タイムトラベル 本と映画とマンガ

 本ブログは、タイムトラベルファンのために、タイムトラベルを扱った小説や論文、そして映画やマンガなどを紹介しています。ぜひ気楽に立ち寄って、ご一読ください。

2019年05月

異人たちとの夏 小説5

著者:山田太一

 かなり昔出版された小説で、確か映画も上映されていたはずである。なにしろ出だしから最後迄ずーと面白いし、文庫本で220頁の薄い本なので、あっという間に読み終わってしまった。内容は荒唐無稽でちょっと変わった作品だが、SFやホラーというジャンルではなく、純文学でもない。
 そこには山田太一ワールドが広がっていた、というより言いようがない。登場人物は死んだはずの父母と、恋人、友人、別れた妻と圧倒的に少ないのに、なんとなく賑々しい感じがするのも不思議なのだ。たぶんそれは自分よりずっと若い父母と、浅草の街の取り合せが、実にしっくりとしていて、陽だまりのようなノスタルジーを肌に感じたからであろう。

 この若い父母は主人公が小さい頃に、交通事故で亡くなったはずなので、結局は幽霊ということになるのだが、どちらかというと主人公が異世界へ迷い込んだと言っても良いかもしれない。
 私自身も父が亡くなった年令から二回り以上超えてしまったし、とうとう亡母の年令もとっくの昔に超えてしまった。それで他人ごととは思えず、まるでこの小説の中で、自分自身も亡父母に巡り会ったのかと錯覚してしまい涙々の嵐なのだ。
 それにしても昔の人は皆しっかり者だった。30才を過ぎれば皆一人前の大人だったし、うだうだ言わずによく働いていたと思う。だから父親は頼りがいがあったし、反面怖い存在でもあった。一方母親は優しく、自分の事よりいつも夫や子供のために生きていたものだ。

 この作品に登場する亡父母に、自分の亡父母の影が重なり、私の心も父母が生きていた時代に跳んでしまった。こうなったら、もう涙が流れ出して止まらないのだ。ただ同時進行してゆく胸に火傷の跡がある女との恋は、切なくもの悲しい。そしてラストには、用意周到なドンデン返しが待ちかまえているのである。
 この手のお話を理解するには、少なくとも40年以上の人生経験を積んでいないと辛いかもしれない。とはいっても、きっと若い人達にも何かを感じるところがあるはずである。

評:蔵研人

たんぽぽ娘5

著者:ロバート・F・ヤング

 1962年にロバート・F・ヤングが発表したラブファンタジー作品。ロマンチックSF短編の旗手である梶尾真治が影響を受けた作品だという。だからファンタジーSFファンには堪らない魅力を持つ短編なのだ。
 ところが残念なことに絶版で手に入り難い。こうなると益々欲しくなるのがファン心理なのである。それでアマゾンマーケットプレイスで探したら、『たんぽぽ娘ー海外ロマンチックSF傑作選2』が、何と中古品で15,000円也!
 さすがの私も15,000円払うほどオタクではない。そもそも短編なので、ほかのタイトルで収録されている書籍があるはずである。そう考えて調べたところ、文春文庫の『奇妙なはなし』というタイトルの中に、『たんぽぽ娘』が収録されているではないか!。

 ところがこちらも絶版で、やはりアマゾンで中古品が2,600円~8,500円とある。みんな良く知っているのだ。それで地元の図書館の蔵書をネットで検索したら、あったあった!やっと見付けて貸出予約をすることが出来たのである。
 てなわけで、やっと手にした『たんぽぽ娘』は、期待にたがわず、実に素晴らしい「珠玉の名作」であった。そしてストーリーは判り易く、ポエムのように美しく流れて、あっという間に読了してしまった。
 ※ここまで記載した出版経緯は、9年前に記載したものであり、現在は河出書房新社などから復活出版されている。

 主人公は法律事務所を経営するマークという44歳の男性である。彼は毎年四週間の夏休みのうち、前半の二週間は、妻と息子が選ぶ避暑地で親子水入らずで過ごし、後半の二週間は、湖のほとりにある山小屋で妻のアンと二人で過ごす習慣になっていた。
 ところが今年は、アンに陪審員の役が回ってきたため、マークは一人ぽっちで、山小屋で過ごさなくてならない。だがそのお陰で彼は不思議な体験をすることになる。
 それは彼が、湖の先にある森を抜けたところにある丘を散策しているときに起った。そこには古風な白いドレスを身につけ、たんぽぽ色の長い髪を風になびかせている若い女が佇んでいたのだ。

 彼女の名前はジュリーといい、未来からタイムマシンに乗ってやってきたという…。その日から、マークとジュリーは毎日のように丘の上で逢う。そしてマークは年がいもなく、彼女に淡い恋心を抱き始めるのだった。
 ここまで書けば、だいたいの成り行きがわかるだろう。決して不倫小説ではないので念のため。本作は恥しくなるほど純情で優しい、リリカルなラブファンタジーなのだから。
 そして忙しい現代では、いつの間にか忘れ去ってしまった清らかな心を蘇らせてくれる。さらに感動のラストシーンは、タイムトラべルによる循環の輪によって、実に見事に収束されているではないか。
 かなり古い小説ではあるが、それこそ時代を超えた珠玉の名作といえよう。さらに付け加えると、この『奇妙なはなし』には、本作のほか福島正美『過去への電話』、つげ義春『猫町紀行』、江戸川乱歩『防空壕』、谷崎潤一郎『人面疸』など、そうそうたる19作の短編が収められている。なぜこんな凄い短編集が絶版なのか、つくづく不思議でならない。

評:蔵研人

演じられたタイムトラベル 3

著者:土橋 真二郎

 なんとも奇妙なタイトルに惹かれてこの本を購入してしまったのだが、ちょっと期待し過ぎたようである。登場人物は僅か8名で、場所はだだっ広い倉庫のような場所だけ。その床に描かれた二次元の線によって三次元の仮想空間が設定され、そこでデスゲームが延々と続くという設定である。

 二次元の線による舞台設定は、2003年にデンマークで製作されたニコール・キッドマン主演映画の『ドッグヴィル』と全く同じだ。そして前半から中盤までの200頁以上を使って、このゲームのルール説明と辻褄合わせが嫌というほど続くのである。後半になって百の目を持つ「アルゴス」というボスキャラが登場すると急に面白くなるのだが、それまではかなりの退屈感と眠気に耐えなくてはならない。

 またタイムトラベルについても、ゲームの中で過去や未来との連続性を確保するためのお遊びに過ぎず、タイムトラベルものを期待して読んでしまうと、なんとなく騙されたようで腹が立ってくる。
 この作者の作品は初めて読んだのだが、どうやらその初めてに、この作品が当たってしまったのは不運だったようだ。ただ作中で演じられるゲームの構造については、実に緻密でかなりの緊張感が得られることは間違いない。それにしても、もう少し登場人物の背景や心理描写を丁寧に描いても良かったのではないだろうか。

評:蔵研人

総理を殺せ4

原作:森高夕次 劇画:阿萬和俊

 とんでもないタイトルに一瞬ひいてしまう人もいるかもしれない。だがこれでも、れっきとしたタイムトラベル系のマンガなのである。
 30年後に日本と中国の間で戦争が勃発、総理大臣が核のボタンを押し、中国に原爆を発射する。そしてその報復攻撃として、中国からも東京に原爆が落とされるのだった。
 体に衝撃を受けると過去へタイムスリップしてしまう体質の主人公は、なんと原爆の爆発によって30年過去にタイムスリップしてしまうのである。

 そこで主人公は、未来に原爆のスイッチを押した総理大臣にを抹殺する決心をする。そうすれば30年後に核戦争が起こらないからである。日本いや世界を破滅に導いてしまうその総理の名は『剣崎裕太郎』。彼は軍事増強を図り、いつの間にか徴兵制と核保有を宣言・実行してしまうのだった。

 まずこの時代の若かりし剣崎裕太郎を探し出さねばならない。そして彼を抹殺することが自分に与えられた使命なのだと確信する。というような、ハラハラドキドキのアクションがらみの異色タイムスリップ作品なのである。
 とにかく過去の社会背景や大事件を利用しているところが面白いし、ラストの捻りもなかなかだ。また全二巻というシンプルさもお手軽で、あっという間に読破してしまう。もしかするといずれは映画化されるかもしれないね。ただ後味の悪さだけは、覚悟しておかねばならないだろう。

評:蔵研人


満月 映画3

 小説に続いて、今回は映画のほうを紹介しよう。だが小説が絶版であったように、こちらもDVDはなく、ビデオテープ版しか残っていなかったのだが、なぜか最近になってDVDが発売されたようである。

