タイムトラベル 本と映画とマンガ

 本ブログは、タイムトラベルファンのために、タイムトラベルを扱った小説や論文、そして映画やマンガなどを紹介しています。ぜひ気楽に立ち寄って、ご一読ください。

 タイムマシン、タイムトラベル、タイムスリップ、時間ループ、パラレルワールド、時間に関係する作品を収集しています。まだまだ積読だけで読んでいない作品がたくさんあるのですが、順次読破したら本ブログにて感想を発表してゆきますね。

寛永無明剣4

著者:光瀬 龍

 この著者は、いつも文章が重厚で堅いので敬遠気味だった・・・。だがこうした時代ものならば、かなりその味を生かせると思った。またもともと時間テーマSFだということは分かっていたので、時代劇は前半だけかと思っていたのだが、延々と約70%は時代小説そのものであった。

 ただ闇に潜むような、不気味で強大な敵の存在に、チラりチラリとSFの影が見え隠れしていたことは間違いない。だが終盤になると、突如として携帯用タイムマシンが大活躍し、江戸~古代~現代~超未来や亜空間を行ったり来たりし始めるのである。そのギャップの激しさに、ここら辺からついてゆけない読者も現れるかもしれない。

 物語の背景は「大坂夏の陣」が終わって19年後の世界である。いまだ世情は収まらず、江戸の町には機会があれば倒幕を企てる勢力が暗躍していた。そんな折、北町奉行所与力・六波羅蜜たすくは、柳生但馬守の刺客に襲われてしまう。なぜ柳生に狙われたのか、その謎も不明のまま、次々と不可解な暗殺事件が起こるのだった・・・。

 また2系統の敵が存在し、双方が探している『さざれ石』と『女子』の謎の解明が、この小説最大のハイライトだと思うのだが、十分な解説がなされていないため、消化不良を起こしかねないところがやや残念である。
 それにしても、著者はハードメカや歴史背景などを重々しく描くのは得意なのだが、細かな心理描写は苦手なようである。しかしながら、上手に江戸時代の歴史背景を一捻りしながら、荒唐無稽な話の辻褄を合わせ、この小読を描き続けた著者も、『昭和無明筆?』の達人といえるのかもしれない。

評:蔵研人


美亜へ贈る真珠4

著者:梶尾真治
 
 梶尾真治の短編はかなり好評である。ただ彼の書く短編には、二通りの風味がある。一つは筒井康隆流のドタバタ味、いま一つは叙情詩のようなリリカル味だ。私の好みは、断然後者のリリカル味であり、幸い本作はその代表作でもある。

 本作は未来だけに一方通行する航時機(タイムマシン)に乗ってしまった恋人を、外から何十年も見つめ続ける女性の切ない恋心を見事に描いている。このお話の中では、彼女が彼にもらった『真珠』の存在がキーになっているようだ。そしてラストのどんでん返しも、この『真珠』によって表現されているのである。

 なんと切なく美しい小説なのだろう。だがこのラストの描写の中で「七色に輝く真珠は殖え続けていたのです。」という記述が、何度読み返してもどうしても理解出来なかった。航時機の中での時間の経過が異常に遅いので、落ちてゆく真珠の残像がそう見えるのだろうか。自分の貧弱な読解力に、ちょっと悲しくなってしまった。
 本作は短編集『美亜へ贈る真珠』に収められているが、その中に本作と似た味がする『詩帆が去る夏』も掲載されている。こちらはタイ厶テーマではなく、愛する女性のクローンを育てる話だが、本作よりも判り易くもっともっと切ないお話だった。

評:蔵研人

あの夏に・・・4

著者:折原みと
 電車の中で少女向けの講談社X文庫を読み、おじさんはかなり恥ずかしかった。だってカバーを見ればわかるけど、少女マンガ家でもある著者が描いた『瞳の大きな女の子のイラスト』が、堂々と大きく描かれているからである。

 さてストーリーのほうは、映画の撮影中に、アイドル女優である日米ハーフの少女が、原爆が落とされる1ヵ月前の広島にタイムスリップするところから始まる。そしてそこで、同い年でありながらも、心優しく正義感の強い青年と知り合い、恋に落ちてゆくというお話である。所々にイラストが挿入してあるページもあるし、文体も平易で大変読み易いと感じた。

 さてネタばれになるため、ラストシーンの詳細は秘密なのだが、巧みに過去と現在を結合して締めくくっているところが見事であった。また当時の人々の純な気持ちが伝わってきて、誰もがジ~ンと心を打たれてしまうだろう。何年経っても大切なものは変わらない。少女向けの小説とはいえ、決して侮れないのである。

