タイムトラベル 本と映画とマンガ

 本ブログは、タイムトラベルファンのために、タイムトラベルを扱った小説や論文、そして映画やマンガなどを紹介しています。ぜひ気楽に立ち寄って、ご一読ください。

 タイムマシン、タイムトラベル、タイムスリップ、時間ループ、パラレルワールド、時間に関係する作品を収集しています。まだまだ積読だけで読んでいない作品がたくさんあるのですが、順次読破したら本ブログにて感想を発表してゆきますね。

タイム・リープ あしたはきのう5

著者:高畑京一郎

 著者の高畑京一郎は、1993年の『クリス・クロス 混沌の魔王』で第1回電撃ゲーム小説大賞〈金賞〉を受賞してデビューしたのだが、本作を含めていまだに4作しか書いていないという超・遅筆作家である。本作はそんな数少ない著作の中でも代表的な作品であり、1997年には大林宣彦監督の監修で実写映画化もされている。

 さて本作はタイムトラベル系の小説だが、タイムマシンを使って時空を超えると言う方法ではなく、女子高生の危機意識による時間移動という手法を用いて時空を越えてゆく。但し同じ時間軸を二度以上経験することはなく、ランダムに時間を渡り歩くという展開なのである。
 そしてなぜそうした現象が生じてしまったのかという謎解きに、ヒロインを狙い続ける犯人の存在が絡んでくる。だからどうなる・どうなると夢中になって、一気にむさぼり読んでしまうのである。
 ことに緻密な時間論理構成による時間パズル的な手法は、発表当時には驚くほど新鮮であった。さらにSF・ミステリー・学園・恋愛を絡めたうえにテンポも良く、まさに上質の名作小説に仕上がっていると確信する。
 
 さて『タイム・トラベル』、『タイム・スリップ』、『タイム・リープ』など、時間移動方法には似たような言葉があるのだが、一体これらはどう違うのだろうか。余り自信はないのだが、次のように括ってみたのだがいかがかな・・・。
タイム・トラベルとは、タイムマシンなどを使って時空移動するオーソドックスな方法
タイム・スリップとは、地震などの突発的な災害や事故により時空移動する方法
タイム・リープとは、自分自身の能力や意識により時空移動する方法
 こんなところであろうか。

評:蔵研人

タイムスリッパー -YUKIの跳時空ー4

作者:野部利雄

 1984年から、2008年にタイムスリップしてきた女子高生の由希。24年前の彼女は、清純で超ボインの美少女だった。そして過去の彼女が現代にタイムスリップすると同時に、現代の中年由希お母さんは別の次元に消えてしまう。
 つまりタイムパラドックスが起こらないよう、同人人物が同じ時空に留まることは出来ず、中年由希が美少女由希と入れ替わったことになる。

 従って当然だが、美少女由希は24年前の記憶しか持っておらず、中年由希とは別人格の存在なのである。現代の世界では、結婚して高校生の娘がいるし、未来世界なのだから、美少女由希は全てに戸惑うばかり。もっとも警官である夫も女子高生の娘も、はじめはその成行きが信じられない。

  作者の野部利雄は、地味な漫画家で知らない人も多いと思うが、あの浦沢直樹がアシスタントをしていたこともある。その絵柄は丁寧で美しい。実をいうとこの漫画を買うきっかけになったのも、タイムトラべルものということと、表紙を飾る清楚で美しい女子高生の絵に惹かれたからである。

 読み始めた頃は、タイムスリップを利用しただけの学園マンガなのかと思った。だが読み進めて行くうちに、タイムパラドックスなどについても、きちっと描いている正当なタイムトラべル作品であることに気付いた。
 そして話をダラダラと引き伸ばすこともなく、全3巻できっちり完結している。アシスタントだった浦沢直樹は、引き伸ばし名人だが、地味でも流石師匠は一流である。潔くて好感が持てるね。

評:蔵研人

この胸いっぱいの愛を 小説4

著者:梶尾 真治

 ある場所から、6人の男女が同時に20年前の世界にタイムスリップする。その6人は、どうしても過去に戻ってやり直したいことがあるということで共通していた。本作はこのタイムスリップした6人それぞれの行動を、5つのショートストーリーに分割して描いた群像劇ということになる。
 正式な原作は梶尾真治の『クロノス・ジョウンターの伝説』で、それを同著者が映画化を睨んでノべライズとしてアレンジしたものらしい。従ってストーリーは、ほとんど映画と変わらないのだが、重要な部分が映画では省略されていたり、変更されていたことが判った。

