タイムトラベル 本と映画とマンガ

 本ブログは、タイムトラベルファンのために、タイムトラベルを扱った小説や論文、そして映画やマンガなどを紹介しています。ぜひ気楽に立ち寄って、ご一読ください。

2019年06月

さよならの代わりに3

著者:貫井徳郎

 なんと綿密で用意周到なストーリーなのだろうか。ミステリーなのかSFなのか、最後の最後まで明かさないところがなかなか憎いね~。
 劇団『うさぎの眼』の一員である主人公和希は、未来からタイムスリップして来たと言い張る祐里とつき合ううちに、ある殺人事件に巻き込まれてしまう。
 この殺人事件の犯人が、なかなか判らない。終盤になって犯人が解明されると、なんだと思うくらい当たり前の人物が犯人だった。普通ならこいつが犯人だと思わせて、実は全く思いがけない人物が犯人だったりするものだが、このあっさりし過ぎた展開は、逆に新鮮に感じるから面白いものだ。

 またタイムトラベル中に、インターネット上のフリースペースを使うというアイデアが斬新で見事だったね。おそらく僕の知っている限りでは、初めて登場したタイムトリックである。
 ラストは実に切ない結末であるが、不思議と涙が出てこなかった。『さよならの代わりに』祐里が残した言葉が、明かるい別の未来での再会を暗示しているからであろうか。ヒシヒシと、心に染み込んで琴線に触れるような、しみじみとしたお話だった。

評:蔵研人

もしも昨日が選べたら4

製作:2006年 米国 上映時間:107分 監督:フランク・コラチ 主演:アダム・サンドラー

 『クリック』という原題もつまらないが、この邦題もちょいと誤解を招き易いタイトルだ。つまり何度も昨日をやり直す、『ターン』あるいは『恋はデジャヴ』のようなストーリー展開なのかと勘違いしてしまうからである。

 この映画の流れは、仕事と家庭サービスの板挟みになったアダム・サンドラーが、ひょんなことから『人生万能リモコン』を手に入れ、人生を操るつもりが、実は操られてしまうという仕組みなのだ。
 この『人生万能リモコン』は、リモコンを向けた先が、TVであろうがガレージであろうが、はたまた動物でも人間でも何に対しても効力を発揮するのである。
 例えば、犬の声がうるさければ、リモコンを犬に向けて「消音ボタン」を押せば、犬の泣き声が聞こえなくなる。また面倒な事態が生じたら、「早送りボタン」を押せば、猛スポードで面倒な事態がスッ跳んで行くのだ。

 さらにはリモコンを自分に向けて「巻戻しボタン」を押せば過去に戻る事も出来る。まるでドラエモンの「ポケットタイムマシン」である。
 ただし未来には行けるものの、過去に戻るほうは、過去の映像を観ることしか出来ない。だからタイトルのように、昨日を選ぶ事は出来ないし、やり直しも利かないのだ。これがこの映画の最大のポイントになるのだから、冒頭で邦題のつけ方がおかしいと言ったのである。

 まあ・・・だからといって、この映画がつまらないわけではない。どちらかと言えば、かなり面白い映画だしリモコンのアイデアも見事である。
 また前半はコメディで、中盤のリモコンを使いまくる派手なシーンは、ジムキャリーの『マスク』を髣髴させられるだろう。そして後半はややシリアスタッチに変って、かなり泣かされる事になる。涙あり笑いあり、多彩な音楽にアクションとスピード感も満点と、まさにエンターティンメントの王道のような映画なのだ。
 そしてエンディングクレジットを観ながら、誰しもが主人公の人生を、自分の人生に重ね合わせ、しみじみとした気分になるであろう。ただ難を言えば、余りにも大味でご都合主義のアメリカンタッチである事と、家族全員が皆良い人ばかりなのが鼻につくかもしれない。

評:蔵研人

削除ボーイズ03264

著者:方波見 大志

 第一回ポプラ社小説大賞を受賞したSFジュヴナイル。ミステリアスな展開もあり、大人が読んでも十分楽しめる作品に仕上がっている。
 主人公は小学生なのだが、いやに老成している感がある。ブログを運営したり、株の売買をしたり、好きな異性に告ったりと、まさに高校生も顔負けなのだ。
 それとも僕が遅れているだけで、最近の小学生達は、実際にこれほどマセコケてしまったのだろうか。TVやネットの影響を考えると、そうであっても不思議ではないがね。小学生達の実態を知っている方がいたら、この際に是非教えて頂きたいものである。

 さてこの小説で大活躍する削除マシンは、過去の一定時間を削除してしまうという、一種のタイムマシンである。だが過去を削除すると、タイムパラドックスにより現在も変わってしまう、という大きなリスクが伴うのだ。
 またタイトルの「0326」とは、削除マシンで削除出来る最大時間「3分26秒」のことを指している。だがマシンを使っているうちに、この時間もだんだん短かくなってくるのだ。その短い時間設定は、話の拡散と矛盾の坩堝にはまらないための安全装置なのだろう。

 あえて結論を出さずに終幕となってしまったのだが、読者に結末をバトンタッチする手法は、決して間違ってはいないはずである。342ページの厚い本ではあるが、会話が多く読み易いので一気読みしてしまった。

評:蔵研人

クロノスジョウンターの伝説4

著者:梶尾真治

 クロノスジョウンターとは、簡単に言えば「タイムマシン」のことである。命名したのは梶尾真治だが、クロノスとは時間の神であり、ジョウンターは、A・べスターのSF『虎よ虎よ』に書かれたジョウント(瞬間移動)をもじっているらしい。
 ストーリ一は、このクロノスジョウンターに試乗した4人の軌跡を、オムニバス風に4つの短編に分割して描いている。クロノスジョウンターは、タイムマシンであるが、過去に行くには限界がある。そして過去に滞在している時間が限られており、時間がくると自動的に未来に飛ばされてしまうのだ。

 また過去に行くほど、その反動が強くなり、より遠くの未来に飛ばされる仕組みになっている。それがこの物語を面白くしている最大要因であろう。だから背景は同じでも、どの作品にも独特の雰囲気があり、どれもが同じくらい面白いのだ。
 一作目は、一目惚れした女性を救うために、1時間前にタイムスリップする男の話。
 二作目は、取り壊されてしまった骨董品的な古い旅館を観るために、5年前に戻る男の話。
 三作目は、少女時代にあこがれた青年の命を救うために、完成された薬を持って過去へ戻る女医の話。
 そして最後の四作目は、他の三作とはやや異なり、『クロノス・コンディショナー』という、過去の自分の体に心だけが戻る、というマシンを体験した女性の話で、外伝扱いとなっている。

 どれもがファンタジックな恋愛物語で、しかもどの作品を読んでも、心がハッピーになれるのが嬉しい。
 最近、昔の時間テーマアンソロジーを読んだが、ほとんどがドタバタタッチの短編SFでうんざりしてしまった。ところが梶尾真治の時間テーマものは、SFというよりファンタジーの香りが強い。そしてリリカルでロマンチックである。もちろん好みの問題であるが、僕はそんな味が大好きなのである。
 それから映画用ということで、この『クロノスジョウンターの伝説』を大幅に書き直した作品が、ノベライズの『この胸いっぱいの愛を』であることを付け加えておこう。

評:蔵研人

イルマーレ(米国版)3

製作:2006年 米国 上映時間:98分 監督:アレハンドロ・アグレスティ 主演:キアヌ・リーヴス、サンドラ・ブロック

 この映画は、2000年製作の韓国オリジナル版をハリウッドでリメイクしたものである。『イルマーレ』とは、イタリア語で”海”のことらしい。だからオリジナル版では、あの家は海辺に建っていた。
 ところが米国版では、湖畔の家に変わっていたのである。従って『イルマーレ』は邦題で、原題は『The Lake House』となっていたのである。