 主演が原田知世と時任三郎と言えば、もうかなり昔の映画であることが判るだろう。細かい設定では、だいぶ原作とは違いがあったし、ストーリーの流れもハデなドタバタシーンが多過ぎたと思う。
 またそもそも原作にない、余計なストーリーを追加したため、忍者よろしく弘前城に忍び込むという、無意味なシーンを追加するハメになってしまったのだ。映画だから派手に加工したい気持ちは判るが、原作はアクションものではなく、あくまでも「ラブストーリー」なのだぞ!。

 何といっても原田知世はとても可愛いし、まさに和製メグ・ライアンである。ただ初めは嫌いだった小弥太を、好きになってしまう心の変化が、今ひとつ描き切れていなかったのが不満である。
 いっぽう時任三郎は背が高過ぎて、昔の武士役には不向きだし、これは私の思い込みだが、原作のイメージともだいぶ異なっていたような気がする。

 前半は原作に忠実で楽しい映画だったが、知世の兄貴が出現してから、ドタバタアクション映画になり下ってしまったようだ。実に残念である。原作の良さを本当に理解していない人が映画を作ると、こんな映画になるという悪い見本のような映画だった。
 ただ『ねぷた祭』を観ながら、弘前城主のことを回想するシーンには、思わず涙ぐんでしまったね。それとスッキリとしたラストシーンも、やや捻りを入れた原作よりも好きかもしれない。さしあたり日本版『ニューヨークの恋人』かな。

評:蔵研人

満月 小説4

著者:原田康子 

 1988年に新潮文庫として発行されているが、現在は絶版になっているようだ。その後映画化されているのだが、まずは原作小説のほうから紹介しよう。この約600ページのクソ分厚い文庫本を何日持ち歩いただろうか。決して難しい小説ではないのだが、それにしてもこの本と同じく、とても重い読了感が残った。

 満月の夜に、300年前から杉坂小弥太という侍がタイムスリップしてくる、というSF仕立てのお話である。だがその設定さえ除けば、小弥太と野平まりとの甘く切ないラブストーリー以外の何物でもない。
 呪術によって300年の時を超えるという理屈や、マリとの初遭遇シーンについては、かなりいい加減な感じがするが、『ラブストーリー』なのだと思えば、いたしかたなかろう。

 話の展開は、まりの視点で進んでゆくが、山の天気のようにコロコロ変わる女性の心理描写を、実に見事に描いている。さすがに女性作家であり、一見正反対に見える「まりと祖母の両者ともが」著者の分身なのかもしれない。
 恋人に300年前の待を用いたのも、著者の理想の男性像を満たすためであろうか。りりしく、たくましく、強く、辛抱強く、それでいて優しく、その上誠実で、純情な男性など、すでに現代には存在しないからだ。そのうえ美男とくれば、世界中の女性が放っておかないだろう。

 変に誤解されても困るが、小弥太は男性の私にとっても、素敵な男なのだから・・・。
 結局二人は、最後まで本格的なエッチをしないのだが、まりの過激な心情と、小弥太の純真でひたむきな愛情が、実に見事に絡み合い、年甲斐もなくドキドキしてしまった。
 繰り返すようだが、SFとしてはほとんど評価出来ないので、ラブストーリーとして読むこと。ただ菩提寺の過去帳と、水戸藩の快風丸、コタンのトーテンポール、易者の予言の全てが繋がるところが、著者の面目躍如といったところであろう。

評:蔵研人

トモダチごっこ3

作者:ももち麗子

 少女マンガであるが、よくあるラブストーリーではなく、イジメがテーマのタイムスリップ・ストーリーなので、男性にも読み易いかもしれない。
 親の離婚が原因で、東京から引っ越すことになり、仙台の女子高に入学することになった村咲みどり。はじめはクラスの仲間たちと上手くいっていたのだが、イジメに遭っていた幼馴染の氏原あかりを助けたことにより、影のボスである伊集院エレナの反感を買ってしまうのである。そしてイジメの対象も、あかりからみどりへとターゲットが変わってゆく。

 みどりに対するイジメは、あかりの頃よりもずっと酷くなり、ロッカーに閉じ込められたまま階段から突き落とされたり、トイレで恥ずかしい写真を撮られたりと、どんどんエスカレートしてゆくのであった。
 とうとう耐え切れなくなったみどりは、校舎の屋上から飛び降り自殺をするのだが、その瞬間に一年前にタイムスリップしてしまうのである。最初は夢かと思っていたみどりであるが、持っていたケータイに記録されていた未来の日記を読んで、タイムスリップしたことを悟る。そして二度と同じことを繰り返さないと固く決意するのであった。

 過去の人生を繰り返すというタイムループ系のストーリーであるが、この作品では一年前の人生を一度だけ繰り返すという展開なので、何度も繰り返すことはない。一応過去での失敗を避けようと、過去とは別の行動をとるのだが、なかなかうまくいかない。それで最終的には実力行使に出てなんとか納まるのだが、それならなぜはじめからそうしなかったのだろうか。それとその後になぜエレナの報復がなかったのか。最後のまとめ方にはかなり違和感を感じざるを得なかった。

 またタイムスリップものとしての道具の使い方については、かなり勉強不足の感があるが、女子高でのイジメは迫力があったし、乙女心の描き方にも説得力があったと思う。やはり作者はSFマンガ家ではなく少女マンガ家なのだと改めて実感した次第である。

評:蔵研人

杏奈は春待岬に4

著者:梶尾真治

 タイムトラベルロマンスの第一人者である著者が、満を持して放った久々の『リリカル・ファンタジー・ロマンス小説』である。なんと本作を書き下ろしたのは、著者が70歳を目前とした2016年だ。それにしてもよくこの年齢で、こんな純情な恋愛物語を紡ぐことが出来るものだと感心してしまった。きっと著者はいつまでも若く、澄んだ心の持ち主なのであろう。

 春休みのことである。ぼくは祖父母が暮らす天草西の海沿いにある小さな町を訪れた。その町の外れにある『春待岬』には、町の人々との交流を拒絶するかのように、ひっそりと洋館が佇んでいた。
 だがその洋館には、大きな瞳に長く黒い睫毛をたたえた美しく優雅な、まるで妖精のような少女が住んでいたのである。
 ぼくは息を飲み、あっという間に彼女の瞳に吸い込まれそうになった。これがぼくの初恋、いや永遠の恋の始まりだったのである。
 だがその少女と逢えるのは、桜の咲いている間だけであり、さらに彼女はほとんど年を取らなかった。ぼくは時の檻に閉じ込められている彼女を、なんとしても救い出そうと必死に努力したのだが…。

 こんな感じでストーリーは進んで行き、一体これからどうなるのかと、するすると頁をめくり続けあっという間に読了してしまった。だが少女は年を取らないのに、ぼくだけがどんどん老けて行くのである。なんとも淋しくて切なくて、とうにもやり切れない。終盤のどんでん返しは用意されてはいるものの、やはり哀しい気分は晴れなかった。

評:蔵研人

タイムトラべル・ロマンス4

著者:梶尾真治

 なんとも言えないくらい、ロマンチックで幻想的なタイトルである。そのうえサブタイトルは「時空をかける恋物語への招待」なのだから、梶尾真治ファンならずとも、喉から手が出るほど欲しくなる本ではないだろうか。

 ところでこの本は小説ではないのでお間違えなきよう。だからと言ってSF論というほど振りかざしてはいないし、SF入門というのか、SF小説とSF映画の紹介を通してSFを語る本とでも言うのだろうか。
 もちろんSFなのだから、タイトルのタイムトラべルだけではなく、当然ロボットやエイリアンの話も出てる。でも半分以上はタイムトラべルについて語っているので、どうぞタイムトラベルファンの方々もご安心のほど。

 さて本書はハードカバーなのだが、わずか157頁の小さめの本なので、通勤時の行き帰りだけで、あっという間に読み終わってしまうだろう。また著者の梶尾真治はあとがきで、この本を『SFへのラブレター』かもしれないと語っているのだが、まさに彼のSFへの大いなる愛情を感じた1冊であった。

 主な時間SFに関する評論内容は次のとおりである。
1.時間を超える
 リリカルSFはいかが/スローガラス/昭和三年への旅/ジャック・フィニィの「愛の手紙」/映画「ある日どこかで」/ロバート・ネイサン「ジェニーの肖像」
2.タイムマシン
 H・G・ウェルズ「タイムマシン」/ロバート・A・ハインライン「夏ヘの扉」/ロバート・F・ヤング「たんぽぼ娘」/梶尾真治「クロノス・ジョウンターの伝説」