 また映画ではタイムスリップしたのが4人だったが、小説のほうでは6人なのである。正確にいうと、省略された2人はカップルだったので、お話としては1つのストーリーがカットされたことになる。
 たった1つのストーリーだが、このお話は5つのストーリーの中でも2番目に素晴しい話で、かなり泣ける話でもある。そして、このストーリーの拠点となる鈴谷旅館とも接点を持ち、ラストの展開にも影響することになるのだからかなり重要なのだ。
 もう1つはラストシーンが、大きく異なっていることである。映画では大不評だったラストと異って、小説のほうは実に見事な締めくくりを施しているではないか。

 それから映画の中では、タイムスリップやパラドックスに関わる論理が全く不在だったが、小説のほうでは多少無理はあるものの、それなりに納得出来る理論をちりばめていた。さすが小説は素晴しい・・・というよりは、これを映画化した監督と脚本家のセンスのなさに改めて呆れてしまった。
 タイムパラドックスを扱った似たような映画といえば、『いま、会いにゆきます』がある。これも映画、マンガ、小説のハシゴをしたが、こちらは映画のほうに軍配をあげたい。例え原作ものでも、創り方次第では映画が勝つことも出来るのである。

評:蔵研人

この胸いっぱいの愛を 映画3

 ある場所から、4人の男女が同時に20年前の世界にタイムスリップする。またその4人は、どうしても過去に戻ってやり直したいことがある、ということで共通していた。
 1人は盲導犬と離れ離れになってしまった老女であり、2人目は過去に他人の花壇を壊したまま、謝り忘れてしまった世界的に著名な学者である。そして3人目は、出産と同時に母親を亡くしてしまった暴力団のチンピラで、全員が過去にやり残したことを成し遂げると、元の世界か何処かへ消えてゆくのだった。

 最後の4人目が主人公(伊藤英明)で、彼が少年時代にあこがれていた近所のお姉さん(ミムラ)に逢うことになる。このお姉さんは、天才バイオリニストなのだが、主人公の少年時代に病気で死ぬことになっている。
 なかなか興味深いテーマであり、切なくて感動的なシーンも多く、子役も含めて出演者それぞれが、持ち味を生かした良い作品であった。とくにミムラが、とても魅力的な女性になり切っていたと思う。また中村勘三郎、賠償干恵子などの大物が、チョイ役で出演していたのにもちょいと驚いた。

 ただ時間テーマものとしては、設定にかなり無理があったし、反則技も乱発していたのが気に入らない。
 過去の自分に会うことは、タイムパラドックスを引き起こすためタブーのはずだが、最初から最後まで自分と一緒に暮らすのだから、かなり安易な設定ではないか。そもそもそんな過去があればそのことを覚えていて、現状の行動には繋がらなかったはずだから、主人公のストーリーは成り立たないのだ。

 また過去を変えれば、現在も変わるはずだが、何も変わっていない(あるいは説明不足か)のも納得しかねた。それに、あれ程慕っていたお姉さんと、いつの間にか疎遠になってしまったパラレルワールド?にも矛盾を感じるし、余り気分が良くはなかった。
 もっと上手な種明かしが出来ないところに、この監督の限界を感じるのだ。更には、観客サービスのつもりで挿入したような、ラストの天国らしきシーンも余計な一幕だったのではないだろうか。

評:蔵研人

地平線でダンス4

作者:柏木ハルコ

 この作者の作品は、いつも悪女の存在がしつこいのと、主人公と思われる人物の主張がなかなか実現されないというイライラであろう。だからいつまでもストレスが発散出来ないのだが、次の展開が気になって続きを読みたくなるという矛盾した麻薬的な力を持っている。

 さてこのコミックのストーリーは、ワームホールを利用したタイムマシンの実験で、間違ってマシンに搭乗し、肉体は消滅したものの、心だけが末来に跳んでしまう女性研究員のお話である。
 この話の中で興味深かったのは、過去へのタイム卜ラベルは不可能というパラドックスを崩したことである。つまりタイムマシンで過去へ行けるなら、なぜ今まで未来人がタイムマシンでやって来なかったのか?という疑問が残る。
 その他よく言われる「親殺しのパラドックス」や、本人との遭遇などについては、無限にあるパラレルワールドの存在を認めることによって解消出来る。だが「なぜ今まで未来人が来なかったのか」の回答にだけは窮していたのである。