 テーマは“2年の時空を超えた文通恋愛“ということで一致しているが、バックボーンの設定には、かなり変更が加えられていた。
 まず主役の二人だが、米国版はご存知『スピード』コンビの、キアヌ・リーブスとサンドラ・ブロックであるが、オリジナルはイ・ジョンジェとチョン・ジヒョンという一回り以上若いコンビでなのである。
 ここでは若い二人が演じるオリジナルに、軍盃をあげたい。やはり“時空を超えた文通“などというは、当然純情な若者同士のほうが似合うからだ。
 それでもあえてキアヌとサンドラを起用したのは、リメイクという名に対するヒガミだろうか。それで『スピード』以来の大物俳優コンビが、客寄せパンダに指名されたのかもしれない。

 それから家の前に建つ時空を超えるポストだが、オリジナルではロマンチックなデザインでやや大きめのポストだったのに、米国版は何の変哲もない古ぼけた小さなポストなのだ。このポストこそ、この作品の本当の主役なのであるから、もう少し夢のあるデザインに出来なかったのだろうか。こんなところに、この監督のデリカシーのなさが顔を出してしまうのだ。
 あと家のデザインもオリジナルのほうが良かった気がするが、これは好みの問題かもしれないし、オリジナルの家は少しキンキラキンかもしれない。
 米国版がオリジナルに劣るようなことばかり書いてしまったが、やはり街の風景や音楽、そして全搬的な映像の美しさは、米国版のほうが断然素敵である。そして大人の味がする。だからデートで観るなら米国版のほうが、絶対に盛り上がるだろう。

 恋する二人はポストでは繋がっているものの、文通が始まった時、キアヌが2004年、サンドラが2006年に住んでいるのだ。そしてスクリーンは2004年と2006年を行ったり来たりする。だからこの物語の流れを多少理解していないと、何が何やら判らなくなるかもしれない。
 またオリジナルとの比較になってしまうが、オリジナルは2年の時空のズレによる悲恋を描き、全搬的に切なくリリカルロマンスの香りがする。そして二人はなかなか巡り逢いの扉を開くことが出来ないのだ。

 一方の米国版は、あっさりと巡り逢ってしまい、彼女の居場所まで判ってしまうのだから、なぜすぐにアタックしなかったのかの疑問が残る。そして時空の違いに苦悩することも少なく、簡単に結ばれてしまったような気がするのだ。これは国民性の違いだと思うが、同じアジア民族としては韓国の感性のほうに同調してしまうのである。
 また二人とも恋人らしき異性が存在しているのだが、どういう関係なのだろうか。また彼等の存在そのものに何か意味があったのだろうか。
 最後にタイムトラべルものに必ずつきまとう”タイムパラドックス”について一言。ラストのドンデン返しには、エンドレスのグルグル回わりのタイムパラドックスが生じているが、難しく考えずにパラレルワールドの世界なのだと片付けてしまおう。但しオリジナルのほうは、パラレルワールドではなく、“リプレイ”なのだろうね。

評:蔵研人

僕を殺した女 4

著者:北川歩実

 それにしても随分と思い切ったタイトルをつけたものだ。それに「ある朝目覚めると主人公篠井有一は、ヒロヤマトモコという美女になっていた」という設定をどこかで聞いた事があるだろう。
 そう・・誰でもが知っている、「ある朝目覚めると僕は、巨大な毒虫になっていた」という、フランツ・カフカ『変身』の冒頭を思い出すはずである。この小説では、主人公の篠井有一が、女性に変身してしまっただけでなく、5年間の記憶も全くなくなってしまった、という設定になっている。

 最初は5年前の世界から、見知らぬ女性の体の中に篠井有一の心がタイムスリップしたのだと思った。ところがこの小説は、そうした時間テーマSFではなかったのだ。どちらかというと、サスペンスとかミステリーというジャンルなんだね。
 テーマは、主人公篠井有一の正体解明に終始することなのだが、本人の自問自答が中心であり、心象風景もコロコロと変貌してゆくんだね。
 そして話が進むに従い、SFよりももっと荒唐無稽な現実が、読者の前に剥き出しにされる。そして二転三転しながら複雑に絡みあったパズルを解いてゆくのだ。

 もしかすると、安部公房のような一風変わった純文学とも言えるし、夢野久作のようなサイコ小説といってもおかしくないだろう。
 それにしても、この北川歩実という作家は、男なのか女なのかさっぱり判らない。聞くところによると、年齢も含めて一切が不詳の覆面作家だというのだ。
 あの北村薫も当初は覆面作家だったというが、なんらかの賞をとれば、身元はバラさずにはいられない。
 ではなぜ覆面をするのだろうか。サラリーマンで、二足のワラジを会社に知られたくないのだろうか。それとも売れなくなった超有名作家の小遣い稼ぎなのだろうか。
 いずれにせよ売れっ子になれば、やがて正体が明かされる日も来るだろうが、こやつはただものではない気がする。

評:蔵研人

天然理科少年4

著者:長野まゆみ

 表紙の写頁は、吉田美和子さん製作の「美少年人形」である。とても清楚で幻想的で、この小説のイメージにピッタリだと思う。なお各章の扉には、ノスタルジックな詩と、コメント付きの美しい写真も飾られている。

 さてわずか147頁の薄っぺらな文庫本なのだが、なかなか丁寧に創ってあり、とても気分が良いのだ。
 放浪癖のある父親と二人で生活し、短期間に転校を重ねる少年が、ある田舎町で遭遇した不思議なお話を描いたファンタジー小説である。その淡々として瑞々しい人物描写と、センチメンタルな郷愁に、なんとなく昔読んだ『つげ義春』のマンガを思い出してしまった。

 また小柄な賢彦少年との巡りあいが、「バナナ檸檬水」というのも、古めかしさの中にお洒落な香りが漂っている。さらに父の名が「梓」で、少年の名が「岬」とは、二人ともなんと優しくロマンチックな名前ではないか。
 そしてこの名前の由来と父の心が、時空を越えて見事に繋がり、そっと宝石箱を開くように、煌びやかに過去が解き明かされてゆく。それはなんとも、心地良い締め括りであろうか・・・。

評:蔵研人

20世紀少年 全22巻+別巻2冊3

著者:浦沢直樹

 本作をタイムトラベル系の作品として紹介するのは、やや躊躇いがあったのだが、妄想的に過去と現代を行ったり来たりしているので、一種のタイムリープと考えてここで紹介することにした。

 それにしても浦沢直樹氏は、一体ポケットをいくつ持っているのだろうか。『YAWARA!』、『MASTERキートン』、『MONSTER』、『PULUTO』、そして本作『20世紀少年』と、全く毛色の違ったヒット作を、次々と書き続けている。天才というのか、感性豊富というベきか、あるいは努力家なのだろうか。
 ほぼ共通しているのは、登場人物が多く謎を小出しにし、しつこくそれを追いかけるというパターンであろう。あとローマ字のタイトルが好きだということかな・・・。それから長編物に限れば、話をどんどん広げてしまい、最終回になって急にボルテージが下ってしまう悪いクセもある。

 本作にもその傾向が現れていて、主人公と思れる人物が何人も登場する。つまり群像劇なのだ。最初はケンヂ、次がオッチョで、カンナへと繋いでゆく。そして時々「ともだち」が顔を出す。そんな具合で、最後は誰が主人公なのか判らなくなってしまった。
 そしてストーリーは、少年時代と現在をいったり来たり・・・。このような手法は、白土三平の『カムイ伝』そのものであり、浦沢氏も多分その影響を受けているのだろう。