評:蔵研人


僕はビートルズ4

作者:かわぐちかいじ

 イージス艦と自衛隊員が太平洋戦争の最中にタイムスリップし、偶然救助した日本軍の将校に未来を知られてしまう。そのためにその将校によって、アメリカに先駆けて日本軍が原爆を創り、それを戦艦大和に積んでアメリカへ出航することになってしまう。・・・というような展開に終始し、なんと全43巻にも亘る大長編となったかわぐちかいじ氏の『ジパング』というマンガがある。

 本作は21世紀の日本で、ビートルズのコピーバンド、ファブ・フォーとして活動していた若者4人が、ビートルズがデビューする直前の昭和30年代の東京にタイムスリップするのである。そしてビートルズの曲を自分達の曲だと偽って発表してしまうのだ。お陰で当然のように、彼等は日本で爆発的なヒットを飛ばし、やがて英国のメディアにも進出して行くのである。

 その頃デビュー直前のビートルズが、この曲を聴いてショックを受け、演奏活動を休止して行方不明となってしまうのだ。果たしてビートルズは復活できるのか、またファブ・フォーは、このままコピー活動を続けて行くのか・・・。
 なんと戦争と音楽との違いを除けば、前述した『ジパング』とそっくりである。未来のものである「原爆」と「ビートルズの曲」をめぐり、その可否を問う展開となっているからである。そして結末もほぼ同じように推移する。
 両作品とも、かわぐちかいじ氏が描いたマンガなので感覚的に同じような展開を目指したのかもしれないが、なんと本作には別途原作者がおり、この原作の審査委員だったかわぐちかいじ氏が、自ら希望して作画を担当したと言ういきさつがあるらしい。

 いずれにせよ、ビートルズが創った曲を完全盗作してしまうのだから、ビートルズファンには非常に不愉快な作品だったようである。それでかわぐちかいじ作品としては、全10巻という以外に早くあっけない幕切れで終了してしまったのだろうか。ただ過去へのタイムスリップという展開で、未来の知識を利用して成功するという話であれば、結局はビートルズに限らず、やることなすこと全てが、未来からの盗作?ということになってしまうことになる。

 あと過去の人物と現在の人物の比較をしてもあまり意味がない。五輪を観ても分かるが、ほぼ全ての競技において過去の記録よりも現代のほうが優れているはずである。これは決して過去より現在が優れているというのではなく、現在の技量は、過去の技量と努力の積み重ねに過ぎないからなのだ。
 だからビートルズとファブ・フォーの技量を比較しても意味がないのである。こうしたことも含め、少なからずもビートルズファンの一人として、ファブ・フォーのコピー活動には、なにかやり切れない想いを抱きながら、このマンガを読み続けていた。だがタイムトラベルファンとしては、それなりに楽しめた作品だったことも否めない。

評:蔵研人

バック・トゥ・ザ・フューチャー5

製作: 1985年 米国 上映時間: 116分 監督: ロバート・ゼメキス

 34年前に劇場で観て以来、DVDでも2~3回見直しているのだが、何度観ても飽きない超面白い映画である。この映画こそまさにアメリカンムービーの大傑作であり、ただ面白いだけではなく、笑いあり・涙あり・ハラハラドキドキし、そしてラストはスカッと爽やか逆転満塁サヨナラホームランなのだ。

 まさに体内にある溜まったストレスが、全て発散されてしまうという元気の出る映画でもある。そのうえ、タイムトラベルにつきものの親子間のパラドックスなどについても、実に楽しくかつ見事に描ききっている。そして34年経過した現在でも全く陳腐化していないし、いまだにこの作品を超えるタイムトラベル映画も出現していない。とにもかくにも、誰が観ても全く文句のつけようがないほど完成度の高い超エンターテインメント作品なのだ。

 この映画を知らない人はほとんどいないと思うので、あえてあらすじやキャストについては省略したが、もしまだ未見の人がいたのなら、是非DVDをレンタルして観ていただきたい。三部作であり、第一部だけは完結して観ることが出来るものの、時間があれば是非全作品を楽しんで欲しい。とは言っても、やはり第一作が一番完成度が高いのは言うまでもないだろう。

評:蔵研人

時生5

著者:東野圭吾

 重松清の『流星ワゴン』は、父が過去にタィムスリップして息子と会う話だった。ところが本作では、逆に瀕死の息子がタイムスリップして、若かり日の父に逢いに行くのだ。どちらかというと、浅田次郎の『メトロに乗って』と同様の構成なのだが、ムード的には『流星ワゴン』のほうに近いかもしれない。

 著者の文体は相変わらず素人臭いが、読み易いのとアイデアが面白いので、サクサクと読み進んでしまうのである。それが東野マジックなのだろうか。
 さて若かりし日の父は、自分を捨てた母を恨み続け、刹那的でヤケッパチに生きてきた。それがある日、未来の自分の子である時生と巡り合うことによって、少しずつ変貌してゆくのだった。

 ところで父と息子の関係ほど微妙で複雑な関係はない。父は息子を愛すると同時に嫉妬し、息子は父を尊敬しつつも憎しみを持つ。あたら近親なだけに、逆に呪いのような骨肉争いも生じるのだろうか。
 こうした作品を読んでいると、自分も一度父親の若かり日を垣間見たい衝動にかられる。それにしても実に楽しい作品で、過去・現在・未来が交錯する集大成作品と言ってもよいだろう。いつも思うのだが、東野圭吾の小説には「ハズレ」というものが全くないところが凄いよね。

評:蔵研人

サウンド・オブ・サンダー3

 本作はSF小説の巨匠レイ・ブラッドべリの短編『いかずちの音』を映画化した、時間テーマSF作品である。さて話の内容だが、近未来でタイムマシンが完成され、大金持ちの間で時間旅行が流行する。ところが客の一人が規則を破り、大昔の世界から『あるもの』を持ち帰ってしまう。そのおかげで生態系が変化し、現代に戻ると大異変が起きてしまうというお話なのである。

 ところがネットでは、何故かこの映画の評判がすこぶる悪い。しかしそれでブルってしまっては、「時間テーマ好き」の名が廃る!。と言うわけでつまらなくてもともと、という気持ちで映画館に足を運んだものだが、良いほうの期待外れであった。
 確かに全生物の再構成という、人類の危機を描く「超々大スペクタクル巨編!」にしては、余りにも登場人物が少な過ぎるし、軍隊も出動しないのはどうしたことだろう。そのうえ恐竜のCGもゲーム並だった。つまりB級に限りなく近い映画なのである。たぶんこれが悪評の原因なのかもしれない。

 しかしB級好きで、時間テーマの虜になっている私にとっては、非常にワクワクドキドキの楽しい映画だった。殊にイグアナとゴリラの合いの子のような進化した恐竜達には、妙に納得してしまった。たぶん爬虫類が進化すれば、類人猿のようになるのかもしれない。
 またタイムマシンで戻ったときに、いきなり環境が変わるのではなく、序々に変化してゆくのである。この変化のタイミングは、「時間の波」が押し寄せるたびに起こる、というアイデアも面白かった。もちろんそうしないと、戻ったとたんに映画が終わってしまうけどね・・・。まあ何を期待してこの映画を観たのか、という部分の違いでこの作品の評価も大きく分かれるところなのかもしれない。
評:蔵研人

タイム・リープ あしたはきのう5

著者:高畑京一郎

 著者の高畑京一郎は、1993年の『クリス・クロス 混沌の魔王』で第1回電撃ゲーム小説大賞〈金賞〉を受賞してデビューしたのだが、本作を含めていまだに4作しか書いていないという超・遅筆作家である。本作はそんな数少ない著作の中でも代表的な作品であり、1997年には大林宣彦監督の監修で実写映画化もされている。

 さて本作はタイムトラベル系の小説だが、タイムマシンを使って時空を超えると言う方法ではなく、女子高生の危機意識による時間移動という手法を用いて時空を越えてゆく。但し同じ時間軸を二度以上経験することはなく、ランダムに時間を渡り歩くという展開なのである。
 そしてなぜそうした現象が生じてしまったのかという謎解きに、ヒロインを狙い続ける犯人の存在が絡んでくる。だからどうなる・どうなると夢中になって、一気にむさぼり読んでしまうのである。
 ことに緻密な時間論理構成による時間パズル的な手法は、発表当時には驚くほど新鮮であった。さらにSF・ミステリー・学園・恋愛を絡めたうえにテンポも良く、まさに上質の名作小説に仕上がっていると確信する。
 
 さて『タイム・トラベル』、『タイム・スリップ』、『タイム・リープ』など、時間移動方法には似たような言葉があるのだが、一体これらはどう違うのだろうか。余り自信はないのだが、次のように括ってみたのだがいかがかな・・・。
タイム・トラベルとは、タイムマシンなどを使って時空移動するオーソドックスな方法
タイム・スリップとは、地震などの突発的な災害や事故により時空移動する方法
タイム・リープとは、自分自身の能力や意識により時空移動する方法
 こんなところであろうか。

