著者:広瀬正

 アダルトなイメージを彷彿させられるタイトルだが、決してエロ小説ではないので念のため。タイトルは歌の題名なのである。
 著者の広瀬正氏は、タイムトラべルテーマにとりつかれた作家だつたが、残念なことに、1972年に、40代で鬼籍に入ってしまった。生前はジャズバンドのリーダーをしたり、オーディオに凝ったり、クラシッカーの製作を手がけたりと、多才な文化人だったという。

 彼の代表作は、タイムマシンがテーマになっている、『マイナス・ゼロ』というほのぼのとしたユーモアSFで、当時直木賞の候補にもなった。本作はSFといえるかどうか、わからないが、「もしあの時、こうしていれば、こういう別の過去があった」というお話で、これを『パラレルワールド』と考えれば確かにSFと呼べるかもしれない。

 ストーリーはかなり地味だが、いつもながら昔懐かしい、心暖まる昭和ラブストーリーだった。ある意味『マイナスゼロ』のサイドストーリーといっても良いだろう。
 確かに時代背景と場所と一部の登場人物は、『マイナスゼロ』と全く同じだった。それに少年時代の作者自身まで登場するので笑ってしまう。これら一連の流れも、一種の『広瀬流循環作用』なのだろうか。 

 もしあのとき、そうしていれば人生が変わっていたとは、誰もが一度は考えるに違いない。本作でも主人公の橘百合子(赤井みつ子)が、もし映画を観に行かなければ、歌手になれずヌードモデルになっていたというのである。それで現在・過去・現在・もう一つの過去・現在・過去…と小刻みに話が揺れ動いててゆく。もうひとつの過去のほうで、『マイナス・ゼロ』のタイムマシンで跳んだ時代と場所がリンクし、大工のカシラ一家と出会うことになるのだ。

 『マイナス・ゼロ』でも言えることだが、本作の見どころは、過去の分岐だけではなく、昭和初期の様子を余すところなく書き連ねていることだろう。それにしても広瀬正という人は、几帳面というか凝り性というか、当時の有名人から物価まで、念入りによく調べあげたものである。
 当時の市電やタクシーの状況、ラジオや初期の自動車、TVの開発、東京の家賃、ヒットした映画など生活に密着したデーターが満載。さらに阿部定事件から、二・二六事件、支那事変、東京オリンピック中止騒動など、次々と有名な事件が描かれてゆく。

 もちろんストーリー的にも十分面白いのだが、知らず知らずに「昭和東京史」の知識が身に付いてしまうのである。過去に『マイナス・ゼロ』の映画化が企画されたが、余りにも製作費がかかり過ぎるということで没になったという。今なら、『三丁目のタ日』のスタッフ達で映画化することも可能だろうが、知名度の点で実現はちょいと難しいだろうな・・・。
 ちなみに、主人公・橘百合子のモデルになった大物女性歌手とは、たぶん「淡谷のり子さん」なのではないだろうか。

評:蔵研人