評:蔵研人

時間街への招待状4

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著者:亀和田武

 なんとロマンチックで、ファンタジックな響きを持ったタイトルなのだろうか。絶版になってしまった古い本だが、是我非でも読みたいという欲望に駆られてしまった。
 そこであちこちの古本店を探したが、なかなかこの本に巡り逢えない・・・。諦めかけていたとき、偶然ブック・オフでこの本を見つけた時は、思わず小踊りしてしまった。

 著者の亀和田武は、かなり昔に『劇画アリス』というエロ漫画雑誌の編集長をしていた時期がある。当時この雑誌は、自販機販売という画期的な販売方法を取り入れ、エロ御三家としてマニアの間では評価の高いエロ漫画雑誌だった。
 それらは、全て若かりし日の亀和田の手腕と人脈によるものだという。その後彼は、当時流行していたSF作家になり、その後ワイドショーのコメンテーターのような仕事もしていたようである。

 彼の作品は、ほとんどが短編であり、幻想的でシリアスなタッチと、荒唐無稽なドタバタ調の二つの味がある。シリアスなほうは、まるで文学青年が書いた私小説ような感じがして、とても清々しい味がする。それでなんとなく彼が寡作だった意味も分かった。
 さて本書は、わずか281頁の手軽な厚さであるが、その中には超短編も含めて、15編の作品が掲載されている。そのうち時間テーマSFと呼べるものは、『1966年冬、ハートブレイク・ホテル』、『時の因人』、『嫌われ者のルーツ』、『時間と街路』の4作だけである。

 『時間街への招待状』というタイトルから、全ての作品が時間テ一マSFだと思い込んでいたので、期待を外されてしまった。しかしながら、時間テ一マ以外の作品にも、かなり傑作が含まれていたので許すことにしよう。
 ことに、『海獣島』、『目覚めよと呼ぶ声あり』、『ア・ロング・バケーション』が、私のお気に入りである。時間テ一マのほうは、『時の因人』、『嫌われ者のルーツ』が、ドタバタ調で、『1966年冬、ハートブレイク・ホテル』、『時間と街路』がロマン私小説風という感じだ。
 私の趣味は、後者の二作のほうである。ともに青春時代に失った彼女への思いが、現在に繋がってくるお話だが、ストーリーとして優れている『時間と街路』より、むしろ『1966年冬、ハートブレイク・ホテル』のほうを選びたい。前者は切なくて心を打たれるものの、後者の「これから何かが変わりそう」な結末が好きだからである。

評:蔵研人

未来(あした)のおもいで4

著者:梶尾真治

 藤子不二雄原作で、工藤静香主演の『未来の想い出』という、タイムスリップものの映画があるが、それと本作品は全く別物なので間違えないで欲しい。本作は『黄泉がえり』の原作者である梶尾真治の、SFファンタジー小説である。

 デザイナーの滝水浩一と27年後の美女「藤枝沙穂流」は、白鳥山頂で突然起こった時空のゆがみに巻き込まれ、時を超えてめぐり逢うことになる。そのときは時空を超えたことにも気付かず、短かい会話を交しただけで別れた二人だったが、それぞれが元の世界に戻ると、お互いに忘れられない存在となるのである。

 ただいつも未来と過去の時空が繋がっている訳ではなく、その後はなかなか逢うことができない。ところが山頂のある場所だけは、時空が重なっているのか、物体だけが時空移動が出来ることに気が付くのである。
 そこで二人が考えたのが、箱の中に手紙を入れて、「時空文通」をすることだった。どちらがパクッたのかは不明だが、このアイデアは韓国映画『イルマーレ』と全く同じなのでニヤリとしてしまう。

 このストーリーの後半、27年後の世界で沙穂流が、滝水の友人だった長者原という初老の男に会った時点で、全ての結末が推測出来てしまった。もう少しドキドキ・ハラハラさせて、ラストにどんでん返しがあっても良かったのではないか。余りにも予想通りにサクサク進んでしまったのが少し残念だ、もうひと捻りの工夫が欲しかったね。

 文庫本で239頁、そのうえ活字が大きく行間もゆったりしている。さらに平易で判り易い文章なので、通勤の行き帰りにあっという間に読破してしまった。多少もの足りなさを感じたが、タイムスリップものが好きで、清潔な純愛に憧れている人なら、爽やかな感動を味わうことが出来るはずである。

