タイムトラベル 本と映画とマンガ

 本ブログは、タイムトラベルファンのために、タイムトラベルを扱った小説や論文、そして映画やマンガなどを紹介しています。ぜひ気楽に立ち寄って、ご一読ください。

 タイムマシン、タイムトラベル、タイムスリップ、時間ループ、パラレルワールド、時間に関係する作品を収集しています。まだまだ積読だけで読んでいない作品がたくさんあるのですが、順次読破したら本ブログにて感想を発表してゆきますね。

靖国への帰還4

著者:内田康夫

 大平洋戦争末期、米軍機の本土空襲を阻止するため、残り少ない戦闘機「月光」に勇んで搭乗する武者中尉。だが健闘むなしく、空中戦で被弾して厚木基地に不時着する。
 そのまま気を失って、気が付くと基地の病院のべッドの中であった…。ところが見た事もない蛍光灯という照明器具があるし、敵の米国兵もいる、どうも妙な違和感を感じるのだ。

 次第に判ってくるのだが、武者中尉は昭和20年から、現代の世界へ愛機月光ごとタイムスリップしてしまったのである。同乗していた部下は、着陸時に死亡してしまったという。そのために、自分の存在とタイムスリップを証言してくれる人間が不在となってしまった。
 だが月光の存在を含めて、武者の話を信じないと辻つまが合わなくなるため、国家としても武者のタイムスリップを信じざるを得なくなってくる。この件については、国家的極秘事項として扱われていたが、月光の墜落現場を見た者や米軍兵の口から、次第に噂が広まり、マスコミ達の興味を惹くことになってしまう。
 当然、武者の外出は禁止され、狭い基地内だけの不自由な日々が続いていた。ところが、突然中越大地震が勃発し、マスコミの興味がそちらに移ってしまったとき、やっと武者の外出が許可される。もちろん武者の最大の希望は、靖国神社参拝であった…。

 このあと、過去の軍人からみた靖国神社論が展開されるのだが、なかなか判り易く説得力のある論理である。またA級戦犯についても、戦争に負けたからこそ大罪人扱いされるが、もし日本が勝っていれば、マッカーサーこそA級戦犯になったはずだ…と小気味よく持論をぶちまける。
 そしてお国のために身も心も捧げ、靖国へ軍神として奉られることを信じながら、散っていった同胞たちの心情を吐露するのだ。読んでいるうちに、なるほどと妙に納得してしまう自分が怖かったが、この問題には正解がないことも真実であろう。

 どちらかといえば硬派な作品であるが、初恋の女性との再会に絡むストーリーは、なかなかロマンチックでかつ興味深い。そしておばあさんになってしまったが、いつまでも武者の面影を抱いて生き抜いてきた彼女がいじらしいのだ。
 ラストのまとめ方は定石通りだが、武者の心情を考えれば、あれ以外には方法はないだろう。自分を含めて、現代の軟弱な男性と比較すると、まるでサムライのような戦前の男性。戦争経験のあった亡父を思い出し、とどめなく涙が溢れ出してしまった。
 人生とは国家とはそして青春とは一体何かを問う感動小説である。日米戦争の存在さえ知らない現代の青年たちにこそ、是非一読してもらいたい作品ともいえよう。

評:蔵研人

虹の天象儀4

著者:瀬名秀明

 古いプラネタリウムを使って、過去にタイムトラべルするお話。確かにプラネタリウムは、その神秘的でメカニカルな形状が、まるでタイムマシンのようだし、天空を写し出すのだから、時空も操作出来るような気分になってしまいそうだ。

 世界初の光学的プラネタリウムの開発を行ったのが、ドイツのカール・ツァイス社であることや、その性能とマニュアルの素晴しさと、整備・調節の判り易さを述べている。また日本におけるプラネタリウムの歴史についてもかなり詳細な記述がある。
 我国の第1号機は、昭和12年に大阪市立電気科学館(大阪市立科学館)に設置されたカール・ツァイス社製の23号機であり、当時はアジアで唯一のプラネタリウムとして、大阪の象徴的存在でもあった。