 また『鉄人28号』もどきのロボットが登場するところから、ここで描かれている少年時代とは、昭和30年頃と推測される。浦沢直樹氏の年令からすると、まだ彼が生まれて間もない頃である。後に描かれる『PLUTO』も、『鉄腕アトム』のオマージュだから、同じく昭和30年頃のマンガの影響を受けているのだ。団塊の世代であれば分かるのだが、なぜもっと若い彼が、この時代に興味を持つのか聞いてみたいものである。
 この時代の東京は、車も少なかったし、土地も安かった。それであちこちに空地が沢山あり、三角べースの野球をしたり、キャッチボール等をしたものである。
 このマンガの主人公達も、そんな原っぱの空地で、隠れ家ゴッコをしていた。そしてそこで生まれた荒唐無稽な空想が、大人になって次々と実現されてゆくという展開なのだ。

 まず先に述べた『鉄人28号』もどきのロボット、細菌による世界壊滅、東京での万博開催などなどが、次々と現実のものとなる。これらの事件の主犯と思われるのは、「ともだち」と呼ばれる新興宗教の教祖で、ケンジたちの少年時代の友人なのである。だから少年時代に謎を解く鍵があり、それを現在起こっている事件と結びつけてゆく。
 少年時代の描写は、まるで『スタンド・バイ・ミー』の世界であり、自分の少年時代とも重なって、懐かしさが竜巻のように蘇ってくる。ちょうど同じ頃『三丁目のタ日』などのレトロブームが起こり、団塊の世代たちが小躍りしたマンガであろう。

 このマンガは、全22巻でやっと終了した。ところがその終わり方が、夜逃げをしたようで、すこぶる評判が悪いのだ。どうみても、無理やり店じまいをしたとしか思えない。
 新作『PLUTO』に早く乗り換えたくなったとも噂されている。これだけ引っ張ったのだから、ラストにはもっと感動的な「再会シーン」を用意して欲しかったよね。

 殊にこのマンガの大きな謎である「ともだち」の正体が、不明のまゝ終了した事には、強い疑念と不快感を表明したい。売れっ子マンガ家の悲哀というのか宿命というのか、浦沢氏に限らず強引に引き伸ばしたと思ったら、急に打ち止めという長編マンガが多いよね。
 せっかく楽しく読ませてもらっても、これでは水の泡である。大体10巻位で終了するような構成が一番艮い。そういう意味では、岩明均の『寄生獣』を見習って欲しい。このマンガは引き延ばそうとすれば出来たものを、きちっと無理なく10巻で完結させているではないか。

 また出版社側も営業第一だけではなく、もう少し読者と作品を大切にする心を育んでもらいたいものである。そういった不満が多かったせいか、その後別巻の上巻が発行された。これを読む限り、なるべく読者の不満を解消しようとする気配を感じた。
 ああ良かったと思ったのだが、そのあとに発行された下巻を読んだところ、まだ奥歯にものの挟まった状態に逆戻りなのだ。どうして浦沢直樹という人は、もったいぶるのが好きなのだろうか。彼は何のための上下巻追加発行だったのかを、全く理解していないようだね。それともこれが彼の限界なのだろうか。

評:蔵研人

異邦人 fusion4

著者:西澤保彦

 いゃ~驚いたな、それにしてもなんと面白い小説なのだろうか・・・。だから朝の出勤時に読み始めて、帰りの電車では一気に読了してしまった。西澤保彦の本は、『七回死んだ男』以来だったのだが、どうやら「SFミステリー」というジャンルを確立しそうな勢いを感じてしまったな。
 さてストーリーをかいつまんで紹介しようか。
 主人公の永広影二は、東京の大学で助教授をしていて、郷里に帰るため羽田から飛行機に乗る。搭乗前に空港から実家にいる姉の美保に電話を入れると、『月鎮季里子』の小説を買って欲しいと頼まれる。月鎮季里子とは姉の昔の恋人であり、現在は東京で小説家になっているというのだ。
 そう、姉の美保はレズビアンだったのである。そして季里子とかけ落ちする予定が、父の急死によって中止になり、意に反して家業の食堂を継ぐ羽目になってしまったのだ。

 「父の死」、それは23年前に郷里の砂浜で起きた殺人事件であり、今だに犯人が捕まっていない謎の事件である。もしこの父の死がなければ、美保も無理に養子をとって家業を継ぐ必要もなく、東京で季里子と幸福に暮らしていたはずだ。だが弟の影二を大学に入れるため、自己犠牲を選択してしまったのである。
 そうしたやり切れない過去が、たえず影二を悩ましていた。さてこの日は珍しく、昔美保が編んだセーターと、やはり美保にもらった腕時計を身につけていた。
 そして郷里の空港へ着陸した途端に、影二は23年前の世界へタイムスリップしてしまうのである。そこで偶然、まだ14才だった天才少女・月鎮季里子に出会い、3日後に起こるであろう、父の死を阻止することを決心するのだった。

 ・・・とまあざっとこんな感じで話が展開してゆくのだが、タイムトラべルやそのために引き起こされる「タイムパラドックス」についても、これでもかとばかり丁寧に解説されているのが嬉しい。
 ところで、新貨幣やクレジットカードなどは、過去に持って行けない。また手帳やボールペンは持って行けるものの、他人に渡すと消えてしまう。などなど、余り理論的ではない設定が気になったが、アイデアとしてはとても面白いではないか。もちろん作者も、このあたりは熟知していて、クドクドと言い訳がましい文章を繰り返していた。

 ではなぜそうした設定に拘ったのだろうか。例えば未来の品物を持ち込むことによって、歴史を歪めないためだとしたら、なぜ影二自身がタイムスリップ出来たのだろうか?
 その疑問については、作者が先回りして言い訳をしているのだが、なにかすっきりしなかったことは否めない。まあそれはそれとして、前半のノスタルジックな描写と、終盤の犯人探しに加えて父親が助かるのかどうか、の展開はハラハラドキドキで、ミステリー作家の面目躍如といったところだろうか。
 ただハッピーな終わり方は良いとしても、余りにもご都合主義過ぎる結未は、この作品の価値を少し下げてしまったような気がしてならない。もし終わり方さえもっと上手にまとめていたら、広瀬正の『マイナス・ゼロ』に並ぶ大名作に仕上がったのではないだろうか。そう考えるとつくづく残念あり、もったいない気分が充満してしまうのである。

評:蔵研人

柳生十兵衛死す 全五巻3

作者:石川賢

 柳生十兵衛が、パラレルワールドから攻めてくる魔人達を、バッタバッタと斬り捨ててゆく荒唐無稽な時代劇である。しかも敵の総大将は、徳川家康なのである。原作はあの山田風太郎であるが、なんと95%以上を石川賢流に大胆アレンジしてしまった。こうしたアレンジでは、夢枕獏の小説を自分流のマンガに変えてしまった、板垣恵介の『餓狼伝』があるがそれ以上の超改編アレンジなのだ。

 未来と江戸時代が同居し、そこに超人・魔人が入り乱れて、戦争さながらの大活劇が始まる。それを石川賢が、例のグログロでド派手なタッチで描くのだから堪らない。時は忍者たちが支配する世界で、徳川家康はもちろんのこと、秀忠や家光さらには本多忠勝や佐々木小次郎まで忍者なのだ。
 それにしても柳生十兵衛が、メチャメチャ強い。強いとなると、限りなく強くしてしまうのが石川流である。心理描写なんてどこにもない。ただひたすら強いだけなのである。それが永井豪を超えられない理由の一つかもしれないね。

 ストーリーはだんだんエスカレートしてゆき、いよいよ御大・家康の出番かと思わせておいて、いきなり途中で終了してしまった。最近納得いかないまま終了してしまうマンガが多いのだが、このマンガは本当に話の途中で終ってしまったのである。
 なにしろこれだけ大風呂敷を広げるだけ広げておいて、「あとは知らないよ」はないだろう。出版社の都合なのか、作者の都合なのか知らないが、全く失礼このうえない。読者をバカにするのもいい加減にしろと言いたい。
 ところがこの作品、ネット上では熱烈な支持を受けている「魔化不思議な幻の作品」なのである。ただ現在絶版になっているため、どうしても読みたければ、中古本を購入するしかないだろう。