評:蔵研人

タイムスリッパー -YUKIの跳時空ー4

作者:野部利雄

 1984年から、2008年にタイムスリップしてきた女子高生の由希。24年前の彼女は、清純で超ボインの美少女だった。そして過去の彼女が現代にタイムスリップすると同時に、現代の中年由希お母さんは別の次元に消えてしまう。
 つまりタイムパラドックスが起こらないよう、同人人物が同じ時空に留まることは出来ず、中年由希が美少女由希と入れ替わったことになる。

 従って当然だが、美少女由希は24年前の記憶しか持っておらず、中年由希とは別人格の存在なのである。現代の世界では、結婚して高校生の娘がいるし、未来世界なのだから、美少女由希は全てに戸惑うばかり。もっとも警官である夫も女子高生の娘も、はじめはその成行きが信じられない。

  作者の野部利雄は、地味な漫画家で知らない人も多いと思うが、あの浦沢直樹がアシスタントをしていたこともある。その絵柄は丁寧で美しい。実をいうとこの漫画を買うきっかけになったのも、タイムトラべルものということと、表紙を飾る清楚で美しい女子高生の絵に惹かれたからである。

 読み始めた頃は、タイムスリップを利用しただけの学園マンガなのかと思った。だが読み進めて行くうちに、タイムパラドックスなどについても、きちっと描いている正当なタイムトラべル作品であることに気付いた。
 そして話をダラダラと引き伸ばすこともなく、全3巻できっちり完結している。アシスタントだった浦沢直樹は、引き伸ばし名人だが、地味でも流石師匠は一流である。潔くて好感が持てるね。

評:蔵研人

この胸いっぱいの愛を 小説4

著者:梶尾 真治

 ある場所から、6人の男女が同時に20年前の世界にタイムスリップする。その6人は、どうしても過去に戻ってやり直したいことがあるということで共通していた。本作はこのタイムスリップした6人それぞれの行動を、5つのショートストーリーに分割して描いた群像劇ということになる。
 正式な原作は梶尾真治の『クロノス・ジョウンターの伝説』で、それを同著者が映画化を睨んでノべライズとしてアレンジしたものらしい。従ってストーリーは、ほとんど映画と変わらないのだが、重要な部分が映画では省略されていたり、変更されていたことが判った。

 また映画ではタイムスリップしたのが4人だったが、小説のほうでは6人なのである。正確にいうと、省略された2人はカップルだったので、お話としては1つのストーリーがカットされたことになる。
 たった1つのストーリーだが、このお話は5つのストーリーの中でも2番目に素晴しい話で、かなり泣ける話でもある。そして、このストーリーの拠点となる鈴谷旅館とも接点を持ち、ラストの展開にも影響することになるのだからかなり重要なのだ。
 もう1つはラストシーンが、大きく異なっていることである。映画では大不評だったラストと異って、小説のほうは実に見事な締めくくりを施しているではないか。

 それから映画の中では、タイムスリップやパラドックスに関わる論理が全く不在だったが、小説のほうでは多少無理はあるものの、それなりに納得出来る理論をちりばめていた。さすが小説は素晴しい・・・というよりは、これを映画化した監督と脚本家のセンスのなさに改めて呆れてしまった。
 タイムパラドックスを扱った似たような映画といえば、『いま、会いにゆきます』がある。これも映画、マンガ、小説のハシゴをしたが、こちらは映画のほうに軍配をあげたい。例え原作ものでも、創り方次第では映画が勝つことも出来るのである。

評:蔵研人

この胸いっぱいの愛を 映画3

 ある場所から、4人の男女が同時に20年前の世界にタイムスリップする。またその4人は、どうしても過去に戻ってやり直したいことがある、ということで共通していた。
 1人は盲導犬と離れ離れになってしまった老女であり、2人目は過去に他人の花壇を壊したまま、謝り忘れてしまった世界的に著名な学者である。そして3人目は、出産と同時に母親を亡くしてしまった暴力団のチンピラで、全員が過去にやり残したことを成し遂げると、元の世界か何処かへ消えてゆくのだった。

 最後の4人目が主人公(伊藤英明)で、彼が少年時代にあこがれていた近所のお姉さん(ミムラ)に逢うことになる。このお姉さんは、天才バイオリニストなのだが、主人公の少年時代に病気で死ぬことになっている。
 なかなか興味深いテーマであり、切なくて感動的なシーンも多く、子役も含めて出演者それぞれが、持ち味を生かした良い作品であった。とくにミムラが、とても魅力的な女性になり切っていたと思う。また中村勘三郎、賠償干恵子などの大物が、チョイ役で出演していたのにもちょいと驚いた。

 ただ時間テーマものとしては、設定にかなり無理があったし、反則技も乱発していたのが気に入らない。
 過去の自分に会うことは、タイムパラドックスを引き起こすためタブーのはずだが、最初から最後まで自分と一緒に暮らすのだから、かなり安易な設定ではないか。そもそもそんな過去があればそのことを覚えていて、現状の行動には繋がらなかったはずだから、主人公のストーリーは成り立たないのだ。

 また過去を変えれば、現在も変わるはずだが、何も変わっていない(あるいは説明不足か)のも納得しかねた。それに、あれ程慕っていたお姉さんと、いつの間にか疎遠になってしまったパラレルワールド?にも矛盾を感じるし、余り気分が良くはなかった。
 もっと上手な種明かしが出来ないところに、この監督の限界を感じるのだ。更には、観客サービスのつもりで挿入したような、ラストの天国らしきシーンも余計な一幕だったのではないだろうか。

評:蔵研人

地平線でダンス4

作者:柏木ハルコ

 この作者の作品は、いつも悪女の存在がしつこいのと、主人公と思われる人物の主張がなかなか実現されないというイライラであろう。だからいつまでもストレスが発散出来ないのだが、次の展開が気になって続きを読みたくなるという矛盾した麻薬的な力を持っている。

 さてこのコミックのストーリーは、ワームホールを利用したタイムマシンの実験で、間違ってマシンに搭乗し、肉体は消滅したものの、心だけが末来に跳んでしまう女性研究員のお話である。
 この話の中で興味深かったのは、過去へのタイム卜ラベルは不可能というパラドックスを崩したことである。つまりタイムマシンで過去へ行けるなら、なぜ今まで未来人がタイムマシンでやって来なかったのか?という疑問が残る。
 その他よく言われる「親殺しのパラドックス」や、本人との遭遇などについては、無限にあるパラレルワールドの存在を認めることによって解消出来る。だが「なぜ今まで未来人が来なかったのか」の回答にだけは窮していたのである。

 ところが本作のタイムマシンは、過去と未来のワームホールの間しか移動出来ない。だから過去に行くにも、初めてワームホールが作られた日より以前には跳べないのである。
 これで「なぜ今まで未来人が来なかったのか」の回答が可能になるのだ。つまりタイムマシンもワームホールも、現状では発明されていないからだということである。いやはや簡単明瞭に解決したものだ。もし著者が考えたのなら大天才だが、多分どこかで仕入れた理論なのであろう。
 タイム卜ラベル・パラドックスが大好きな私にとって、このことだけで十分にこのマンガを読んだ価値があった。あとは読んでのお楽しみ。全5巻なので読み易くて気に入っている。

評:蔵研人

地下鉄(メトロ)に乗って 映画4

 ご存知、浅田次郎の同名小説を、映画化した作品である。原作ものを映画化すると、原作を読んだ人達は、どうしてもつっこみを入れたくなるようだ。
 しかし商業ベースの映画には、いろいろと制約があり、原作を舐めるように再現することは不可能である。また映画は単に原作の映像化ではなく、映画としての持ち味を発揮することが本分なのだから、原作をアレンジしても仕方がないだろう。
 そのことを念頭に置いて、この映画のレビューを書きたいと思う。

 傍若無人な父親と絶縁した主人公長谷部真次は、地下鉄で過去にタイムスリップしてしまい、そこで若かりし日の兄と父に逢う。またなぜか、会社の同僚で愛人の「軽部みち子」も、一緒にタイムスリップするのであった。
 父母が若かったとき、彼等は一体何を考え、どういう生活をしていたのだろうか。話には聞いていても、実際に自分の目で確かめたいと、誰でも一度は考えるだろう。
 この作品はタイムスリップという手法を使っているものの、決してSFではなく「父と息子」の間に横たわる永遠のテーマを投げかけているのだ。