 東京での最初のプラネタリウムは、翌昭和13年に、有楽町の東日天文館(毎日新聞社)に設置されたカール・ツァイス26号機だという。だがこの26号機は、昭和20年に米軍の空襲により焼失し、東京でプラネタリウムを楽しむには、戦後の昭和32年に渋谷に五島プラネタリウムがオープンするのを待たねばならなかったのだ。
 当時この五島プラネタリウムは大人気で、小学生の校外授業などにも使用されていた。だが残念なことに、東急文化会館取り壊しとともに、平成13年にその姿を消してしまったのである。

 そのほかにも、プラネタリウムに関するメカニカルな記述が詳細に述ベられている。薬学博士号を持つ著者ではあるが、それにしても、プラネタリウムに対する熱烈な愛情がなければ、これほどの知識は得られないだろう。
 物語のほうは、渋谷のプラネタリウム閉館式の後に不思議な少年が現われ、主人公のプラネタリウム技師を、過去の世界へ誘うというメルヘンチックな中編小説である。

 織田作之助をはじめ、懐かしい著名人の実名がバンバン登場する。これはもう、SFとかタイム卜ラベルと言うより、五島プラネタリウムへのオマージュであり、昭和ノスタルジーへの回想録と言ってもいい作品である。ある意味で「ムード小説」とでも呼ぼうか。なんとなくこれが、長野まゆみの『天然理科少年』とか、マンガ家・谷口ジローの『遥かな町へ』などと雰囲気が繋がるんだな…。

評:蔵研人

ポンコツタイムマシン騒動記4

著者:石川英輔

 町の発明家先生が、廃品回収した電機製品を利用してタイムマシンを作りあげ、娘のトキ子とラーメン屋の三郎少年を乗せて過去に旅立つ。コミカルなジュブナイルで、舞台はたったの2ヵ所、登場人物も10人以下という、映画ならばさしづめ「超B級低予算映画」といったところか。

 ストーリーも単純で、同じ場所を行ったり来たりするだけである。これは舞台劇にはおあつらえ向けだね。ところがタイムトラベルファンにとっては、この単調さがなかなか味わい深いのである。
 同じ場所といっても、時間軸と次元が異なるため、正確には違う場所になるのかもしれない。その同じような場所での微妙な変化を楽しむのが、タイムトラベルファンの醍醐味なのだ。

 これはバック・トゥ・ザ・フューチャーの、主人公マーティーを取り巻く人々の変化と、ある意味似ているよね。しかし決定的に違うのは、本作ではタイムマシンで跳ぶ世界は、全てがパラレルワールドだということである。この設定には少しイライラするのだが、現状の理論では一番矛盾の少ない設定なのだろう。
 ちなみに、バック・トゥ・ザ・フューチャーの場合も、ある意味パラレルワールドに近いのだが、両親が結ばれそうもなくなると、マーティーの写真が消えそうになる発想は、パラレルワールドではない感じでもあり、いまひとつはっきりしないんだね・・・。

 さてこの小説は、1979年に朝日ソノラマから出版され、その後の2003年に大幅に改訂して講談社から再版されたという。朝日ソノラマ版を読んでいないので、どの部分を手直ししたのかは判らない。
 しかしほのぼのとした時代背景はともかくとして、タイムトラベル理論には余り古さを感じないことからして、そのあたりを直したのかもしれないね。また、あさりよしとお氏が描くイラストの雰囲気も、本書のイメージにピッタリとはまっていると思う。

評:蔵研人

トムは真夜中の庭で5

著者:アン・フィリパ・ピアス

 ジュニア向けタイムトラベル小説の代表作である。中古書店ではどうしても手に入らなかった幻の名作。ところが図書館では簡単に借りることが出来てしまった。なんだ初めから図書館を探せばよかったんだな・・・。
 弟ピーターがはしかに罹ってしまったため、トムは夏休みに、親戚の家にあずけられてしまう。叔父さんと叔母さんしかいない親戚の家は、子供のトムにとっては退屈で、夜もなかなか寝付けない。すると、玄関の大時計が13時を打ち、家の外の世界は一変する。そこに大きなイチイの木と、広く美しい庭園が出現し、クラシカルな服装をした少女が遊んでいるではないか。