評:蔵研人

タイムコップ 3

製作:1994年 米国 上映時間:99分 監督:ピーター・ハイアムズ

 主演がジャン=クロード・ヴァン・ダムなので、なんとなくひっかかるものがあったが、やはり予感が的中してしまった。
 タイムトラベルものということで、わざわざこの古い作品を借りてきたのだが、SF映画というよりはバリバリの「アクション映画」だったのだ。

 それはそれで良いとしても、タイムトラべル部分の設定がハチャメチャ過ぎるのだ。「エンタメなのだから、そうめくじらを立てずに楽しみなさいよ!」と言われそうだが、それにしても子供でも納得出来ないシーンが多過ぎるのである。
 まずあのデロリアンをレールに乗せたような安っぽいタイムマシンが許せない。そしてマシンが過去に到着したとたんに、消えてしまうのは更にチープである。そのうえ現在に戻るのは、リモコンもどきのコントローラーでOKとは・・・それなら最初からコントローラーだけで、過去に行けばいいじゃないか。

 またあれだけ頻繁に過去と現在を行ったり来たり出来るのなら、何度でもやり直しが出来てキリがなくない?。
 過去を変えると、現在が変わるのはパラレルワールドが発生しているからなのだが、それならそこにはもう1人の自分が存在するはずである。しかしそれを言ってしまうと、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を始めとする、全てのタイムトラべルものを否定することになるので、見て観ぬ振りをしようか。まあ細かいことにこだわらず、アクション映画として鑑賞することをお勧めするしかないだろうね。

評:蔵研人

イエスタデイ・ワンス・モア4

著者:小林信彦

 なぜこんな長ったらしく、気取ったタイトルをつけたのだろうか?。その疑問はラストのどんでん返しで解けるので、絶対に最後まで読んでみよう。
 著者の小林信彦氏は昭和7年生まれだ。そしてこの小説が書かれたのは、平成に入ってからなので、当時著者は50代後半である。それにしてはなかなか『粋なおじさん』だったんだと妙に感心してしまった。

 さてストーリーのほうは、主人公の高校生が、平成初期から昭和34年にタイムスリップし、そこで見様見真似の『危うい生活』を送る話が中心となっている。そして未来のTVで観たお笑いギャグを利用して、一躍売れっ子のTV作家になってしてしまうのだ。なかなかひょうきんでユニークな発想じゃないか。

 また古き良き昭和30年代の描写が、なかなか凝りまくっている。当時の著者は花の20代。たぶんかなり思い入れの強かった時代なのだろう。まるで彼の思い出話を、とくとくと聞いているようでとても微笑ましい。
 懐かしい東京風景はもちろんだが、主人公の育ての親である、多佳子伯母との再会のくだりが一番印象的だ。ことに若い伯母に迫られるシーンは、複雑な心境になってしまうだろう。自分だったら冷静でいられたかどうか余り自信がないね。

 途中までは、浅田次郎の『地下鉄(メトロ)に乗って』を髣髴させる展開であったが、甘く切ない浅田節とは異なって、明かるくバタくさいノスタルジーを感じた。
 ラスト近くになってタイムパトロールが登場するのだが、これが僕には気に入らない。それまで、せっかくノスタルジーの小部屋で甘い気分に浸っていたのに、土足で踏みにじられた感じがした。

 ところがこの展開は、Part2『ミート・ザ・ビートルズ』への複線だったんだね。
 『ミート・ザ・ビートルズ』では、ビートルズとホテルの一室で、念願の直接会話を果たすのである。そしてそれが、父と母のめぐり逢いの還流となるのだ。
 このPart2は、第一作には及ばないとしても、ことにビートルズファンには、味わい深いストーリー仕掛けとなっているはず。絶版になっているようだが、もし古本屋で見つけたら、是非「2本立て」で続けて読んでみようではないか。

評:蔵研人

サマー/タイム/トラべラー 1・23

著者:新城カズマ

 スラッシュが2つも入るタイトルなんて、そうザラにあるものじゃない。おかげでファィル名には使えないじゃないの(笑)。それにしてもこの作品は本当に小説なの?少なくとも前半はどちらかというと、小説仕立ての『時間テーマSF論』という感がしないでもない。

 主な登場人物は、タイムトラべルが出来る悠有を除けば、老成したような高校生ばかりであり、しきりに蘊蓄をひけらかす。ことにSF作家の名前や作品名がポンポン飛び出すので、SFオタクには嬉し懐かしだが、そうでない人には耐えられないかもしれない。
 それにストーリー展開が、えらくまどろっこしいと言うか、回りくどいのだ。まるでヒグマが潜んでいるブナの林道を、全く振り向きもせず、鼻唄まじりでのんびりと歩いているようである。

 それに『プロジェクト』などと気取っているが、単なる『SF同好会』じゃないか。ストーリーのほうも前半は、この同好会での蘊蓄大会に終始し過ぎて退屈で死にそうだった。
 それにこの物語にある地名は、全てが架空のものだというのに、もっともらしい地図を何枚も掲載する必然性がみえてこないのだ。いい加減にして欲しい。もう少し上手にまとめれば、わざわざ2冊にすることもなく、充分1冊に納まる内容である。

 ・・・と文句ばかり言いたくなる作品だが、後半になって急遽『学園ドラマ』から『ミステリー小説』へ脱皮し、ラストに至っては、まるで悠有のタイムトラべルの如く、猛烈な勢いで末来を通り抜けてしまうのだ。
 しかしエンジンがかかるのが余りにも遅過ぎるよ。読み辛い文章と退屈なストーリーで、ここまで無理やり引っ張っておきながら、今度はあっという間に終ってしまうしね。

 読了後の満足感もなければ、感動する場面もない。ただ著者が『夏への扉』と『ジェニーの肖像』の大ファンである、という確証だけが残った。しかしそれでも『SFが読みたい2006年版』でベストSF国内篇5位。さらに第37回星雲賞も受賞している。いつの間にか最近のSF小説は、オールドSFファンには、ついて行けなくなってしまったようだ・・・。

評:蔵研人

時をかける少女 アニメ版5

製作:2006年 日本 上映時間:100分 監督:細田守

 かなり昔に筒井康隆の原作と、原田知世の映画を観たが、女子高生がタイムスリップするということ以外は、綺麗さっぱり忘れてしまったようだ。原作の発表が1967年頃だから、もちろんケータイなんてないし、女子高生もあんな超ミニスカをはいているわけがない。
 始め原作を現代版にアレンジし直して、ついでに内容も大幅リメイクしたのだろう。・・・と思ったのだが、実は原作から数10年後を舞台にして、ヒロインを原作の主人公の姪という設定にしている。しかもアニメである。

 結果的にはこれが大成功の原因だったのかもしれない。当時上映館は僅か250席程度のテアトル新宿だったが、整理券を発行するほど超満員となり、「映画でこんなの初めてだわ」と若い女性たちも興奮ぎみであった。
 その後ネットでも断突の高評価を得ていたが、なにせ上映館が少な過ぎたし、東京ではテアトル新宿だけの単館上映だった。あまりにも大好評だったため、その後劇場を変えて再上映ということになったことも忘れていない。

 さて肝心なのは映画の中味のほうだが、これも評判通り上出来である。まるで写真のように精密に描き込まれた背景に、ひょろろ~んとして鼻のない柔らかいキャラがよく似合っていた。
 ストーリーは、明かるく活発な女子高生が、理科室で偶然拾った『あるもの』によってタイムスリップ能力を身につけてしまう、という学園SFファンタジー仕立てである。