 ところが本作のタイムマシンは、過去と未来のワームホールの間しか移動出来ない。だから過去に行くにも、初めてワームホールが作られた日より以前には跳べないのである。
 これで「なぜ今まで未来人が来なかったのか」の回答が可能になるのだ。つまりタイムマシンもワームホールも、現状では発明されていないからだということである。いやはや簡単明瞭に解決したものだ。もし著者が考えたのなら大天才だが、多分どこかで仕入れた理論なのであろう。
 タイム卜ラベル・パラドックスが大好きな私にとって、このことだけで十分にこのマンガを読んだ価値があった。あとは読んでのお楽しみ。全5巻なので読み易くて気に入っている。

評:蔵研人

地下鉄(メトロ)に乗って 映画4

 ご存知、浅田次郎の同名小説を、映画化した作品である。原作ものを映画化すると、原作を読んだ人達は、どうしてもつっこみを入れたくなるようだ。
 しかし商業ベースの映画には、いろいろと制約があり、原作を舐めるように再現することは不可能である。また映画は単に原作の映像化ではなく、映画としての持ち味を発揮することが本分なのだから、原作をアレンジしても仕方がないだろう。
 そのことを念頭に置いて、この映画のレビューを書きたいと思う。

 傍若無人な父親と絶縁した主人公長谷部真次は、地下鉄で過去にタイムスリップしてしまい、そこで若かりし日の兄と父に逢う。またなぜか、会社の同僚で愛人の「軽部みち子」も、一緒にタイムスリップするのであった。
 父母が若かったとき、彼等は一体何を考え、どういう生活をしていたのだろうか。話には聞いていても、実際に自分の目で確かめたいと、誰でも一度は考えるだろう。
 この作品はタイムスリップという手法を使っているものの、決してSFではなく「父と息子」の間に横たわる永遠のテーマを投げかけているのだ。

 私の場合は、既に小説を読んでいるので、『三丁目のタ日』のように懐かしき昭和時代の映像に期待していた。ところが新中野の駅前はオート三輪と、オデオン座の建物以外には、余り懐かしさを感じなかったね。また闇市にも、新宿のイメージが湧いてこなかった。この辺りに製作費の貧弱さを感じてしまった。
 あとキャストについて、小沼佐吉の若かりし日は、大沢たかおではなく、別の俳優が演じるベきだった。大沢たかおでは、余りにも年令が乖離し過ぎているし、映画を観ている人にすぐに父親であるネタがバレてしまうじゃないか。
 それと吉行和子の母役も何かピンとこなかった。ちょっとイメージが違うんだね。八干草薫あたりのほうが適役だと思う。

 また終盤のみち子とお時の『階段事件』のあと、真次が現在に戻って会社に行ったときの女性事務員が若過ぎるのだ。よく見ていないと、みち子なのかと勘違いする人もいるかもしれない。あそこは、みち子とは全然別の人と判るようなオバさんのほうが良いだろう。
 それから社長に一言「みち子って一体誰のこと?」ぐらい言わせないとだめだね。小説を読んでいる人ならば事情が判るが、初めてこの作品に触れた人や、タイムパラドックスを知らない人には、パラレルワールドの世界を認識出来ないだろう。
 このあたりに、この監督の限界を感じてしまった。またお時やみち子の描き方も足りないが、これは上映時間という制限もあるので、ここでそれを言及するのはやめておこう。

 ところで、このタイトルに係る重要なことで、兄が地下鉄で自殺するというシーンが、トラック事故に変更されてしまったのである。しかしこれは、多分東京メトロ側が拒否したのだろう。東京メトロの協力なしには、この映画は完成しなかったことを考えると、これは仕方がないのかもしれない。
 一方俳優さん達は、全員が役にはまり込んで素晴らしかったね。大沢たかおが絶賛されているが、むしろ淡々とした役柄を巧く表現した堤真一を誉めてやりたい。またみち子を演じた岡本綾の、可愛らしさの中にかい間見る、憂の漂う表情が実に良かったね。またオープニングとラストシーンに顔を出す、田中泯の強烈な存在感ある演技にもしびれてしまった。

 さてと、父と息子をテーマにした作品は数知れないが、その多くが相反する父子感情を描いている。なぜこうも父と息子は反目しあうのだろうか。
 実は父と息子は、親子である以前に「ライバル」同士なのではなかろうか。それに時代背景の違いを、お互いが理解しようとしないのも食い違いの原因なのだろう。
 私の父は長男で、少年の頃から貧しい一家を支えてきた。そして大平洋戦争に行き、戦後も胃ガンの発病を無視して無理な労働を重ね、42才で鬼籍に入ってしまった。