 私の場合は、既に小説を読んでいるので、『三丁目のタ日』のように懐かしき昭和時代の映像に期待していた。ところが新中野の駅前はオート三輪と、オデオン座の建物以外には、余り懐かしさを感じなかったね。また闇市にも、新宿のイメージが湧いてこなかった。この辺りに製作費の貧弱さを感じてしまった。
 あとキャストについて、小沼佐吉の若かりし日は、大沢たかおではなく、別の俳優が演じるベきだった。大沢たかおでは、余りにも年令が乖離し過ぎているし、映画を観ている人にすぐに父親であるネタがバレてしまうじゃないか。
 それと吉行和子の母役も何かピンとこなかった。ちょっとイメージが違うんだね。八干草薫あたりのほうが適役だと思う。

 また終盤のみち子とお時の『階段事件』のあと、真次が現在に戻って会社に行ったときの女性事務員が若過ぎるのだ。よく見ていないと、みち子なのかと勘違いする人もいるかもしれない。あそこは、みち子とは全然別の人と判るようなオバさんのほうが良いだろう。
 それから社長に一言「みち子って一体誰のこと?」ぐらい言わせないとだめだね。小説を読んでいる人ならば事情が判るが、初めてこの作品に触れた人や、タイムパラドックスを知らない人には、パラレルワールドの世界を認識出来ないだろう。
 このあたりに、この監督の限界を感じてしまった。またお時やみち子の描き方も足りないが、これは上映時間という制限もあるので、ここでそれを言及するのはやめておこう。

 ところで、このタイトルに係る重要なことで、兄が地下鉄で自殺するというシーンが、トラック事故に変更されてしまったのである。しかしこれは、多分東京メトロ側が拒否したのだろう。東京メトロの協力なしには、この映画は完成しなかったことを考えると、これは仕方がないのかもしれない。
 一方俳優さん達は、全員が役にはまり込んで素晴らしかったね。大沢たかおが絶賛されているが、むしろ淡々とした役柄を巧く表現した堤真一を誉めてやりたい。またみち子を演じた岡本綾の、可愛らしさの中にかい間見る、憂の漂う表情が実に良かったね。またオープニングとラストシーンに顔を出す、田中泯の強烈な存在感ある演技にもしびれてしまった。

 さてと、父と息子をテーマにした作品は数知れないが、その多くが相反する父子感情を描いている。なぜこうも父と息子は反目しあうのだろうか。
 実は父と息子は、親子である以前に「ライバル」同士なのではなかろうか。それに時代背景の違いを、お互いが理解しようとしないのも食い違いの原因なのだろう。
 私の父は長男で、少年の頃から貧しい一家を支えてきた。そして大平洋戦争に行き、戦後も胃ガンの発病を無視して無理な労働を重ね、42才で鬼籍に入ってしまった。

 一方、子供の頃から働くことが嫌いで、いつも家業から逃げ回っていた私は、同じ長男であっても、父とは月とスッポンほどの違いであった。だから父にはよく怒鳴られたし、思い切り殴られたものだ。当然そんな父の印象は、ただただ怖い人ということだけだった。しかし若くして父が忙くなったとき、一番悲しんだのは、以外にも私だったのだ。
 父が亡くなって、既に半世紀以上経ってしまった。もしも今、父が生きていたら介護で大変かもしれない。しかし一度でいいから、酒の好きだった父と二人で、一献傾けたかったと思う初夏の夕暮れである。

評:蔵研人

地下鉄(メトロ)に乗って 小説4

著者:浅田次郎

 直木賞『鉄道員(ぽっぽや)』を書いた浅田次郎が、吉川英治新人文学賞を受賞した作品である。過去にタイムスリップして、自殺した兄を助けに行ったり、反目している父の若かりし日を訪ねるため、「戦後」、「戦中」、「戦前」、「戦後」・・・と時間軸を行ったり来たりするのだ。
 ところで地下鉄のことを「メトロ」と呼ぶのはフランスであり、イギリスでは「チューブ」とか「アンダーグラウンド」、アメリカは「サブウェイ」で、ドイツでは「ウーバーン」と呼ぶらしい・・・。日本では「メトロ」という言葉が一番馴染んでいるし、なんとなくそこはかな郷愁さえ感じてしまう。ことに銀座線と丸の内線には、ピッタリの呼び名であろう。

 さてこの話を読み始めたときは、古い地下鉄の出入口が、『タイムトンネル』になっていると思っていたのだが、どうもそうではないらしい。家で眠っているときにも、タイムスリップしてしまうからだ。
 結局なぜタイムスリップしたのか原因も判らずじまい、もしかすると全てが主人公の妄想か、夢だったのかもしれない。しかしもしそうだとすると、何故「みち子」が登場したのか説明し辛くなってしまう。その辺りは曖昧であり、エンディングも余り歯切れが良くなかった。

 どうして浅田次郎の作品は、いつも切なく救われない話が多いのだろうか。確かにこの小説はSF的な手法を使ってはいるが、実は似たもの同士の「父と息子の確執と苦悩」を描いた心理小説と言えないこともない。
 そしてこの場合、「みち子」の存在は、嫌悪していた父と同様に、主人公も愛人を持ちたいという願望が作り出した妄想だったと、解釈するしかないだろう。そしてそれを皮肉な結末と結びつけると、主人公の父に対する激しい愛憎と情念を体中に感じてしまうのだ。
 確かに父と息子の関係は難しい。息子にとって父親は、なくてはならない存在なのだが、父親がその存在感を示せば示すほど、若い息子は父を恐れたり憎んだりするものである。やがて父が死んで息子が成長したときに、初めて父の偉大さを知り、父を尊敬する時が来るのだ。さてさて父親とは、なんと報われない存在なのだろうか・・・。

評:蔵研人

バタフライ・エフェクト5

 タイトルの『バタフライ・エフェクト』とは、一羽の蝶が羽ばたいただけで、地球の裏側で、竜巻が起こるという「カオス理論」のひとつだという。つまり、何でもないことを変えたために、大きな変化が起こる場合のたとえなのである。

 繊細でlQの高い美青年が、少年時代の日記を読むことによって、少年時代の意識に介入出来る能力を発見する。そして自分のせいで不幸になり、自殺してしまった幼な馴染みの少女を救うため、過去の自分の行動を何度も変えてみるのだが・・・。
 この作品は、タイムテーマとミステリーを上手に組み合わせ、そこにスタンド・バイ・ミー風味をブレンドしたような間口の広い大秀作である。また何度過去を変えても、事態はなかなか好転せず、イライラさせながらも、ラストでは「一番大切なもの」を切り捨てることによって、全員が救われるという皮肉なハッピーエンドを用意している。

 製作費は余りかけていないようだが、久々に「本物の映画」を観た感があった。ただのんびりと観ていると、状況把握が困難になり、何が何だか判らなくなるので、じっくりと真剣に観る必要があるかもしれない。
 またよく判らなかった人には、映像写真付きの文庫本が発行されているので、解説書代わりに読んでみたらどうだろうか。内容は映画と全く変わらないので、複雑なストーリー展開が良く理解出来るはずだ。但しラストの一行?だけは映画と大きく違っているのでご注意。

評:蔵研人

遥かな町へ5


作者:谷口ジロー

 48歳の会社員中原博史は、京都出張が終わって、真直ぐに東京の自宅に帰るつもりだった。ところが無意識のうちに、フラフラと故郷・倉吉へ向かう特急列車に乗ってしまう。そして変わり果てた倉吉の街中を、トボトボと歩いているうちに、いつの間にか亡き母の菩提寺へ来てしまった。そして亡母の墓前で、昔のことをあれこれと考えていた・・・。
 彼の父は彼が中学生のときに、母と自分と妹の三人を残して、突然謎の失踪をしてしまったのだ。その後二人の子供と体の弱い祖母を抱えて、母は一人で夢中になって働き、子供達が独立するのを待っていたかのように、過労のため若くして亡くなってしまったのである。

 母の墓前で昔のことを思い出しながら、うとうとして気がつくと、博史は心と記憶が48歳のまま、14歳の中学生に変身していたのだ。信じられないことだが、町に戻るといつの間にやら、そこは懐かしい34年前の故郷の風景に戻っていて、無くなってしまったはずの実家も復活しているではないか。もちろん家には父も母も祖母も妹もいた。つまり34年前の自分の体の中に、48歳の自分の心がすっぽりとタイムスリップしてしまったのである。

 この手の展開はケン・グリムウッドの『リプレイ』と全く同じ手法である。ただ『リプレイ』の場合は、未来の記憶を利用して博打や株で大儲けし、美女を思いのままにしたり、という派手な展開であった。そしてある年齢に達すると、再び青年時代に逆戻りを何度も何度も繰り返すというパターンなのだ。
 本作『遥かな町へ』は小説ではなくマンガであるが、『リプレイ』のような派手な展開や時間ループはなく、じっくりと、ほのぼのとしたノスタルジーを喚起させてくれる大人向けの作品なのである。さて中学生に戻った博史は、実務で鍛えた英語力と落ち着いた雰囲気で、高嶺の花だった長瀬智子に好意を持たれて、彼女とつき合い始めるようになる。