 ただタイムスリップといっても、過去の自分に会うわけではなく、どちらかというと『リプレイ』するという感じだ。
 なかなか味わい深い展開であり、アニメとは思えないきめ細やかな感情描写に、思わず誰もがスクリーンの中にのめり込んでしまった。そしておっちょこちょいで男まさリだが、明かるく爽やかなヒロインが、とても上手に描かれている。

 笑いあり、涙ありの甘酸っぱく、ちょぴり切ないが、とても心地良いファンタジック・ラブストーリーであった。アニメに偏見を持っている人がいたら、是非この作品を観て考え方を覆して欲しい。そして日本アニメの真価を再認識してもらいたいものである。
 あのスクリーン一杯に埋めつくされた「ブルーの空と白く青味がかった入道雲」、そしてその空間を跳ぶヒロインの姿が実に美しい。まさしく青春まっただ中。これぞジャパニーズアニメの真髄といえよう。

評:蔵研人

あしたはきっと・・・3

製作:2000年 日本 上映時間:88分 監督:三原光尋  主演:吹石一恵

 ちょっと古い映画で、福山雅治と結婚した吹石一恵が主演の女子高生を演じている。
 従ってこの映画を観たのも20年近く前なのだが、そのとき「今時の高校生は、女子のほうから男子に「告白」するのかねぇ~」と感じたものだが、今ではそれも当たり前の時代になってしまった。世の移り変わりは俊足極まりないものである。
 
 騒がしい女子四人組と、田舎の町がなんとなくアンバランスな感じだ。空手部の先輩に恋心を告白する主人公の吹石一恵。その瞬間に振られてしまい失意のどん底へ。
 ところがそのとき、ブドウ畑で不思議な少女と出会うと、次の日にはまた前日に逆戻り。再度告白方法を変えてチャレンジするのだ。さてさてこの恋は成就するのだろうか。

 まるでビル・マーレイとアンディー・マクドウェルの名作『恋はデジャヴ』そのものである。だが残念ながら、完成度は『恋はデジャヴ』には、遠く及ばなかった。
 まず音楽がマッチしていないし、時間が戻るシーンにドキドキ・ワクワク感がないのだ。本来なら★★☆程度なのだが、自分の大好きなテーマなので、ついつい甘い評価点になってしまった。

 ただ喜怒哀楽を上手に眼で演技していた吹石一恵と、サバサバとした先輩役の沢木哲には好感を持てるだろう。またブドウ畑の不思議な少女については、すぐに正体が判ってしまったが、それでもラストの写真にはホロリとしてしまった。吹石一恵ファンやタイムトラベル好きの人なら一度鑑賞する価値はあるだろう。

評:蔵研人

ブルータワー3

著者:石田衣良

 直木賞作家である著者が、満を持してSFに初挑戦した大作である。本作を書くにあたって、著者は「現在日本の出版界は社会的リアリズム全盛で、SFやファンタジーなど想像力に傾斜した小説は商売にならないといわれている。天邪鬼なぼくは、今こそファンタジーを始める時期だと思う」と語ったそうだ。

 SFファンにとっては非常に嬉しく、心強い言葉である。そしてかつてのようにSFブームを巻き起こしてもらいたいと願う。さてこのように期待は大きく膨らんだのだが、残念ながら従来のSFの殻を打ち破るほどの大殊勲はあげられなかった。
 ストーリーは、脳腫瘍を病む主人公瀬野周司が、その激しい痛みとともに200年後の世界へ「精神だけ」タイムリープする。だがその未来は暗く、黄魔と呼ばれる生物兵器に汚染されていた。
 人々はその黄魔から身を守るため、2kmの巨大なタワーを作り、その中でヒエラルキー社会を構築しているのだった。そうしたタワーのひとつで旧新宿にそびえるのが、『ブルータワー』なのである。

 瀬野周司の精神が移転する体は、そのタワーの最上階近くに住み、ブルータワーの特権階級の一人セノ・シューであった。彼は正義感に燃え、黄魔から世界を救おうと、未来と現代を何度も往復するのである。
 ここまで話せば、映画ファンならなんとなく『マトリックス』『バイオハザード』『ハイライズ』等を組み合わせたような臭いを感じるであろう。もう少しオリジナリティーが欲しかったね。

 またハッピーな結末は良いのだが、あの親切過ぎるエピローグは、不要だったのではないだろうか。だからと言って決して駄作ではないし、つまらない作品でもない。余りにも期待を膨らませ過ぎた裏返しなのだろう。著者の次回SF作品に期待したいところだ。
 ところで小説としてはいま一つだった本作だが、映画化すればかなりヒットしそうな気がする。ただ大人の視覚に耐えられる作品に仕上げるには莫大な製作費が必要となるので、日本だけの配給では難しいかもしれないね。

評:蔵研人

名残りの雪4

著者:眉村卓

 短編ではあるが、いつまでも心に残る味わい深い作品であった。主人公の伊藤は、昭和の時代から幕末へとタイムスリップし、そこで新選組の隊員として働くことになる。そしてまた現代に戻って守衛の仕事をするのだが・・・。

 これだけでは、よくあるドタバタSFと変わらないのだが、この作品はラストの落とし方が凄いのである。それを明かすとネタバレになるのでやめておくが、つまり「逆転の発想」とでも言っておこうか。
 かって『幕末未来人』というタイトルで、NHKでドラマ化されている。DVD化されているので、出来れば原作と併せて観ることを薦めたい。なおこの作品は、眉村卓の短編集『思いあがりの夏』または『虹の裏側』に収録されている。

評:蔵研人

君がいる風景3

著者:平谷美樹
 
 初めは著者の名前を、平谷美樹(ひらたに・みき)と読み違えてしまった。紛らわしい名前なのだが、著者の名は「ひらや・よしき」と読み、紛れもなき男性なのだという。彼は岩手県内の中学校美術教師をしていたが、2000年6月『エンデュミオンエンデュミオン』で作家デビューを果たしている。そして長篇SF『エリ・エリ』で第1回小松左京賞を受賞しており、最近では2014年に〈風の王国〉シリーズで第3回歴史時代作家クラブ賞シリーズ賞を受賞している。

 さて簡単に本作のストーリーを紹介しよう。25才の医師である主人公高村哲哉が、中学時代に淡い恋心を抱いていた美鈴ちゃんを助けに、10年前の自分の意識にタイムスリップするお話である。そう!とっても可愛かった美鈴ちゃんは、中学3年生のときに、「ある事故」に遭遇してうら若き命を失ってしまったのだ。

 ところが、せっかくタイムスリップに成功したのに、皮肉にも美鈴の死にまつわる記憶を失ってしまった主人公。さて一体どうやって美鈴ちゃんを救うのだろうか。ペペンペンペン!。
 タイムスリップする中学校は東北にあり、ラストのクライマックスは三陸海岸の近くである。なぜこの場所を舞台に選んだのか、もちろん著者の居住地ということもあるが、実は過去のニュースを調べれば判るのだが・・・。いやネタバレになるのでここでは秘密にしておこう。

 この作品はジュヴナイルSFであり、中学生や高校生を対象として書かれているようだ。従って清純で素直で嫌味がないし、ラストは皆んな幸せになる。それが大人にはやや物足りないかもしれないが、甘酸っぱさに、ハラハラ風味をブレンドした青春ドリンクもたまには良いだろう。ただ残念ながら本書は絶版となっており、図書館で探すか中古本を購入するしか手だてはないのだ。

評:蔵研人

君と時計と嘘の塔5

著者:綾崎隼

 なんと超遅読者の私が、4冊に及ぶこの長編小説の全巻を、僅か1週間で読破してしまったのである。通常なら1冊だけでも1か月位かかって、のらりくらりと読み続けているだろうから、もの凄いスピードで読み抜いてしまったということになる。
 登場人物も背景も限定的なのだが、この小説には麻薬のような中毒性が含まれているようだ。そうでなければ、こんな超人的な速読が出来るわけがない。