 一方、子供の頃から働くことが嫌いで、いつも家業から逃げ回っていた私は、同じ長男であっても、父とは月とスッポンほどの違いであった。だから父にはよく怒鳴られたし、思い切り殴られたものだ。当然そんな父の印象は、ただただ怖い人ということだけだった。しかし若くして父が忙くなったとき、一番悲しんだのは、以外にも私だったのだ。
 父が亡くなって、既に半世紀以上経ってしまった。もしも今、父が生きていたら介護で大変かもしれない。しかし一度でいいから、酒の好きだった父と二人で、一献傾けたかったと思う初夏の夕暮れである。

評:蔵研人

地下鉄(メトロ)に乗って 小説4

著者:浅田次郎

 直木賞『鉄道員(ぽっぽや)』を書いた浅田次郎が、吉川英治新人文学賞を受賞した作品である。過去にタイムスリップして、自殺した兄を助けに行ったり、反目している父の若かりし日を訪ねるため、「戦後」、「戦中」、「戦前」、「戦後」・・・と時間軸を行ったり来たりするのだ。
 ところで地下鉄のことを「メトロ」と呼ぶのはフランスであり、イギリスでは「チューブ」とか「アンダーグラウンド」、アメリカは「サブウェイ」で、ドイツでは「ウーバーン」と呼ぶらしい・・・。日本では「メトロ」という言葉が一番馴染んでいるし、なんとなくそこはかな郷愁さえ感じてしまう。ことに銀座線と丸の内線には、ピッタリの呼び名であろう。

 さてこの話を読み始めたときは、古い地下鉄の出入口が、『タイムトンネル』になっていると思っていたのだが、どうもそうではないらしい。家で眠っているときにも、タイムスリップしてしまうからだ。
 結局なぜタイムスリップしたのか原因も判らずじまい、もしかすると全てが主人公の妄想か、夢だったのかもしれない。しかしもしそうだとすると、何故「みち子」が登場したのか説明し辛くなってしまう。その辺りは曖昧であり、エンディングも余り歯切れが良くなかった。

 どうして浅田次郎の作品は、いつも切なく救われない話が多いのだろうか。確かにこの小説はSF的な手法を使ってはいるが、実は似たもの同士の「父と息子の確執と苦悩」を描いた心理小説と言えないこともない。
 そしてこの場合、「みち子」の存在は、嫌悪していた父と同様に、主人公も愛人を持ちたいという願望が作り出した妄想だったと、解釈するしかないだろう。そしてそれを皮肉な結末と結びつけると、主人公の父に対する激しい愛憎と情念を体中に感じてしまうのだ。
 確かに父と息子の関係は難しい。息子にとって父親は、なくてはならない存在なのだが、父親がその存在感を示せば示すほど、若い息子は父を恐れたり憎んだりするものである。やがて父が死んで息子が成長したときに、初めて父の偉大さを知り、父を尊敬する時が来るのだ。さてさて父親とは、なんと報われない存在なのだろうか・・・。

評:蔵研人

バタフライ・エフェクト5

 タイトルの『バタフライ・エフェクト』とは、一羽の蝶が羽ばたいただけで、地球の裏側で、竜巻が起こるという「カオス理論」のひとつだという。つまり、何でもないことを変えたために、大きな変化が起こる場合のたとえなのである。

 繊細でlQの高い美青年が、少年時代の日記を読むことによって、少年時代の意識に介入出来る能力を発見する。そして自分のせいで不幸になり、自殺してしまった幼な馴染みの少女を救うため、過去の自分の行動を何度も変えてみるのだが・・・。
 この作品は、タイムテーマとミステリーを上手に組み合わせ、そこにスタンド・バイ・ミー風味をブレンドしたような間口の広い大秀作である。また何度過去を変えても、事態はなかなか好転せず、イライラさせながらも、ラストでは「一番大切なもの」を切り捨てることによって、全員が救われるという皮肉なハッピーエンドを用意している。

 製作費は余りかけていないようだが、久々に「本物の映画」を観た感があった。ただのんびりと観ていると、状況把握が困難になり、何が何だか判らなくなるので、じっくりと真剣に観る必要があるかもしれない。
 またよく判らなかった人には、映像写真付きの文庫本が発行されているので、解説書代わりに読んでみたらどうだろうか。内容は映画と全く変わらないので、複雑なストーリー展開が良く理解出来るはずだ。但しラストの一行?だけは映画と大きく違っているのでご注意。