評:蔵研人

五分後の世界3

著者:村上龍

 まずこのタイトルに惹かれ、しかも著者が村上龍であることを知り、この古い本を読む決意をした。
 文庫でわずか293頁の作品なのであるが、主人公は初めからいきなり訳の分からない戦場で、国連軍とアンダーグラウンドとの戦争に巻き込まれてしまう。そして主人公の名前が、小田桐ということ以外は全く固有名詞が出てこないのである。
 そもそもここでいう国連軍が、我々が知っている現在の国連軍なのかも判らないうえ、「アンダーグラウンド」なんぞというのは聞いた事もない。スターウォーズの悪の帝国を真似たのだろうか・・・。

 そして主人公の小田桐は、訳の判らない戦闘と労働を強いられるが、彼の周囲にいる人間のほとんどが混血で、日本人は26万人しか存在しないという。さらには、オールドトーキョーだのオサカなどというスラム化された町があるという。もしかすると核戦争で人類はほぼ絶減し、わずかに残ったミュータントのような人間達が、性懲りも無くまた戦争をしているのか?それでオールドトーキョーは昔の東京のことで、オサカは大阪のことなのだろうか?・・・。

 などと考えるうちに戦闘シーンが激しくなり、体中が燃え尽きたり、手足や顔が肉片となり吹き飛んで、死体の山が積まれてゆく。一体何で、こんな所にいるのか、何故こんな戦いをしているのか、小田桐は何物なのか、何も判らず説明もなく、ただただ残酷な殺戮シーンだけが延々と121頁まで続くのだ。
 これではまるで、SFアクション映画ではないか!これは小説なんだろ、しかも芥川賞作家の村上龍の作品だよな!それに彼は、あとがきで最高傑作と自我自賛しているではないか、「そのうちきっと面白くなるのだ・・・」自分に何度もそう言い聞かせながら、ブン投げたくなる気持ちを押さえながら、シンドイ気分でページをめくり続けた。

 121頁まで延々と続いた戦闘シーンがやっと一段落し、第5章「アンダーグラウンド」へ進む。小田桐はここから文字通り、地下にある「アンダーグラウンド」という世界へ連れてゆかれる。そしてここで、この世界の正体を知ることになるのだ。
 小田桐が現在いる世界は、『五分後の世界』というよりは、なにかの拍子に迷いこんでしまった『パラレルワールド』だったのだ。そしてその世界では、今迄彼が住んでいた世界とは5分間のズレが生じていたということなのだが、なぜ5分間のズレがあるのかは、結局最後まで全く不明であった。詰るところラストシーンで『ある決心』をすることを、示唆するための一種の小道具に過ぎなかったのだろうか。

 さてこの『パラレルワールド』は、大平洋戦争で日本が広島、長崎に原爆を落とされても、連合軍に降伏しないまま、さらに小倉、新潟、舞鶴にも原爆を投下され、それでも降伏せずに、延々と戦争を続けている世界だったのだ。
 そして本土は、続々と連合軍に占領され、わずか26万人になってしまった日本人達は、地下2000mに逃げ込んで、そこに小都市を創ったという。それが「アンダーグラウンド」と呼ばれる場所なのである。それでも彼等は、依然としてゲリラ戦を続けて、連合軍との戦いを辞めようとしないのだ。

 しかも天皇は、スイスに逃れているという。一体日本人は何のために、そこまで戦いを続けるのか。それはアインシュタイン博士に言わせると、『自由と勇気とプライド』のためなのだそうだ。
 まるでアラブ系の自爆テロ集団や北朝鮮のようではないか。おそらく平和ボケした、現在の日本人達に対する痛烈な皮肉なのだろう。
 ところでこの辺りから、やっとこの世界のバックグラウンドが見え始め、この小説の行く末が気になり出すのだ。そして美人将校のマツザワ少尉の登場や、その家族達の生活や慣習を知るうちに、一瞬なんだか懐かしく、心良い気分になってしまった。
 その後「アンダーグラウンド」に住む世界的ミュージシャンであるワカマツのコンサートが、オールドトーキョーで開催されることになり、小田桐は護衛兵とともに「アンダーグラウンド」を出発する。これは小田桐を元の世界に戻すための旅でもあったのだが・・・。

 そしてまた100頁以上の暴動と戦闘が、ラストまでいやと言うほどしつこく続くのである。せっかく新たなる展開に、心を弾ませた私が甘かった。もう勘弁してくれと、祈るような気持ちで、やっとこの小説を読み終わったときは、精魂尽き果てて、くたくたになってしまった。著者の強烈な信念と、チャレンジ精神には脱帽するが、もうこんな実験小説にはつき合いたくない。