 ところが朝になって外に出ると、そこにはあの庭園は存在せず、そこにはごみ捨て場と駐車場しかなかった。もちろんあの少女も住んでいるはずがない。あとで判ることだが、あの美しい不思議な庭園は、ヴィクトリア時代の庭園であり、真夜中の暗闇にしか存在しない世界だったのだ。
 少女の名前はハティといい、小さい頃に両親を亡くし、親戚の叔母さんのお屋敷に引取られた。彼女は三人の従兄弟たちと一緒に住んでいたが、年が離れていることもあり、いつも独りぼっちで遊んでいたのである。そしてなぜか彼女だけが、トムの姿を見たり、トムと話をする事が出来るのだった。

 トムはこの美しく広大な庭園が大好きになり、ハティと二人でいろいろな遊びを興じてゆく。こうしてトムは、毎晩皆が寝静まった頃、家のドアを開けて、この別世界でハティと一緒に遊ぶことになる。
 何度もこの世界を訪れているうち、トムはこの世界では時間が乖離していることに気付く。あるときはもっと小さい頃のハティ、そしてあるときは大人になったハティ。そしてどんな時でも、ハティはトムを待ってくれていた。
 なんだか、ジュニア版『牡丹灯篭』のような世界だが、決してハティは幽霊ではない。過去にハティが残したスケート靴が、トムの部屋の床下で発見されたのである。そのスケート靴を持って、トムは過去の世界で、ハティとアイススケートを楽しむことになる。

 それにしても、この小説は緻密に構成されているし、庭園やキャム川、イーリーの大聖堂などの描写も正確である。あとで判ったことだが、作者のフィリパ・ピアスは、この地方で、やはり大きく古いイチイの木が生えている家で育ったという。それでこの小説の舞台について、これだけ精密描写が出来たのだろう。

 ラストになって、トムがなぜこの不思議な世界へ進入することが出来たのかが解明されるが、ネタバレになるので、ここでは詳しく述べないことにしよう。ただトムが時を超えた世界を体験できたのは、子供の持つ純真な思いと無垢な愛情と想像力のお陰であるとだけ言っておこう。そして人は年をとるに従って、だんだんとまた子供の頃の心に戻ってゆくのである。
 いずれにせよその結末は実に感動的であり、いくつもの螺旋階段が見事一つに収束するかのような緻密な構造に誰もが驚くことだろう。最後にこの完成度の高い作品が、1958年のカーネギー賞に輝いていることを報告して筆を置く事にする。

評:蔵研人

ボトルネック4

著者:米澤穗信

 2年前に事故で東尋坊から墜落死した恋人を弔うために、同じ場所に立った嵯峨野リョウ。だが彼もバランスを崩して崖から落ちてしまうのだ。そして気がつくと、そこは彼女と初めて言葉を交わした金沢の公園であった。
 ところがそこは、彼が存在しない世界で、彼の世界では水子だった彼の姉が生きている世界だったのだ。姉のサキは想像力と行動力に優れ、全てにおいてリョウを凌いでいる。そして死んだ彼女も生きているし、最悪だった家庭も平和な状況だったのである。

 ここまでは、パラレルワールドの世界そのものだ。そしてリョウが存在する世界とサキが存在する世界を一つ一つ比較してゆく。
 なかなか面白い視点の小説だと思った。それでぐいぐいと引き込まれて、あっという間に読破してしまったのだが、終盤に再び東尋坊から帰ってきてからというものの、急に重苦しい展開となる。そしてタイトルのボトルネックの意味が解明されてゆくのだ。
 結局、作者は何を言いたかったのか。このタイトル通りに解釈するには、余りにもリョウが救われないではないか。単なるパラレルワールド小説に落ち着かなかったことは評価に値するかもしれないが、なんとも後味の良くない複雑な気分でもある。
 