 一番大切な人が死ぬと、激しい時震(地震と違い、物は揺れず、身体だけ揺れる)が起こり、過去にタイムリープしてしまうのであるが、次のようなルールが存在していた。

過去に戻るのだから、死んだ一番大切な人は元に戻っているのだが、その引き換えに二番目に大切な人が消失してしまう。
消失した人は5年前に突然消えてしまったことになり、5年前以降の存在は誰の記憶にも残っていない。だがタイムリープした人にだけは、全ての記憶が残されている。
消失した人は基本的に元に戻らず、2回目のタイムリープが起こると、今度は三番目に大切な人が消失してしまう。3回目、4回目以降のタイムリープについても同様なので、タイムリープを繰り返すとどんどん大切な人が消失してしまう。
タイムリープは無限にできる訳ではなく、時間の歪みによって生じた余剰時間分が限界となる。
タイムリーパーは複数いるのだが、自分以外の人がタイムリープした場合は、通常人と同様記憶が残らない。

 それにしても、よくこれだけいくつもルールを創り、それに合わせて物語を複雑かつ緻密に展開させたものである。改めて作者・綾崎隼の力量に脱帽する次第である。

 さて本作が4巻で構成されていると前述したが、タイトルは全て『君と時計と嘘の塔』ではないのだ。「君と時計と」までは同じなのだが、正確には『君と時計と嘘の塔 第一幕』『君と時計と塔の雨 第二幕』『君と時計と雨の雛 第三幕』『君と時計と雛の嘘 第四幕』の4冊となっている。ただコミックスのほうは『君と時計と嘘の塔』で統一され1~3巻で発売されているのでご注意!。

 主な登場人物は、主人公の杵城綜士のほか草薙千歳、織原芹愛、鈴鹿雛美の4人であるが、タイムリープできるのは杵城綜士、織原芹愛、鈴鹿雛美の3人の高校生であり、草薙千歳は天才的能力を持つ先輩である。またタイムリープする3人が、相互にいろいろな感情で縛られているところが興味深い。さらには前半は織原芹愛がヒロインだったのだが、実は全く眼中になかった鈴鹿雛美がヒロインに変ってゆく過程がかなり感動的なのである。またラストの大団円も、実に見事に決めているではないか・・・。
 
 ああこれ以上書き続けていると、ネタバレになる恐れがあるのでここらで筆をおきたい。最後に一言、本書ではタイムリープが頻繁に起こるのだが、ただ過去に跳ぶだけではなく、何度も過去をやり直すことになるので、正確にはタイムループものと分類しても良いだろう。

評:蔵研人

時間泥棒3

著者:ジェイムズ・P・ホーガン

 時間を盗むエイリアン?により、ある条件下での時間がだんだん歪んでくる。そしてその犯人を、主人公である警察官が捜査するというストーリーである。
 日本のSFだったら、なんとなく筒井康隆あたりが書きそうなテーマだが、たぶん彼が書けば、荒唐無稽のドタバタ劇になってしまうだろう。ところが本作品は、ある程度のユーモアを香辛料としながらも、時間についての物理学上のハードな考証にも、決して力を緩めていないところが素晴らしい。

 時間が歪む謎について解明するために、霊能者、物理学者、神父たちと次々にインタビュ一するのだが、一番関係のなさそうな神父さんが一番役立つのは、以外であり皮肉ぽくって愉快だった。この作品は小説としては面白いが、映画化して好評を得るのは、かなり難しいかもしれないね。
 
評:蔵研人

寛永無明剣4

著者:光瀬 龍

 この著者は、いつも文章が重厚で堅いので敬遠気味だった・・・。だがこうした時代ものならば、かなりその味を生かせると思った。またもともと時間テーマSFだということは分かっていたので、時代劇は前半だけかと思っていたのだが、延々と約70%は時代小説そのものであった。

 ただ闇に潜むような、不気味で強大な敵の存在に、チラりチラリとSFの影が見え隠れしていたことは間違いない。だが終盤になると、突如として携帯用タイムマシンが大活躍し、江戸~古代~現代~超未来や亜空間を行ったり来たりし始めるのである。そのギャップの激しさに、ここら辺からついてゆけない読者も現れるかもしれない。

 物語の背景は「大坂夏の陣」が終わって19年後の世界である。いまだ世情は収まらず、江戸の町には機会があれば倒幕を企てる勢力が暗躍していた。そんな折、北町奉行所与力・六波羅蜜たすくは、柳生但馬守の刺客に襲われてしまう。なぜ柳生に狙われたのか、その謎も不明のまま、次々と不可解な暗殺事件が起こるのだった・・・。

 また2系統の敵が存在し、双方が探している『さざれ石』と『女子』の謎の解明が、この小説最大のハイライトだと思うのだが、十分な解説がなされていないため、消化不良を起こしかねないところがやや残念である。
 それにしても、著者はハードメカや歴史背景などを重々しく描くのは得意なのだが、細かな心理描写は苦手なようである。しかしながら、上手に江戸時代の歴史背景を一捻りしながら、荒唐無稽な話の辻褄を合わせ、この小読を描き続けた著者も、『昭和無明筆?』の達人といえるのかもしれない。

評:蔵研人


美亜へ贈る真珠4

著者:梶尾真治
 
 梶尾真治の短編はかなり好評である。ただ彼の書く短編には、二通りの風味がある。一つは筒井康隆流のドタバタ味、いま一つは叙情詩のようなリリカル味だ。私の好みは、断然後者のリリカル味であり、幸い本作はその代表作でもある。

 本作は未来だけに一方通行する航時機(タイムマシン)に乗ってしまった恋人を、外から何十年も見つめ続ける女性の切ない恋心を見事に描いている。このお話の中では、彼女が彼にもらった『真珠』の存在がキーになっているようだ。そしてラストのどんでん返しも、この『真珠』によって表現されているのである。

 なんと切なく美しい小説なのだろう。だがこのラストの描写の中で「七色に輝く真珠は殖え続けていたのです。」という記述が、何度読み返してもどうしても理解出来なかった。航時機の中での時間の経過が異常に遅いので、落ちてゆく真珠の残像がそう見えるのだろうか。自分の貧弱な読解力に、ちょっと悲しくなってしまった。
 本作は短編集『美亜へ贈る真珠』に収められているが、その中に本作と似た味がする『詩帆が去る夏』も掲載されている。こちらはタイ厶テーマではなく、愛する女性のクローンを育てる話だが、本作よりも判り易くもっともっと切ないお話だった。

評:蔵研人

あの夏に・・・4

著者:折原みと
 電車の中で少女向けの講談社X文庫を読み、おじさんはかなり恥ずかしかった。だってカバーを見ればわかるけど、少女マンガ家でもある著者が描いた『瞳の大きな女の子のイラスト』が、堂々と大きく描かれているからである。

 さてストーリーのほうは、映画の撮影中に、アイドル女優である日米ハーフの少女が、原爆が落とされる1ヵ月前の広島にタイムスリップするところから始まる。そしてそこで、同い年でありながらも、心優しく正義感の強い青年と知り合い、恋に落ちてゆくというお話である。所々にイラストが挿入してあるページもあるし、文体も平易で大変読み易いと感じた。

 さてネタばれになるため、ラストシーンの詳細は秘密なのだが、巧みに過去と現在を結合して締めくくっているところが見事であった。また当時の人々の純な気持ちが伝わってきて、誰もがジ~ンと心を打たれてしまうだろう。何年経っても大切なものは変わらない。少女向けの小説とはいえ、決して侮れないのである。