 そして優しく美しい母、働きもので誠実な父、明かるくオテンバな妺、父母の巡り合いを教えてくれる祖母たちとの、懐かしい生活が続くのだった。そんな楽しい中学時代を過ごしていくうちに、いよいよ父が失踪した日が近づいてくる。
 人は皆、もう一度人生をやり直せたらと、考えたことが必ずあるに違いない。でもそれは現在の記憶を持ち続けると言う事が条件だろう。そうでなければ、結局はただ同じ事を繰り返すだけで、全く意味がないからである。

 しかしながら赤ん坊のときから、以前の記憶を持ち続けてしまったら、きっと化物扱いされるだろうし、自由にならない身体にイライラしてしまうに違いない。だからこの手のストーリーは、ほぼ示し合わせたように、青年時代あたりに戻るのであろう。
 もし自分も同じように、現在の記憶を持ったまま過去に戻るとしたら、どうしようか・・・だがそれは無しにしたい!。古い懐かしい思い出は、美しく改竄されたまま、そっと心の中にしまって置きたいし、再びふりだしに戻って生きてゆくことが、とても面倒な年令になってしまったのであろうか。

評:蔵研人

いま、会いにゆきます 小説4

著者:市川 拓司

 15年前に映画のほうを先に観たのだが、そのあとすぐにこの原作本を図書館で予約し、約4ヶ月間も待った記憶がある。映画のほうは細かい部分で脚色されているものの大筋は全く同じなので、小説の登場人物の顔と俳優達の顔が見事に重なったものだ。
 読み易くて面白いので、通勤電車の往復であっという間に読んでしまったのだが、結末がわかっているものの、やはりラストで涙を流してしまった。

 この作品は結末が判らないほうが楽しめるし、その結末がかなり捻れているので、映画を先に観て、小説でじっくりと仕掛けを確認するほうがよいだろう。
 さて映画が良いか原作が良いかと聞かれたら、たぶん私は映画のほうに軍配をあげると思う。だからといって、決してこの小説の出来映えが悪いと言う訳ではない。
 まるでこの小説は、あの映画を創るために書いた作品のように感じてしまった。DVD化されてまた映画を観たのだが、今度はまた原作を読みたくなってしまった。まるでこの作品のように、グルグルと循環してしまうのだろうか。

評:蔵研人

いま、会いに行きます 映画5


 邦画にしては珍しく、3ヵ月のロングランを記録した作品である。またこの映画を観た知人の感想も、ネットの評価も非常に高く、当時はかなり気になっていた作品だった。
 ジャンルとしては、純愛ファンタジーとでもいうのだろうか。韓国系のファンタジックなストーリー展開とやや似ているのだが、この作品のほうが完全に勝っているはずだ。

 ストーリーのほうは、妻に先立たれた父と幼い息子が、梅雨の間だけ亡妻(母)と会い、夏の訪れとともに、やがて妻は、別世界へ帰ってしまうという、現代版かぐや姫のようなお話である。
 竹内結子の知的な美しさと、ごっつい風貌に似合わず、優しく純な心を持つ中村獅堂と、可愛い子役のアンバランスな取り合せが、不思議なくらいぴたりとはまっていた。
 また美麗な映像と山合いの静かなロケーションが、ファンタジックな雰囲気を盛り上げ、観客の心を優しく包み込んでくれたような気もする。

 そして竹内結子が別世界へ戻ってからの、メビウスの輪と鏡の裏側を観るような展開には、かなり感動させられた。同時に、精密機械のように巧みに練りあげられた、職人芸のような脚本にも脱帽せざるを得ないだろう。
 これで前半少しモヤモヤしていた謎が全て解明され、すっきりとした形でエンディングを迎えることが出来たのである。そしてタイトルの『いま、会いに行きます』の意味も判るはず・・・。
 もちろん、涙もろい私は何度もハンケチのお世話になってしまったが、この作品が発する『純愛オーラ』に、周囲の老若男女の全員が、そして映画館全体が涙色に染まってしまったのである。
評:蔵研人

流星ワゴン4


著者:重松清

 なんともマンガチックで、懐かしい響きを持ったタイトルである。この「ワゴン」とは、幽霊父子が運転するワゴンカーであり、ワインカラーのオデッセイのことでなのである。そしてこのオデッセイこそ、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』でいうデロリアンであり、一種のタイムマシンなのであった。

 病床の父親とは、ほば絶縁状態。妻はテレクラに狂い、一人息子は受験に失敗し家庭内暴力に走る。そして会社が傾き、リストラの対象になる。・・・こんな最悪の家庭環境に追い込まれたとき、あなたならどうするだろうか?
 主人公のカズは、もう人生なんてどうでもよくなり、いっそ死んでしまいたい気持で一杯になる。そして目の前に止まったワインカラーのオデッセイに乗ってしまうのだ。これがこのお話の始まりである。
 前述した通り、このワゴンカーはタイムマシンであり、家族が破綻する以前の過去へと疾走して行く。どういう訳か自分と同年期の父親も、一緒にタイムトラべラーになっているのだ。
 それから、悲惨な自分の現在(未来)を変えようと、何度か過去を改竄しようと試みる。だがどうやっても、過去は絶対に変えられない。

 この小説でのタイムトラべルとは、過去の自分の体に、現在(未来)の自分の意識だけが憑りつくという方式であり、決して過去の自分に遭遇することはないようだ。そして現在(未来)に戻るつど、過去の自分にはそのときの記憶も、記録も全く残らない仕組みになっている。ただ稀にそれとなく、体験感覚が揺り戻されることがあるようだが、それが『デジャヴ』と呼ばれている現象らしい。
 いわゆる「リプレイ」ものなのだが、絶対に過去は変えられないため、パラレルワールドの存在もない。
 またかなり違和感を感じるのが、同時にタイムトラべラーとなる父親チュウさんの年齢である。息子のカズと同い年であるはずがないのだが、チュウさんは幽霊に近い存在と考えて、タイムトラべルと関連付けないほうがよいだろう。このお話はタイムトラべルと、幽霊を重ね合わせた物語なのだから・・・。

 なにせ466頁もあるブ厚い文庫本だが、ストーリーの中味は非常にシンプルで、どこにでも居そうな三組の「父と息子」を描いている。まずはオデッセイを運転する幽霊の橋本さん父子、そして主人公のカズとチュウさん、もう1組はカズと息子の広樹である。
 そしてこれだけの長編にも拘わらず、女性達はほとんど存在感がなく、父と息子の関係だけに終始しているのだ。この辺りの描き方は、女性読者には少し抵抗があるかもしれない。そこにこの作者の、父親に対する強烈な思い入れを感じた。
 
 さて私自身の父親は42才で鬼籍に入っている。出来ることなら、私もタイムマシンに乗って、若かりし頃の父と一献傾けたいものである。
 父子の愛憎とタイムトラベルという筋立ては、浅田次郎の『地下鉄(メトロ)に乗って』と良く似た展開である。ただ浅田次郎のように切ないエンディングではなかった。だからと言って、決してハッピーエンドとも言えない。
 過去にこだわらず、「未来に向かって力強く生きてこそ、幸福への扉が開かれる」と言いたいのだろうか。

評:蔵研人

タイムマシン論3

著者:二間瀬敏史

 相対性理論を非常に判り易く解説してくれているのだが、物理オンチの私には今一つ理解出来ない。だが読み易い本なので、2日間で一気に読み終ってしまった。
 さて現在の理論では、光より早く進む物体はあり得ないと考えられている。光速に近づくと質量が膨張してしまうからであり、質量の増加に伴って、速度が落ちるからだという。

 また双子のパラドックスやウラシマ効果という言葉を知っているだろうか。つまり、静止しているものよりも、動いているものの時間のほうがゆったりと進むのである。
 結局、相対性理論では未来には行けても、過去に戻ることは出来ない。過去に戻るためには、光速を超えるか次元を曲げるしかないという。机上の理論では、ワームホールとか、タキオンを利用することによって可能だという。だが現在の科学では、これらを利用するための空間やエネルギーが得られず、当面の間は、とうてい実現不可能であろう。

 また、そもそも未来に行けるといっても、テープの早送りと同じで、過去をスキップしているに過ぎないのだ。バック・トゥ・ザー・フューチャーのように未来の自分に逢ったり、現在に戻って来たり出来ない限り、タイムトラベルしたとは言い難いだろう。
 それほど古くない本なので、もう少し新しい理論の発見などを期待したのだが、結局判り易く書き直しただけで、数10年前の理論から一歩も出るものではなかったのが残念である。