 ところが巻末の解説文で、渡部直已氏は、「作者が主人公の内面について一切説明せずに、ひたすら戦闘場面にのみ直面させられ続ける状況」を次のように語り、この作品を絶賛している。
 『すなわち、主人公の決定的な改心(コンバート)を、戦闘描写(コンバット)の異様な持続そのもののなかから引きだそうとすること』
 ・・・さすがにプロの評論家は、するどい視点と臭覚と文体を駆使して、ゼニのとれるレビューを創り上げるものだと感心してしまった。

評:蔵研人

蒲生邸事件4

著者:宮部みゆき

 やっとこの分厚い本を読み終わった。頁数は425頁だが、小さい字で2段に組んでいるので、実質は約800頁近くあるのではないだろうか。
 ストーリーのほうは、予備校受験中の主人公・尾崎孝史が、ひょんなことから昭和11年にタイムスリップしてしまい、そこで二・二六事件と絡んだ、蒲生邸で起きた『ある事件』に巻き込まれてしまうという流れである。

 あとがきで著者も述懐しているが、二・二六事件については、深く掘り下げて研究しているわけではないし、それ自体をテーマにしている訳でもない。あくまでも、運命の4日間の中で『蒲生邸に起きたある事件』と、『蒲生邸に住む人々の奇妙なお話』がメインテーマであり、二・二六事件はその伏線に過ぎないのだ。

 またタイトルから想像すると、『クラシカルミステリー』の趣が漂ってくるのだが、この小説が日本SF大賞を受賞していることからも、タイムスリップに照準を合わせていることがわかる。ただ本格的時間テーマSFとするならば、その理論構成やストーリー展開にもう一工夫して欲しかった。
 例えば主人公が現代に帰る場合に、昭和11年と同時間が経過しているというのも説得力がない。これでは1年単位のタイムスリップしか出来ないことになるが、そのことの説明が全くなかったと思う。

 また個人レべルの小さな過去は変えられるが、歴史の大きな流れは変えられない、とする理論にはそれなりに納得するのだが、それでも過去を変えた場合は、パラレルワールドの存在を無視することは出来ないはずだ。しかしこの小説ではパラレルワールドについては、一切触れていない。それならば、いっそ小さなことであっても過去の事象は、一切変えられないということにしてしまったほうが、正解だったのではないだろうか。

 宮部さんの作品には、ミステリーやらSFやら社会派推理やらの多重ジャンルものが多いので、今回もたまたまSF大賞を受賞したものの、やはりジャンルの定まらない作品だったのかもしれない。また読者がタイムスリップ理論にうるさくこだわる人でなければ、どうでも良いことだし、そもそも過去へのタイムスリップ自体が、あり得ない事象なのだからむきになるなと反論されればそれまでである。

 SF的にはつっこみ処が多いものの、全搬的には良く出来た小説だと思う。前半の約1/3は、淡々とした展開に少々退屈だったが、孝史が『美少女ふきの末来を救う』ことを決意するあたりから、俄然心のエンジンが全開となってしまった。
 もしもラスト近く、過去と現代が繋がる部分の描写で、広瀬正の『マイナスゼロ』や、米国映画の『ある日どこかで』を思い浮べる人がいたらかなりのSF通であろう。
 とにかく宮部さんの粘り強い情報収集力には、いつもパワーを感じるし、情報とストーリーとの巧みな融合センスには、いつも驚き感心してしまうのだ。

評:蔵研人

6時間後に君は死ぬ4

著者:高野和明

 なぜか他人の非日常未来が見えてしまう「予言者」山葉圭史が絡むオムニバス中編集である。タイトル作品のほか『時の魔法使い』、『恋をしてはいけない日』、『ドールハウスのダンサー』、『3時間後に君は死ぬ』の5作を収録している。1~4話までは若い女性が主人公で、圭史はそれを助ける役割となる。SFと言うよりは、サスペンス、ミステリー、ファンタジーという趣であった。

 また『3時間に君は死ぬ』は、タイトルの『6時間後に君は死ぬ』の完全続編で、5年前に出逢った山葉圭史と原田美緒が再会を果たす。そして3時間後に起こる大惨事を食い止めようと、ハラハラドキドキの探索を行うのである。続編でありながらも、『6時間後に君は死ぬ』よりずっと面白かった。