評:蔵研人

時間街への招待状4

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著者:亀和田武

 なんとロマンチックで、ファンタジックな響きを持ったタイトルなのだろうか。絶版になってしまった古い本だが、是我非でも読みたいという欲望に駆られてしまった。
 そこであちこちの古本店を探したが、なかなかこの本に巡り逢えない・・・。諦めかけていたとき、偶然ブック・オフでこの本を見つけた時は、思わず小踊りしてしまった。

 著者の亀和田武は、かなり昔に『劇画アリス』というエロ漫画雑誌の編集長をしていた時期がある。当時この雑誌は、自販機販売という画期的な販売方法を取り入れ、エロ御三家としてマニアの間では評価の高いエロ漫画雑誌だった。
 それらは、全て若かりし日の亀和田の手腕と人脈によるものだという。その後彼は、当時流行していたSF作家になり、その後ワイドショーのコメンテーターのような仕事もしていたようである。

 彼の作品は、ほとんどが短編であり、幻想的でシリアスなタッチと、荒唐無稽なドタバタ調の二つの味がある。シリアスなほうは、まるで文学青年が書いた私小説ような感じがして、とても清々しい味がする。それでなんとなく彼が寡作だった意味も分かった。
 さて本書は、わずか281頁の手軽な厚さであるが、その中には超短編も含めて、15編の作品が掲載されている。そのうち時間テーマSFと呼べるものは、『1966年冬、ハートブレイク・ホテル』、『時の因人』、『嫌われ者のルーツ』、『時間と街路』の4作だけである。

 『時間街への招待状』というタイトルから、全ての作品が時間テ一マSFだと思い込んでいたので、期待を外されてしまった。しかしながら、時間テ一マ以外の作品にも、かなり傑作が含まれていたので許すことにしよう。
 ことに、『海獣島』、『目覚めよと呼ぶ声あり』、『ア・ロング・バケーション』が、私のお気に入りである。時間テ一マのほうは、『時の因人』、『嫌われ者のルーツ』が、ドタバタ調で、『1966年冬、ハートブレイク・ホテル』、『時間と街路』がロマン私小説風という感じだ。
 私の趣味は、後者の二作のほうである。ともに青春時代に失った彼女への思いが、現在に繋がってくるお話だが、ストーリーとして優れている『時間と街路』より、むしろ『1966年冬、ハートブレイク・ホテル』のほうを選びたい。前者は切なくて心を打たれるものの、後者の「これから何かが変わりそう」な結末が好きだからである。

評:蔵研人

未来(あした)のおもいで4

著者:梶尾真治

 藤子不二雄原作で、工藤静香主演の『未来の想い出』という、タイムスリップものの映画があるが、それと本作品は全く別物なので間違えないで欲しい。本作は『黄泉がえり』の原作者である梶尾真治の、SFファンタジー小説である。

 デザイナーの滝水浩一と27年後の美女「藤枝沙穂流」は、白鳥山頂で突然起こった時空のゆがみに巻き込まれ、時を超えてめぐり逢うことになる。そのときは時空を超えたことにも気付かず、短かい会話を交しただけで別れた二人だったが、それぞれが元の世界に戻ると、お互いに忘れられない存在となるのである。

 ただいつも未来と過去の時空が繋がっている訳ではなく、その後はなかなか逢うことができない。ところが山頂のある場所だけは、時空が重なっているのか、物体だけが時空移動が出来ることに気が付くのである。
 そこで二人が考えたのが、箱の中に手紙を入れて、「時空文通」をすることだった。どちらがパクッたのかは不明だが、このアイデアは韓国映画『イルマーレ』と全く同じなのでニヤリとしてしまう。

 このストーリーの後半、27年後の世界で沙穂流が、滝水の友人だった長者原という初老の男に会った時点で、全ての結末が推測出来てしまった。もう少しドキドキ・ハラハラさせて、ラストにどんでん返しがあっても良かったのではないか。余りにも予想通りにサクサク進んでしまったのが少し残念だ、もうひと捻りの工夫が欲しかったね。

 文庫本で239頁、そのうえ活字が大きく行間もゆったりしている。さらに平易で判り易い文章なので、通勤の行き帰りにあっという間に読破してしまった。多少もの足りなさを感じたが、タイムスリップものが好きで、清潔な純愛に憧れている人なら、爽やかな感動を味わうことが出来るはずである。

評:蔵研人

五分後の世界3

著者:村上龍

 まずこのタイトルに惹かれ、しかも著者が村上龍であることを知り、この古い本を読む決意をした。
 文庫でわずか293頁の作品なのであるが、主人公は初めからいきなり訳の分からない戦場で、国連軍とアンダーグラウンドとの戦争に巻き込まれてしまう。そして主人公の名前が、小田桐ということ以外は全く固有名詞が出てこないのである。
 そもそもここでいう国連軍が、我々が知っている現在の国連軍なのかも判らないうえ、「アンダーグラウンド」なんぞというのは聞いた事もない。スターウォーズの悪の帝国を真似たのだろうか・・・。

 そして主人公の小田桐は、訳の判らない戦闘と労働を強いられるが、彼の周囲にいる人間のほとんどが混血で、日本人は26万人しか存在しないという。さらには、オールドトーキョーだのオサカなどというスラム化された町があるという。もしかすると核戦争で人類はほぼ絶減し、わずかに残ったミュータントのような人間達が、性懲りも無くまた戦争をしているのか?それでオールドトーキョーは昔の東京のことで、オサカは大阪のことなのだろうか?・・・。

 などと考えるうちに戦闘シーンが激しくなり、体中が燃え尽きたり、手足や顔が肉片となり吹き飛んで、死体の山が積まれてゆく。一体何で、こんな所にいるのか、何故こんな戦いをしているのか、小田桐は何物なのか、何も判らず説明もなく、ただただ残酷な殺戮シーンだけが延々と121頁まで続くのだ。
 これではまるで、SFアクション映画ではないか!これは小説なんだろ、しかも芥川賞作家の村上龍の作品だよな!それに彼は、あとがきで最高傑作と自我自賛しているではないか、「そのうちきっと面白くなるのだ・・・」自分に何度もそう言い聞かせながら、ブン投げたくなる気持ちを押さえながら、シンドイ気分でページをめくり続けた。

 121頁まで延々と続いた戦闘シーンがやっと一段落し、第5章「アンダーグラウンド」へ進む。小田桐はここから文字通り、地下にある「アンダーグラウンド」という世界へ連れてゆかれる。そしてここで、この世界の正体を知ることになるのだ。
 小田桐が現在いる世界は、『五分後の世界』というよりは、なにかの拍子に迷いこんでしまった『パラレルワールド』だったのだ。そしてその世界では、今迄彼が住んでいた世界とは5分間のズレが生じていたということなのだが、なぜ5分間のズレがあるのかは、結局最後まで全く不明であった。詰るところラストシーンで『ある決心』をすることを、示唆するための一種の小道具に過ぎなかったのだろうか。

 さてこの『パラレルワールド』は、大平洋戦争で日本が広島、長崎に原爆を落とされても、連合軍に降伏しないまま、さらに小倉、新潟、舞鶴にも原爆を投下され、それでも降伏せずに、延々と戦争を続けている世界だったのだ。
 そして本土は、続々と連合軍に占領され、わずか26万人になってしまった日本人達は、地下2000mに逃げ込んで、そこに小都市を創ったという。それが「アンダーグラウンド」と呼ばれる場所なのである。それでも彼等は、依然としてゲリラ戦を続けて、連合軍との戦いを辞めようとしないのだ。