評:蔵研人

遥かな町へ5


作者:谷口ジロー

 48歳の会社員中原博史は、京都出張が終わって、真直ぐに東京の自宅に帰るつもりだった。ところが無意識のうちに、フラフラと故郷・倉吉へ向かう特急列車に乗ってしまう。そして変わり果てた倉吉の街中を、トボトボと歩いているうちに、いつの間にか亡き母の菩提寺へ来てしまった。そして亡母の墓前で、昔のことをあれこれと考えていた・・・。
 彼の父は彼が中学生のときに、母と自分と妹の三人を残して、突然謎の失踪をしてしまったのだ。その後二人の子供と体の弱い祖母を抱えて、母は一人で夢中になって働き、子供達が独立するのを待っていたかのように、過労のため若くして亡くなってしまったのである。

 母の墓前で昔のことを思い出しながら、うとうとして気がつくと、博史は心と記憶が48歳のまま、14歳の中学生に変身していたのだ。信じられないことだが、町に戻るといつの間にやら、そこは懐かしい34年前の故郷の風景に戻っていて、無くなってしまったはずの実家も復活しているではないか。もちろん家には父も母も祖母も妹もいた。つまり34年前の自分の体の中に、48歳の自分の心がすっぽりとタイムスリップしてしまったのである。

 この手の展開はケン・グリムウッドの『リプレイ』と全く同じ手法である。ただ『リプレイ』の場合は、未来の記憶を利用して博打や株で大儲けし、美女を思いのままにしたり、という派手な展開であった。そしてある年齢に達すると、再び青年時代に逆戻りを何度も何度も繰り返すというパターンなのだ。
 本作『遥かな町へ』は小説ではなくマンガであるが、『リプレイ』のような派手な展開や時間ループはなく、じっくりと、ほのぼのとしたノスタルジーを喚起させてくれる大人向けの作品なのである。さて中学生に戻った博史は、実務で鍛えた英語力と落ち着いた雰囲気で、高嶺の花だった長瀬智子に好意を持たれて、彼女とつき合い始めるようになる。

 そして優しく美しい母、働きもので誠実な父、明かるくオテンバな妺、父母の巡り合いを教えてくれる祖母たちとの、懐かしい生活が続くのだった。そんな楽しい中学時代を過ごしていくうちに、いよいよ父が失踪した日が近づいてくる。
 人は皆、もう一度人生をやり直せたらと、考えたことが必ずあるに違いない。でもそれは現在の記憶を持ち続けると言う事が条件だろう。そうでなければ、結局はただ同じ事を繰り返すだけで、全く意味がないからである。

 しかしながら赤ん坊のときから、以前の記憶を持ち続けてしまったら、きっと化物扱いされるだろうし、自由にならない身体にイライラしてしまうに違いない。だからこの手のストーリーは、ほぼ示し合わせたように、青年時代あたりに戻るのであろう。
 もし自分も同じように、現在の記憶を持ったまま過去に戻るとしたら、どうしようか・・・だがそれは無しにしたい!。古い懐かしい思い出は、美しく改竄されたまま、そっと心の中にしまって置きたいし、再びふりだしに戻って生きてゆくことが、とても面倒な年令になってしまったのであろうか。

評:蔵研人

いま、会いにゆきます 小説4

著者:市川 拓司

 15年前に映画のほうを先に観たのだが、そのあとすぐにこの原作本を図書館で予約し、約4ヶ月間も待った記憶がある。映画のほうは細かい部分で脚色されているものの大筋は全く同じなので、小説の登場人物の顔と俳優達の顔が見事に重なったものだ。
 読み易くて面白いので、通勤電車の往復であっという間に読んでしまったのだが、結末がわかっているものの、やはりラストで涙を流してしまった。

 この作品は結末が判らないほうが楽しめるし、その結末がかなり捻れているので、映画を先に観て、小説でじっくりと仕掛けを確認するほうがよいだろう。
 さて映画が良いか原作が良いかと聞かれたら、たぶん私は映画のほうに軍配をあげると思う。だからといって、決してこの小説の出来映えが悪いと言う訳ではない。
 まるでこの小説は、あの映画を創るために書いた作品のように感じてしまった。DVD化されてまた映画を観たのだが、今度はまた原作を読みたくなってしまった。まるでこの作品のように、グルグルと循環してしまうのだろうか。

評:蔵研人

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