製作:2009年 米国 上映時間:110分 監督:ロベルト・シュヴェンケ 原作:オードリー・ニッフェネガー

 この映画を観て、原題が『ザ・タイムトラべラーズ・ワイフ』だということを知って驚いてしまった。この原作本は、かなり前から私の蔵書に加わっているのだが、長い間未読のまま本棚の奥深く眠っていた。だから『きみがぼくを見つけた日』、というタイトルの本が出たとき、同じ小説とは知らずにダブって購入してしまい、これまた未読のまま私の書斎で眠っていたのである。

 タイムトラべルファンとしては、この映画が上映されたときも、非常に気になっていたのだが、いろいろ事情があって劇場で観ることが出来なかった。それでDVDが出るまでじっと待ち続けたのだが、かなりレンタル中が続き、やっと今頃になって手にすることが叶った訳である。
 そこで初めて原題を知ったと同時に、タイトルは異なるが、内容が全く同じである蔵書が二冊あることにも気付いたのである。上・下巻あるので、正確には四冊ということになるけどね。

 そしてDVDで映画は観たものの、いまだにこの原作は、書斎で眠り続けているありさまだ。ストーリーの大きな流れとしては、自分の意思とは関係なく、過去や未来にタイムスリップしてしまう、時間障害という不思議な体質を持った男と、その妻の半生を描いた奇妙なお話といったところか。『ベンジャミン・バトン』同様、特異体質を持つ男の切ないラブストーリーなのである。

 ただ映画には「おおむね2時間」という時間制限が伴うため、半生や一生を描く作品をその時間内に収めるのは至難の技であろう。だからといって、よほどの大作でもない限り、三部作などという贅沢は不可能である。従って、ある程度無理を承知で映画化したに違いない。そのせいか、ストーリーの一部に理解し難い部分があった。

 
 それで急遽、原作を読んでみることにしたわけである。原作のほうは、前半は何度もヘンリーがクレアのもとを訪れる。ヘンリーが時空を跳んでくるたびに、クレアは成長してゆくのだが、ヘンリーのほうは中年だったり、若かったりと転々バラバラで、一定の法則もないようだ。とにかく嫌になるほど頻繁にタイムスリップを繰り返すのだ。

 だがどんなに若くとも、現実のへンリーが始めてクレアとめぐり合った27才より若いということはないのだ。この現象はたぶん、タイムスリップする原因とも関わってくるのであろう。
 つまりへンリーがタイムスリップする場所は、彼が大切に思っている人がいる場所ということになる。だからこそ最愛のクレアのもとに何度も現われるのだろうか。

 上巻はへンリーとクレアが無事結婚式を終えるまでを描くのだが、余りにも執拗なタイムスリップに辟易してしまう。まだなぜ自分の意志とは無関係に、全裸でタイムスリップしてしまうのかは明かされていない。タイムスリップのつど服を探すという奇妙な展開が執拗に続くことに辟易してしまう。
 下巻を読み終えるにはかなり時間がかかってしまった。上巻の愁眉はへンリーとクレアの結婚であったが、下巻では二人の子供を生むことが焦点となっている。

 つまり子供にもへンリーの遺伝子が承継されるため、胎児の時代からタイムスリップしてしまい、結局母体を損傷した挙句に流産となってしまうからである。だが胎児がどこにタイムスリップしてしまったのかまでは描かれていない。
 結局へンリーがタイムスリップしてしまう原因は不明のまま、多分特殊な遺伝子のために起こるのだという訳の判らない理屈の中に封じ込められてしまうのだ。こうして延々と出口の見つからないホームドラマが続くので、途中でだんだん嫌気がさしてくる。

 ただしラストの収束だけは実に見事で、ここでタイムスリップと永遠の愛が繋がってくる。ただゴメスとクレアの不倫だけは、全く意味が無いしこの永遠の愛に水をさす行為にしか写らないのが残念である。
 映画のほうはだいぶ原作アレンジしているが、実によくまとめている。皮肉めいているが、それがこの長ったらしい原作をやっと読み終わって、得た収穫かもしれない。

評:蔵研人