 『時の魔法使い』と『恋をしてはいけない日』は、まるで梶尾真治の描く時間テーマラブファンタジーを髣髴させられる。もしかすると著者も梶尾真治のファンなのだろうか・・・。
 私的に一番感銘を受けたのが、『ドールハウスのダンサー』で、現実を人形に置き換えたかのような魔可不思議な世界に惹き込まれてしまった。
 主役というわけではないが、全編を通じて登場するのが、ビジョンという予知能力を持つ山葉圭史であり、この中編小説のアテンダーでもある。代表作『13階段』を書いた高野和明とは全く別人のような話の展開に、思わず著者の貪欲さと懐の広さを感じてしまった。

評:蔵研人

異人たちとの夏 映画3

 山田太一の小説を読んでから、この作品が映画化されていることを知った。監督はファンタジー作品の大御所である大林宣彦監督で、主演は風間杜夫、恋人役に名取裕子、父親役は片岡鶴太郎、そして母親役に秋吉久美子と、ハマリ役揃いである。これではこの映画を観ない訳にはゆかない。ただこの映画が上映されたのが、1988年と古過ぎるため、レンタルビデオ店で探し出すのが一苦労だった。

 映画の良いところは、昔ながらの浅草の街並や寄席の雰囲気を、ほのぼのとした映像で表現出来たことだろう。母役・秋吉久美子のアッパッパーやシュミーズ姿には、古きよき時代の懐かしさを感じて泣けてしまった。また自分より若いが頼りになる父役を、片岡鶴太郎がこの人しかいないという程見事に演じている。

 この映画は原作に忠実で、ほぼ原作通りの展開なのだが、二つの大きな問題点があった。ひとつはネットで皆さんが指摘している通り、名取裕子と別れるシーンだ。あれは酷すぎる!せっかくすき焼き屋で流した熱い涙が、一辺に乾いてしまったではないか。そしてその時点で、B級ホラー映画に転落してしまったようだ。一体大林監督は何を考えていたのかと、首を傾けざるを得ない。

 もう一つの問題点は、主人公が離婚して一人息子ともしっくりせず、狭いマンションで1人寂しく暮らしていた、というバックボーンをじっくり描いていないことである。この重要な事実を省略してしまったことは、致命的なミスである。つまり主人公のこうした心理的な疲労感がなければ、異人たちを呼び起こすこともなかったからに他ならない。これだけの俳優と名監督をしても、原作の小説には遥かに及ばなかったのが非常に残念である。

評:蔵研人

異人たちとの夏 小説5

著者:山田太一

 かなり昔出版された小説で、確か映画も上映されていたはずである。なにしろ出だしから最後迄ずーと面白いし、文庫本で220頁の薄い本なので、あっという間に読み終わってしまった。内容は荒唐無稽でちょっと変わった作品だが、SFやホラーというジャンルではなく、純文学でもない。
 そこには山田太一ワールドが広がっていた、というより言いようがない。登場人物は死んだはずの父母と、恋人、友人、別れた妻と圧倒的に少ないのに、なんとなく賑々しい感じがするのも不思議なのだ。たぶんそれは自分よりずっと若い父母と、浅草の街の取り合せが、実にしっくりとしていて、陽だまりのようなノスタルジーを肌に感じたからであろう。

 この若い父母は主人公が小さい頃に、交通事故で亡くなったはずなので、結局は幽霊ということになるのだが、どちらかというと主人公が異世界へ迷い込んだと言っても良いかもしれない。
 私自身も父が亡くなった年令から二回り以上超えてしまったし、とうとう亡母の年令もとっくの昔に超えてしまった。それで他人ごととは思えず、まるでこの小説の中で、自分自身も亡父母に巡り会ったのかと錯覚してしまい涙々の嵐なのだ。
 それにしても昔の人は皆しっかり者だった。30才を過ぎれば皆一人前の大人だったし、うだうだ言わずによく働いていたと思う。だから父親は頼りがいがあったし、反面怖い存在でもあった。一方母親は優しく、自分の事よりいつも夫や子供のために生きていたものだ。

 この作品に登場する亡父母に、自分の亡父母の影が重なり、私の心も父母が生きていた時代に跳んでしまった。こうなったら、もう涙が流れ出して止まらないのだ。ただ同時進行してゆく胸に火傷の跡がある女との恋は、切なくもの悲しい。そしてラストには、用意周到なドンデン返しが待ちかまえているのである。
 この手のお話を理解するには、少なくとも40年以上の人生経験を積んでいないと辛いかもしれない。とはいっても、きっと若い人達にも何かを感じるところがあるはずである。

評:蔵研人

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