒグマが潜んでいるブナの林道を、全く振り向きもせず、鼻唄まじりでのんびりと歩いているようである。

 それに『プロジェクト』などと気取っているが、単なる『SF同好会』じゃないか。ストーリーのほうも前半は、この同好会での蘊蓄大会に終始し過ぎて退屈で死にそうだった。
 それにこの物語にある地名は、全てが架空のものだというのに、もっともらしい地図を何枚も掲載する必然性がみえてこないのだ。いい加減にして欲しい。もう少し上手にまとめれば、わざわざ2冊にすることもなく、充分1冊に納まる内容である。

 ・・・と文句ばかり言いたくなる作品だが、後半になって急遽『学園ドラマ』から『ミステリー小説』へ脱皮し、ラストに至っては、まるで悠有のタイムトラべルの如く、猛烈な勢いで末来を通り抜けてしまうのだ。
 しかしエンジンがかかるのが余りにも遅過ぎるよ。読み辛い文章と退屈なストーリーで、ここまで無理やり引っ張っておきながら、今度はあっという間に終ってしまうしね。

 読了後の満足感もなければ、感動する場面もない。ただ著者が『夏への扉』と『ジェニーの肖像』の大ファンである、という確証だけが残った。しかしそれでも『SFが読みたい2006年版』でベストSF国内篇5位。さらに第37回星雲賞も受賞している。いつの間にか最近のSF小説は、オールドSFファンには、ついて行けなくなってしまったようだ・・・。

評:蔵研人

時をかける少女 アニメ版5

製作:2006年 日本 上映時間:100分 監督:細田守

 かなり昔に筒井康隆の原作と、原田知世の映画を観たが、女子高生がタイムスリップするということ以外は、綺麗さっぱり忘れてしまったようだ。原作の発表が1967年頃だから、もちろんケータイなんてないし、女子高生もあんな超ミニスカをはいているわけがない。
 始め原作を現代版にアレンジし直して、ついでに内容も大幅リメイクしたのだろう。・・・と思ったのだが、実は原作から数10年後を舞台にして、ヒロインを原作の主人公の姪という設定にしている。しかもアニメである。

 結果的にはこれが大成功の原因だったのかもしれない。当時上映館は僅か250席程度のテアトル新宿だったが、整理券を発行するほど超満員となり、「映画でこんなの初めてだわ」と若い女性たちも興奮ぎみであった。
 その後ネットでも断突の高評価を得ていたが、なにせ上映館が少な過ぎたし、東京ではテアトル新宿だけの単館上映だった。あまりにも大好評だったため、その後劇場を変えて再上映ということになったことも忘れていない。

 さて肝心なのは映画の中味のほうだが、これも評判通り上出来である。まるで写真のように精密に描き込まれた背景に、ひょろろ~んとして鼻のない柔らかいキャラがよく似合っていた。
 ストーリーは、明かるく活発な女子高生が、理科室で偶然拾った『あるもの』によってタイムスリップ能力を身につけてしまう、という学園SFファンタジー仕立てである。

 ただタイムスリップといっても、過去の自分に会うわけではなく、どちらかというと『リプレイ』するという感じだ。
 なかなか味わい深い展開であり、アニメとは思えないきめ細やかな感情描写に、思わず誰もがスクリーンの中にのめり込んでしまった。そしておっちょこちょいで男まさリだが、明かるく爽やかなヒロインが、とても上手に描かれている。

 笑いあり、涙ありの甘酸っぱく、ちょぴり切ないが、とても心地良いファンタジック・ラブストーリーであった。アニメに偏見を持っている人がいたら、是非この作品を観て考え方を覆して欲しい。そして日本アニメの真価を再認識してもらいたいものである。
 あのスクリーン一杯に埋めつくされた「ブルーの空と白く青味がかった入道雲」、そしてその空間を跳ぶヒロインの姿が実に美しい。まさしく青春まっただ中。これぞジャパニーズアニメの真髄といえよう。

評:蔵研人

あしたはきっと・・・3

製作:2000年 日本 上映時間:88分 監督:三原光尋  主演:吹石一恵

 ちょっと古い映画で、福山雅治と結婚した吹石一恵が主演の女子高生を演じている。
 従ってこの映画を観たのも20年近く前なのだが、そのとき「今時の高校生は、女子のほうから男子に「告白」するのかねぇ~」と感じたものだが、今ではそれも当たり前の時代になってしまった。世の移り変わりは俊足極まりないものである。
 
 騒がしい女子四人組と、田舎の町がなんとなくアンバランスな感じだ。空手部の先輩に恋心を告白する主人公の吹石一恵。その瞬間に振られてしまい失意のどん底へ。
 ところがそのとき、ブドウ畑で不思議な少女と出会うと、次の日にはまた前日に逆戻り。再度告白方法を変えてチャレンジするのだ。さてさてこの恋は成就するのだろうか。

 まるでビル・マーレイとアンディー・マクドウェルの名作『恋はデジャヴ』そのものである。だが残念ながら、完成度は『恋はデジャヴ』には、遠く及ばなかった。
 まず音楽がマッチしていないし、時間が戻るシーンにドキドキ・ワクワク感がないのだ。本来なら★★☆程度なのだが、自分の大好きなテーマなので、ついつい甘い評価点になってしまった。

 ただ喜怒哀楽を上手に眼で演技していた吹石一恵と、サバサバとした先輩役の沢木哲には好感を持てるだろう。またブドウ畑の不思議な少女については、すぐに正体が判ってしまったが、それでもラストの写真にはホロリとしてしまった。吹石一恵ファンやタイムトラベル好きの人なら一度鑑賞する価値はあるだろう。

評:蔵研人

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