評:蔵研人

ときのかけら 4

著者:君島孝文

 わずか180頁足らずなのに字が大きく、かつシンプルなお話なので、あっいうまに読み終えてしまった。はじめは、図書館の『時・特設コーナー』に展示していたことと、そのタイトルからタイムトラべル系のファンタジーかと思った。
 だがどちらかというと、大人も楽しめる青春ラブストーリーといったところか。タイトルの「時間」とのかかわりは、オープニングとエンディングだけなのだが、このちょっとした配慮がなかなか洒落ているんだな。

  そもそも時間とは不思議な存在だ。楽しいときの時間は、あっという間に過ぎてしまうし、辛いときは嫌になるほど長く感じてしまう。この感覚はたぶん誰もが共有している事実であろう。
 だから、冒頭で著者が言っているように、時間が不要な人の時間を保存して、使いたい人へ分け与えられたら効率的だとは思う。また時間の速度や方向をコントロールできたら面白いだろうなとも考える。それらが実現したら、全ての人々は苦悩も後悔もない極楽のような人生をおくれるのだろうか・・・。

 僕は決してそうは思わない。もちろん初めの頃は、嬉しくて楽しくてしょうがないだろう。だが、全てが予測出来てかつ変更出来る人生なんて、いずれは飽きてしまうに違いない。苦があるから楽があるように、初めは見えないものが見えるようになるから面白いのだ。・・・とは言ってみても、一度くらいは時間をコントロール出来たら嬉しいことも確かである。

 この小説がSFやファンタジーでないことは前述した通りだが、時間とのかかわりが重要なモチーフになっていることは確かである。「貴史が別れて淋しそうだったから、あたしも別れたの」という幼馴染み理香子の言葉が、最後まで胸に突き刺さって離れない。優柔不断だが優しい貴史の気持ちは判るようで判らない。でも最後には誰でも暖かい気持ちになれるのでご安心を。

評:蔵研人

15秒3

著者:安東能明

 僅か15秒の時間の遅れにより、鉄道、CATV、工場の機械に異変が起こり、2名が死亡してしまうことになる。ところがこの時間の遅れは、人為的に引き起こされたものであった。
 まるで神のように、時間を動かすことが出来る人間が存在するのか。完全時計とは一体何なのか。あたかもタイムマシーンのような装置を想像させる序盤の展開。

 だが結局は、かったるい小説だった。鉄道員の実態に鋭いメスを入れたまでは良かったのだが、それ以上のストーリーがなさ過ぎる。
 だから小説を読んでいる気がしない。鉄道と無線マニアの解説書を読んでいる気分なのだ。文節が極端に短い文章が、それに拍車をかけるようでもあった。アイデアは悪くないのだが、遺憾せん小説になっていないのが悔やまれる。

 とどのつまりミステリーであリながら、全くドキドキすることもなく、高揚感も味わないままラストを迎えてしまった。一体この小説で何を描きたかったのか、何を主張したかったのかが、よく見えてこない作品だったな・・・。

評:蔵研人


真っ白な図面とタイムマシン3

著者:笠原哲平

 原案はシンガーソングライターユニットの『Goose house』のアルバムである。また著者の笠原哲平は劇団TEAM-ODACの専属脚本・演出家であり、本作は青山円形劇場にて公演されている。どちらかというと小説というより脚本のような本である。

 引きこもり高校生が、事故で死んだ兄に会うためタイムマシンを創って過去に跳ぼうと決心するお話である。そこに兄の恋人、カフェの女主人、商店会理事長の娘、工場勤務のおじさんなどが協力者として関与し、なんとなく群像劇ぽいのだが、あまり深く追求せず、あっさりかつ淡々と話は展開してゆく。

 文字が大きく文章も平易で237頁程度の中編なので、あっという間に読破してしまったのだが、とうとうタイムマシンは完成せずに終了してしまった。過去へのタイムトラベルを期待していたためか、なんだか裏切られたようで拍子抜けしてしまうのだ。
 ただよく考えてみれば、これはあくまでも舞台劇用の脚本であって純粋な小説ではない。まあそう考えれば、そこそこ面白かった訳だし、腹も立たないであろう。