 しかも天皇は、スイスに逃れているという。一体日本人は何のために、そこまで戦いを続けるのか。それはアインシュタイン博士に言わせると、『自由と勇気とプライド』のためなのだそうだ。
 まるでアラブ系の自爆テロ集団や北朝鮮のようではないか。おそらく平和ボケした、現在の日本人達に対する痛烈な皮肉なのだろう。
 ところでこの辺りから、やっとこの世界のバックグラウンドが見え始め、この小説の行く末が気になり出すのだ。そして美人将校のマツザワ少尉の登場や、その家族達の生活や慣習を知るうちに、一瞬なんだか懐かしく、心良い気分になってしまった。
 その後「アンダーグラウンド」に住む世界的ミュージシャンであるワカマツのコンサートが、オールドトーキョーで開催されることになり、小田桐は護衛兵とともに「アンダーグラウンド」を出発する。これは小田桐を元の世界に戻すための旅でもあったのだが・・・。

 そしてまた100頁以上の暴動と戦闘が、ラストまでいやと言うほどしつこく続くのである。せっかく新たなる展開に、心を弾ませた私が甘かった。もう勘弁してくれと、祈るような気持ちで、やっとこの小説を読み終わったときは、精魂尽き果てて、くたくたになってしまった。著者の強烈な信念と、チャレンジ精神には脱帽するが、もうこんな実験小説にはつき合いたくない。

 ところが巻末の解説文で、渡部直已氏は、「作者が主人公の内面について一切説明せずに、ひたすら戦闘場面にのみ直面させられ続ける状況」を次のように語り、この作品を絶賛している。
 『すなわち、主人公の決定的な改心(コンバート)を、戦闘描写(コンバット)の異様な持続そのもののなかから引きだそうとすること』
 ・・・さすがにプロの評論家は、するどい視点と臭覚と文体を駆使して、ゼニのとれるレビューを創り上げるものだと感心してしまった。

評:蔵研人

蒲生邸事件4

著者:宮部みゆき

 やっとこの分厚い本を読み終わった。頁数は425頁だが、小さい字で2段に組んでいるので、実質は約800頁近くあるのではないだろうか。
 ストーリーのほうは、予備校受験中の主人公・尾崎孝史が、ひょんなことから昭和11年にタイムスリップしてしまい、そこで二・二六事件と絡んだ、蒲生邸で起きた『ある事件』に巻き込まれてしまうという流れである。

 あとがきで著者も述懐しているが、二・二六事件については、深く掘り下げて研究しているわけではないし、それ自体をテーマにしている訳でもない。あくまでも、運命の4日間の中で『蒲生邸に起きたある事件』と、『蒲生邸に住む人々の奇妙なお話』がメインテーマであり、二・二六事件はその伏線に過ぎないのだ。

 またタイトルから想像すると、『クラシカルミステリー』の趣が漂ってくるのだが、この小説が日本SF大賞を受賞していることからも、タイムスリップに照準を合わせていることがわかる。ただ本格的時間テーマSFとするならば、その理論構成やストーリー展開にもう一工夫して欲しかった。
 例えば主人公が現代に帰る場合に、昭和11年と同時間が経過しているというのも説得力がない。これでは1年単位のタイムスリップしか出来ないことになるが、そのことの説明が全くなかったと思う。

 また個人レべルの小さな過去は変えられるが、歴史の大きな流れは変えられない、とする理論にはそれなりに納得するのだが、それでも過去を変えた場合は、パラレルワールドの存在を無視することは出来ないはずだ。しかしこの小説ではパラレルワールドについては、一切触れていない。それならば、いっそ小さなことであっても過去の事象は、一切変えられないということにしてしまったほうが、正解だったのではないだろうか。

 宮部さんの作品には、ミステリーやらSFやら社会派推理やらの多重ジャンルものが多いので、今回もたまたまSF大賞を受賞したものの、やはりジャンルの定まらない作品だったのかもしれない。また読者がタイムスリップ理論にうるさくこだわる人でなければ、どうでも良いことだし、そもそも過去へのタイムスリップ自体が、あり得ない事象なのだからむきになるなと反論されればそれまでである。

 SF的にはつっこみ処が多いものの、全搬的には良く出来た小説だと思う。前半の約1/3は、淡々とした展開に少々退屈だったが、孝史が『美少女ふきの末来を救う』ことを決意するあたりから、俄然心のエンジンが全開となってしまった。
 もしもラスト近く、過去と現代が繋がる部分の描写で、広瀬正の『マイナスゼロ』や、米国映画の『ある日どこかで』を思い浮べる人がいたらかなりのSF通であろう。
 とにかく宮部さんの粘り強い情報収集力には、いつもパワーを感じるし、情報とストーリーとの巧みな融合センスには、いつも驚き感心してしまうのだ。

評:蔵研人

6時間後に君は死ぬ4

著者:高野和明

 なぜか他人の非日常未来が見えてしまう「予言者」山葉圭史が絡むオムニバス中編集である。タイトル作品のほか『時の魔法使い』、『恋をしてはいけない日』、『ドールハウスのダンサー』、『3時間後に君は死ぬ』の5作を収録している。1~4話までは若い女性が主人公で、圭史はそれを助ける役割となる。SFと言うよりは、サスペンス、ミステリー、ファンタジーという趣であった。

 また『3時間に君は死ぬ』は、タイトルの『6時間後に君は死ぬ』の完全続編で、5年前に出逢った山葉圭史と原田美緒が再会を果たす。そして3時間後に起こる大惨事を食い止めようと、ハラハラドキドキの探索を行うのである。続編でありながらも、『6時間後に君は死ぬ』よりずっと面白かった。

 『時の魔法使い』と『恋をしてはいけない日』は、まるで梶尾真治の描く時間テーマラブファンタジーを髣髴させられる。もしかすると著者も梶尾真治のファンなのだろうか・・・。
 私的に一番感銘を受けたのが、『ドールハウスのダンサー』で、現実を人形に置き換えたかのような魔可不思議な世界に惹き込まれてしまった。
 主役というわけではないが、全編を通じて登場するのが、ビジョンという予知能力を持つ山葉圭史であり、この中編小説のアテンダーでもある。代表作『13階段』を書いた高野和明とは全く別人のような話の展開に、思わず著者の貪欲さと懐の広さを感じてしまった。

評:蔵研人

異人たちとの夏 映画3

 山田太一の小説を読んでから、この作品が映画化されていることを知った。監督はファンタジー作品の大御所である大林宣彦監督で、主演は風間杜夫、恋人役に名取裕子、父親役は片岡鶴太郎、そして母親役に秋吉久美子と、ハマリ役揃いである。これではこの映画を観ない訳にはゆかない。ただこの映画が上映されたのが、1988年と古過ぎるため、レンタルビデオ店で探し出すのが一苦労だった。

 映画の良いところは、昔ながらの浅草の街並や寄席の雰囲気を、ほのぼのとした映像で表現出来たことだろう。母役・秋吉久美子のアッパッパーやシュミーズ姿には、古きよき時代の懐かしさを感じて泣けてしまった。また自分より若いが頼りになる父役を、片岡鶴太郎がこの人しかいないという程見事に演じている。

 この映画は原作に忠実で、ほぼ原作通りの展開なのだが、二つの大きな問題点があった。ひとつはネットで皆さんが指摘している通り、名取裕子と別れるシーンだ。あれは酷すぎる!せっかくすき焼き屋で流した熱い涙が、一辺に乾いてしまったではないか。そしてその時点で、B級ホラー映画に転落してしまったようだ。一体大林監督は何を考えていたのかと、首を傾けざるを得ない。

 もう一つの問題点は、主人公が離婚して一人息子ともしっくりせず、狭いマンションで1人寂しく暮らしていた、というバックボーンをじっくり描いていないことである。この重要な事実を省略してしまったことは、致命的なミスである。つまり主人公のこうした心理的な疲労感がなければ、異人たちを呼び起こすこともなかったからに他ならない。これだけの俳優と名監督をしても、原作の小説には遥かに及ばなかったのが非常に残念である。

評:蔵研人

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