評:蔵研人

ジパング4

作者:かわぐちかいじ

 2002年に第26回講談社漫画賞一般部門を受賞した戦記マンガである。と言っても、単なる戦記物ではなく、自衛隊のイージス艦が隊員を乗せたまま、第二次世界大戦の真最中である1942年にタイムスリップしてしまうところから始まるのだ。
 レーダーやミサイルという現代兵器を搭載しているイージス艦にしてみれば、当時の米軍戦艦や戦闘機など物の数ではない。ところが自衛隊員たちには、自衛のため以外の戦闘はしてはいけないという戒律が沁み込んでいるため、積極的な攻撃は全く出来ないのであった。

 また自衛隊員に救助され、歴史のからくりを覗いてしまった帝国海軍の草加拓海少佐は、原爆による日本の敗戦を知ってしまう。だが彼は歴史をねじ曲げても大日本帝国を守り、新しいジパングを目指すことを決意する。そして米国より先に原爆を創り上げ、それを戦艦大和に乗せて米国軍へ向かうのであった。
 だがそれを阻止するのは米軍ではなく、未来から来た自衛隊員という皮肉。その結果として歴史は大きく捻じ曲げられることはなかったのだが、それと引き換えのように、たった一人の隊員だけを残し、全ての自衛隊員は死亡して、歴史から抹殺されることになってしまうのである。

 なかなか興味深いストーリーであり、歴史上の人物も数多く登場するので大いに勉強になるのも嬉しい。従って全43巻という大長編にも拘らず、あっという間に読破してしまった。
 だが何となく物足りない。自衛隊員が余りにも保守的過ぎて、ほとんど米軍を攻撃しないどころか、歴史を守るために逆に米軍を守るという結果になるのが歯がゆいのだ。

 どうせマンガなのだからと言っては失礼だが、この際歴史なんぞどうでもいいじゃないの。いずれにせよタイムスリップしたこと自体が荒唐無稽なのだから、米軍を完璧に叩き潰し日本軍を勝利に導いてくれたほうが溜飲が下がるというものだ。
 そして変貌してしまった未来、つまり歴史に存在しない『ジパング』の姿を紹介し、パラドックスで捻じりながら締めくくって欲しかった、という気分で一杯なのである。まあ43巻の大作なので仕方がないものの、ちょっと真面目過ぎたのか、或は気取り過ぎたのではないだろうか。

評:蔵研人

やみなべの陰謀3


著者:田中哲弥

 江戸時代から現代に、千両箱を持ってやってくる、アロハシャツの大男の『バック・トゥ・ザ・フューチャー』である。それにしても、このタイトルは意味不明だ。
 この話は5話の短編で構成され、それぞれ主人公が微妙に入れ替わる、一種のオムニバスである。

 第1話「干両箱とアロハシャツ」は、栗原守という青年が主人公で、何やらヤーさんの抗争に巻き込まれてしまう。それから、「ドブさん」という正体不明の変なおじさんが登場し、落語のような雰囲気で話が進んでゆく。
 第2話「ラプソディー・イン・ブルー」も、栗原守が主人公だが、第1話との関連性がない。どちらかというとラブコメ風のタッチだが、文体は筒井康隆風のハチャメチャ・ナンセンス調である。大村井君という気持ちの悪い、オタク風の友人が登場するが、5話中一番面白かった。
 第3話「秘剣神隠し」は、江戸時代の悲恋物語。ここで、タイムスリップしてくるアロハシャツの正体が、寺尾俊介という巨漢武士であることが判明する。
 第4話「マイ・ブルー・へヴン」は、近未来の話。訳の判らん大阪府知事が、極端な独裁体制を敷く。余りにも非現実的で、残虐なので一番嫌いな話だ。
 第5話「干両は続くよどこまでも」は、また現代に戻った寺尾俊介が、このタイムトラベルの解明をする。しかしこの収束には不満が多い。

 小説で一番いけないのは、実は夢だった。という終わり方だ。この話が夢だった訳ではないが、結果としては似たような結末になるのである。またせっかくドブさんや大村井君というユニークなキャラを登場させたのに、彼等は正体不明のまま中途半端に切捨てられている。
 第1話から第3話までは、かなりお面白く読ませてもらったが、どうもそれ以降の話が退屈で最後の収束もいい加減な感じがする。
 この田中哲弥という作家、どうも基本的になまけもののようである。適当にストーリーをはしょるので、長編ものは書けそうも無いし、15年間で本書以外に4冊位しか書いていないのだ。たぶん本気になって小説に取り組めば、味の良い短編が書けると思うのだが・・・。

評:蔵研人

サマータイムマシン・ブルース4

サマー

製作:2005年 日本 上映時間:107分 監督:本広克行 主演:瑛太、上野樹里
 ある程度の内容がわかっていて、かつタイムトラべルに興味がある人でないと、全く見向きもしないB級映画だ。多分興行成績は、惨澹たるものだったろうな・・・。それを乗り越えて、この映画を作った人は実に偉い!
 前半は途中で画面が真っ暗になるシーンがいくつかあり、受けの悪いドタバタギャグが続くので、うんざりしてしまった。ただこの真っ暗になるシーンが、後半に種明かしされる「問題の事件」があった部分なのだから仕方ないのだが・・・。

 ところが中盤にタイムマシンが登場してから、この作品は俄然面白くなるので、それまでは絶対投げずに我慢して観ていて欲しい。しかしこのタイムマシンに乗って、25年後の未来からやってくる田村君のなんとダサイこと。着ている服もへアースタイルも、未来人というより、逆に一昔前の人のようなのだ。しかし、彼のほのぼのとした人柄と、このダサいスタイルがマッチして、この作品ならではのいい味を出していたと思う。
 また未来人のくせにデジカメでなく、アナログの古いカメラをぶら下げていたのも変な感じなのだが、これはラストの「落ち」に繋がる小道具ということで、納得するしかないだろう。

 それにしても自転車のようなタイムマシンを使って1日前に戻るだけのお話なのだが、この中にはタイムパラドックスや、時間流のねじれ現象などが、面白おかしく見事に描かれているので、なかなか見応えがあるのだ。
 この作品を作った人は、H・Gウェルズの『タイムマシン』と、ロバート・A・ハインラインの『時の門』、広瀬正の『マイナスゼロ』が、きっと大好きな人なのだろうなと確信してしまった。

 特に「昨日と今日の瑛太」と「カッパの謎」と「リモコンの時間旅行」は、なかなか凝ったアイデアだ。ひとつ理屈が合わなかったのは、ラスト近くに屋上で別れたはずの田村が、どうしてタイムマシンごと部室に戻ったのかということ。
 本来なら、タイムマシンで屋上に戻ってから、歩いて部室へ行かねばならないのだが、それでは格好がつかないので、あえてああいう形をとったのだろうか。このあたりのシーンには、バック・トゥ・ザ・フューチャーの影響を感じるね。
 製作費の少ない、コミカルでファンタジックな作品ではあるが、今までに余り観た事のない珍しい、そして面白い映画だった。あっ、そうそう言い忘れたが、上野樹里ちゃんが、いつもよりずっと可愛く感じたのは何故だろうか。

評:蔵研人

JIN-仁-5


作者:村上もとか

 いきなり2000年の現代から幕末の時代にタイムスリップしてしまった脳外科医・南方仁の活躍を描いたマンガである。僅かながらだが、現代の医療器具を持っていたことと、主人公南方仁の近代医療知識のお陰で、彼は一躍幕末時代の天才医師となってしまう。

 単行本は全20巻の大長編マンガで、その医療知識も豊富で的確である。また2011年5月には、第15回手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞している。
 勝海舟、坂本龍馬、西郷隆盛など、歴史上の重要人物も大勢登場するが、タイムパラドックスが起こらないように上手く配慮されたストーリー構成になっている。

 本作では近代医学知識を駆使する南方仁が、医療設備のない幕末時代で、当時の難病をどのように克服してゆくのかが注目の的になる。また彼と美少女・橘咲の淡い恋心と、その行方にもかなり心が惹かれてしまうのだ。
 さらに三隅俊斉という悪医師が、かなりしつこく最後まで主人公を抹殺しようと企む展開にもハラハラ・ドキドキさせられてしまった。そしてラストの見事な収束やどんでん返しには、思わず拍手喝さいを送りたくなってしまうだろう。

 また本作はTBS系の「日曜劇場」枠(毎週日曜日21:00 - 21:54)で、第一期が2009年10月11日から12月20日まで放送され、第二期は2011年4月17日から6月26日まで放送されている。主人公の南方仁役は大沢たかお、橘咲役に綾瀬はるかという豪華キャストであった。視聴率20%超えを果たすなど、もしかするとマンガよりTVドラマのほうが有名かもしれない。