評:蔵研人

僕の彼女はサイボーグ4

製作:2008年日本 上映時間:120分 監督:クァク・ジェヨン 主演:綾瀬はるか、小出恵介
 

 未来からやって来たサイボーグとへタレ男のラブストーリー。大人版の『どらえもん』といったところだろうか。
 だが決して馬鹿にしてはいけない。笑いあり、涙あり、ド派手なアクションとSFXあり、そして音楽も良い、まさに娯楽の殿堂、究極のエンタメ映画に仕上がっているのだ。

 なんだ、なんだ!邦画でもここまで出来るじゃないか!と思わず唸ってしまった。また俳優もSFXも製作も日本人だが、監督だけが韓国人のクァク・ジェヨンという変り種の映画である。ということは、今まで優れたエンタメ邦画がなかったのは、全て監督のせいだという証明になるよね。
 『ゴジラ』、『デビルマン』、『あずみ』、『鉄人28号』、『少林少女』の監督たちは、この映画を観て大いに勉強してくれ給え。

 またこの映画の中で、主人公が故郷を訪れるシーンがあるが、これには思わず涙せずにはいられなかった。人は誰でも故郷があり、ノスタルジーを追い求める本能であろうか。
 知らぬ間に涙が溢れ出して、僕の心は熱くて熱くて堪らなかった。おばあちゃん、お母さん、そして故郷の町と、少年時代の友だちの姿が、僕の脳裏に津波の如く押し寄せてくる。だから、この過去のシーンだけは、全く別の映画を観ている感があったね。 

 それにしてもサイボーグ役のはるかちゃんが可愛い!おじさんは、この映画を観るまで彼女の存在を知らなかった。女優というより、アイドル系という感もあるが、かなりアクションをこなせるようだね。
 近々上映される『女座頭市』が楽しみになってきた。きっと彼女は、この映画を手始めにして、大ブレイクするに違いない。いずれ、今のところ第二部で頓挫している『あずみ』も演じて欲しいなあ…。と10年以上前につぶやいていたのだが、やはり彼女は大女優に成長してしまったよね。

 最後にタイムトラべルにつきものの、タイムパラドックスについて一言。はじめのうち、第1回目のタイムトラべルの意味が全く判らなかったが、終盤で見事に2回目との因果関係を解き明かしている。このあたりでも、僕の瞳は濡れっ放しだったよな。
 ところがラストシーンでの、3回目のタイムトラべルは、余計なお世話である。このあとの展開を、あえて描かないところは憎いが、もしハッピーなら未来への繋がりが消失する可能性が高いじゃないか!。そうすると現在の状況もなく、3回目のタイムトラべルもあり得ないことになる。
 それなら、はじめから無意味なラストシーンは不要だということになる。もしこのラストがなければ、満点を付けるつもりだっただけに、とても残念である。しかしそれにしても、素晴らしい映画であることには、変りがない。ホント、実はこんな邦画を一度観たかったんだよね!

評:蔵研人

カレンダーボーイ3

著者:小路 幸也

 『カレンダー・ガールズ』という英国映画があったが、本作は全くそれとは関係がないので念のため…。本作は、中年の男性2人が、同時に少年時代にタイムスリップして、あの3億円事件を阻止し、クラスメートの少女を救うというお話である。

 タイムスリップものは数々あれど、2人同時に心だけがタイムスリップし、毎日寝るたびに過去と現在を往復するという話は珍しい。浅田次郎の『地下鉄に乗って』とやや似てはいるが、心だけタイムスリップというところが全く異なっている。なおタイムスリップして三億円事件に関与するという展開では、清水義範の『三億の郷愁』そのものだが、犯人側と阻止する側という根本的な違いがある。

 また昭和時代のノスタルジーに浸るという展開では、広瀬正の『マイナスゼロ』を彷彿してしまう。なかなか楽しくて、一体どのような結末を迎えるのか、ワクワクしながらページをめくり続けた。
 だがラストの収束がかなり大雑把で判り難いのだ。なんだか急に面倒くさくなって、適当に幕を下ろしてしまった感がある。それまでは、かなり面白い話だったので、非常に残念な気分になってしまった。アイデアは素晴らしいし、実にもったいない作品である。本ブログの評点システムは、中間点が付けられないのだが、正確には★★★☆(3.5)くらいかもしれない。

評:蔵研人

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