評:蔵研人

ある日どこかで5


著者:リチャード・マシスン 訳:尾之上浩司
 映画のほうは、ご存知スーパーマンことクリストファー・リーブ主演で1980年に上映され好評だった。ところがリチャード・マシスンの原作本のほうは、世界幻想文学大賞を受賞したにもかかわらず、邦文翻訳されたのが2002年だというのである。
 従って私もこの本を手にするまでは、原作者がマシスンだとは思わなかった。マシスンといえば、ミステリーゾーンの脚本や『激突』、『縮みゆく人間』、『地獄の家』などで名を馳せており、まさか本書のようなラブファンタジーを書くとは思えない作風だからである。

 まずストーリーを簡単に紹介してみよう。
 脳腫瘍に冒され余命数ヶ月の主人公R・C・コリアは、あてのない旅の途中で立ち寄った古いホテルで、1896年にそのホテルの劇場の舞台に立った女優エリ一ズ・マッケナのポートレイトを見て一目惚れしてしまう。そして彼は、彼女のことやその時代のことをいろいろとと調べるうちに、75年前にこのホテルの宿泊者名簿に自分の名前を見つけるのだった。
 そのことがきっかけとなり、彼は必死で75年前に遡るように念じて、望み通りに過去にタイムスリップするのである。そしてついにホテルの近くにある海岸通リで、美貌の女優・エリーズに巡り合うことになるのだ。

 もしタイムスリップという現象さえなければ、この作品は恥しいほどバリバリの恋愛小説といえよう。またR・C・コリアがエリーズを求め続ける心の葛藤や、エリーズの乙女心が少しずつ変化してゆき、完全燃焼してゆくまでの描き方も実に見事である。
 これらの心理描写は、映画ではなかなか表現出来ない。まさに本書は、美しい映像で映画を観たあとに、じっくりと読み返して再び感動を得るためのアイテムといえるだろう。この際もう一度映画のほうも観直しておこうと思う。

評:蔵研人

マイナスゼロ5

著者:広瀬正

 オールドジャズファンなら記憶の彼方に残っているかもしれないが、著者は『広瀬正とスカイトーンズ』のリーダーであり、テナーサックス奏者として鳴らしたことがあるという。残念なことに43才の若さで他界しているが、存命中は『マイナスゼロ』、『ツィス』、『エロス』と連続三回も直木賞候補にノミネートされている。
 また著者はタイムマシンに異常な執着心を持っており、故人となった彼の棺には「タイムマシン搭乗者 広瀬正」と書かれた紙が貼られていたという。

 さて『マイナスゼロ』の主人公は、タイムマシンに乗って、現在(昭和38年)から昭和7年へタイムトラベルするのだが、登場人物や出来事については、タイムパラドックスを回避すべく、用意周到でかつ綿密に伏線が準備されている。そして始めから終わりまで、息もつかせぬスピーディー感のある面白いストーリー構成。
 さらに全編に趣味の良いパロディー風味が漂い、ラストにはなんとどんでん返しが3度も続くのだ。またその全ての事象が寸分の狂いもなく、驚くほど緻密かつ完璧に収束されてしまうのである。
 
 とにかく唸るほど見事な職人芸である。この安心できる爽快感が、最高のカタルシスへと導いてゆくのだ。まさに本作こそ、和製タイムトラベル小説の金字塔と断言しても許されるだろう。
 また本作は、時間テーマSFなのであるが、丹念に描写された古き良き時代の東京風物詩や、ミステリー風の謎解きもブレンドされており、余りSFに馴染みのない読者にも口当たりの良い印象を与えるものと確信する。とにかく呆れるほど凄い小説なのである。

評:蔵研人

Re:プレイ3

製作:2003年米・英国 上映時間:92分 監督:ローランド・ズゾ・リヒター

 ケン・グリムウッドの小説『リプレイ』が映画化された訳ではなく、全く違う作品なので間違えないように。どちらかというと、『メメント』風味の記憶パズルゲームといった趣向の映画である。

 交通事故に遭ったサイモンは、一時的に心停止状態となるが、懸命の措置を受け奇跡的に回復する。だが2年間の記憶を失ってしまった。そして彼の前には、妻を名乗る見知らぬ女性が登場し、サイモンが浮気をしていることや、兄のピーターが2年前に死んでいることを告げるのだった。
 どうしても消えた記憶に納得のいかないサイモンが悩むうち、MRI検査を受けるときに何者かに襲われ、突如として2年前の病院に逆戻りしてしまう。そこで彼の前に現れた看護師は、さきほど妻を名乗ったアナであった。

 兄の死、妻のアナや恋人クレアとの関係、担当医でなぜか小児科医のニューマンの存在など、なんだかよく分からないことだらけなのだ。2年前を行ったり来たりし、観客を翻弄するような、この時間軸パズルを解き明かすことは出来るのだろうか。もし一度観ただけで、このパズルを完璧に解ける人がいたら大天才であろう。

 本作では主人公が、過去と現代を行ったり来たりする。そして自分の責任で引き起こした兄の死の原因を、過去に遡って修正しようと試みるのだ。このあたりの展開は、この直後に創られた『バタフライエフェクト』に、かなりの影響を与えているような気がする。
 またこの作品は、『マルホランド・ドライブ』、『ドニー・ダーコ』などのダークな雰囲気を好むマニアにはお勧めかもしれないが、かなり好き嫌いの分かれる作品かもしれない。私自身はちょっと後味が悪くて、何でもありの夢落ち風ラストにも今一つ乗り切れなかった。

評:蔵研人

リプレイJ3

全12巻 著者:今泉伸二

 ケン・グリムウッドの小説『リプレイ』の版権を持つ新潮社が、主人公を日本人に変え、ストーリーも大幅に改編して、今泉伸二に描かせたコミックである。

 本家であるケン・グリムウッドの『リプレイ』は、冴えない主人公が43才になると死亡し、記憶を持続したまま25年前の自分の体に、タイムスリップしてしまうというお話だ。そしてこの死亡とタイムスリップの繰り返しを、約10回も行うのである。
 未来の出来事を記憶しているわけだから、賭け事や株で大儲けし、好みの女性も思いのままである。しかし結局のところ、それでは本当の満足感が得られず、何度も何度も人生をやり直す。そしてあるとき自分同様のリプレイヤーと巡りあい、本当の恋をする・・・。

 ~とざっとこんなストーリーなのだが、コミックの『リプレイJ』では、何度も繰り返しリプレイする人生は描いていない。小説同様やはりショボイ40男が、新入社員時代に戻るのだが、1度目のリプレイで、やりたい事をほぼ全て完遂してしまう。だから回を重ねるごとに段々スケールが大きくなり、ついには日本はおろか世界中を席巻してしまうのである。
 しかもほとんどが、歴史的実話で構成され、登場人物の名も本名をモジっただけで、顔は本人そのものなのだから笑っちゃう。

 これなら絶対に面白い・・・はずである。ところがこのコミックには、不思議といまひとつのめり込めない感がある。
 一言でいえば、細かい絵を追うのが疲れるのだ。そう、今泉伸二が描く絵は、細部に渡り美麗極まりないなのだが、まさにイラストであり動きが全くないのである。原作もののマンガを描く人には、このようなタイプの画風が実に多いね。
 それが唯一の欠点であり、残念だがマンガとしては最大の欠陥とも言える。まあ人それぞれなので、こういう絵が好きならば、文句なく楽しいマンガと言えるだろう。

評:蔵研人

リプレイ5


著者:ケン・グリム・ウッド  翻訳:杉山高之
    
アメリカの小説なのだが、ケン・グリム・ウッドの『リプレイ』を読んだであろうか? 北村薫の『ターン』が毎日の繰り返しであるのに対して、この『リプレイ』は一生の繰り返しなのである。主人公は43才になると突然死んでしまい、18才の若者時代の自分に過去の記憶を失なわずに戻るのだ。

 そしてまた43才になると死亡してしまい、再び18才の若者時代戻るということを繰り返すのである。つまり何度も人生をやり直せるため、大きなギャンブルや株式などは、その結果を記憶している限り大儲けも出来るし、美女も思いのまま!といった痛快なお話なのだ。

 ただ余りこれを繰り返しても退屈してしまうのだが、程よい時期に同じようにリプレイを繰り返す美女と出合う。そこから新展開を迎えるため、ストーリーは俄然お面白くなり、一体結末はどうなるのか非常に気になり始めてしまう。
 同じ新潮社から日本版にリメイクされたコミック『リプレイJ』も出版されているが、やはり原作本には遠く及ばない。470頁に及ぶ長編小説であるが、あっという間に読破してしまうほど面白いので、興味があれば是非一読してみよう。自信を持ってお勧めしたい。

評:蔵研人

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